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第38話 海を見た朝

 河瀬さんの手が俺が履いているジャージのパンツ越しに体の、今一番熱い部分に触れる。  俺は息を殺した。  唇に思いきり力を入れる。  そうしていなと、きっとはしたない声を上げてしまう。  でも。  河瀬さんの手が動く度に。 「んっ、んんっ」  どうしても声が外に漏れてしまう。  大きな枕の裾を掴んで何とか耐えようと試みるも無残だ。 「んっ……ふっ」  こんなどうしようもない声が河瀬さんの耳に届いている、と思うと恥ずかしいのと同時に、不思議と河瀬さんに触れられている部分の熱が高まる。  張りつめる様に熱い。  もっと。  もっと早く手を動かして欲しいと思ってしまう。  河瀬さんは優しく上下に擦るだけだから。  腰が自然と動いた。  くねりくねりと刺激を求めて狂った様に俺は腰を動かして河瀬さんの手に自分の熱を擦り付ける。  気持ちいい。  でも、凄く恥ずかしい。 「秋君。物足りないの?」  訊かれて思わず頷いた。  こんなの、どうかしてる。 「今、もっと良くしてあげますから」  そう言うと、河瀬さんの手が一瞬離れる。  その一瞬が物凄く心細くて、俺は河瀬さんの目を見た。  優しい鳶色の目と、怪しく光る金の目。  河瀬さんの目を見ているうちに、体に入っていた力が抜けていく。 「秋君。僕にどうして欲しいですか?」  問われて、それは物すごく恥ずかしい事なのに。  はしたなくて。  絶対にダメな事なのに。  俺の口はまるで操り人形の様に動いた。 「もっと。もっと早く擦って。河瀬……の手の温かさがもっと欲しい」  こんな布越しじゃ無くて。  直接……。 「河瀬の手でちゃんと触れて欲しい」  ああ。  言ってしまった。  こんな事。  河瀬さんは軽蔑するに違いないのに。  何で。 「秋君、可愛いです」  河瀬さんが微笑んでいる。  その微笑みに深く落ちていく。  早く。  早く。  早く。 「触って」  河瀬さんは、うん、と頷いた。  河瀬さんの手が、俺の下着の中に潜っていくのを、肌でスローモーションの様に感じる。  河瀬さんの白くて綺麗な手が。  俺の熱にそっと触れた。 「んっ!」  ピクッと体が跳ねた。  絶対に他人に触れられた事の無い場所。  河瀬さんの手の温かさを、そこで感じる。  じんわりと。  河瀬さんの熱に溶かされる。  しばらく、その心地いい感覚に酔う。  触れられているだけなのに。  気持ちいい。  ドキドキと心臓の音。  俺と、河瀬さんの……。 「動かしますね」  そう言って河瀬さんが手を動かした。  始めはゆっくりと。  段々強く。  早く。 「あっ、あっ、あっ」  声が止まらない。  怖くて河瀬さんの顔が見れない。  強い刺激が俺の体を突き動かしていく。  ベッドがどんどん乱れて。  ぐちゃぐちゃになる。 「いっ……あっ、ああっ!」  その瞬間、俺は心の中で名前を呼んだ。  河瀬さん。  河瀬さん。  河瀬さん。  頭が真っ白になって。  体がビクビクと震えて。  チカチカと星が見えて。  そしてそのまま暗闇を見た。  眩しい。  そう感じて俺は目を開いた。  光が真っすぐに俺の方に伸びていた。  それは、カーテンから漏れる太陽の光だと寝ぼけた頭で確認する。  俺、寝てたんだ。  そう思った後で、この部屋が河瀬さんの部屋だと気が付く。  そうだ。  俺。  また。 「うっ……うわぁぁぁぁぁぁーっ!」  ご近所迷惑さながらの大声を出す。  昨日の夜。  俺、河瀬さんに血を吸われて。  そこまではいい。  また、河瀬さんに淫らな事をさせてしまった。  し、死にたい。  俺はしばらく布団の中に沈んだ。  どれくらい布団の中に立て籠もっていただろうか。  今は何時か。  河瀬さん。  今頃何をしてるんだろう。 「河瀬さんに……謝らないとな……」  うん。  俺は、えいやぁ! と気合を入れて布団と言う要塞から這い出た。  そして部屋を出る。  向かうはリビングダイニング。  そこに河瀬さんはいるはずだ。  そっとリビングダイニングの扉を開けて隙間から中を覗いてみる。  ソファーに座る河瀬さんの頭が見えた。 「あのぅ。河瀬……」  声をかけたが返事は無い。  俺は静かに河瀬さんに近付いた。  河瀬さんはソファーにもたれ掛かり眠っていた。  河瀬さんの膝の上には写真集が乗っている。  開かれたページには青い海。  写真集のページには何処かで見た事がある様な紙が挟まれていた。  栞代わりに使っているのだろうか。  河瀬さんはいつから此処で眠っていたんだろう。 「う、んっ」  そう言って河瀬さんの目が薄く開いた。  起こしてしまったか、とハラハラする。 「秋君……」  河瀬さんがぼんやりとした顔で俺を見ている。  その顔が、段々と歪んでいく。 「秋君、ごめんなさい。昨日の夜、僕は酔っぱらって秋君に酷い事を」 「えっ……」  夜の事を鮮明にまた思い出した俺の顔に熱が走る。  だ、ダメだ。  思い出せば出すほど恥ずかし過ぎて、河瀬さんの前にいられない。  この話はタブーだ。  わ、話題を変えないと。  俺は何を話そうかと考えた。  河瀬さんの気分の変わる様なもの……。  ふと、河瀬さんの膝の上の写真集が目に入った。  これだ! 「あの、河瀬さん。そそそ、それよりも、その写真集、何の写真集何ですか?」 「え? あっ、ああ、これは海の写真集何です」 「海の?」 「はい。僕、海が好きで。秋君は海は好きですか?」  え、海。  特に考えた事は無かったが河瀬さんが好きな物には敬意を示さないと。 「あー、あの。故郷の海は好きです」 「秋君の、故郷の……海」  河瀬さんはあまりにも熱心な様子で言う。  何だろう。  何処か違和感がある。 「あ、今何時ですかね?」  そう言えば、と俺は何とも無しに訊ねた。  俺の台詞に河瀬さんが時計で時間を確認する。 「あ、十一時半です。すみません。僕、随分寝てたみたい。今、食事を作りますから」 「あ、手伝います」 「大丈夫。ゆっくりしてて。あの、秋君……本当に、昨日の夜は……」 「あああっ! あの、ゆっくりして待ってますから! 写真集、見てます! はい!」  話題がまた夜の話に戻りそうな空気を俺は慌てて遮る。 「……じゃあ、待っててね」  そう言って河瀬さんはリビングダイニングを出た。  去り際の河瀬さんの顔に、どこか悲し気な雰囲気を感じた。

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