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第39話 不安の前触れは曇り模様にも似て

 俺は河瀬さんを待つ間にその辺にある適当な本を読んで過ごした。  本は河瀬さんに言った通りに俺も写真集を選らんだ。  選んだのはパンダの写真がひたすら載った写真集。  パンダは好きだ。  可愛いから。  河瀬さんもパンダが好きなのかな、何て思う。  それにしても良かった。  河瀬さんと昨日の夜の事についてこれ以上触れずに済んだ。  ほっと息をつく。  パンダを見ている間に食事が出来上がり、河瀬さんがホカホカの湯気を上げたお盆を持って登場する。  俺は笑顔で河瀬さんと一緒に朝食を取った。  メニューは、ししゃもの干したのと大根の葉っぱのお味噌汁。  それとごま塩のおにぎり。  どれも美味しかった。 「ごちそう様」と手を合わせる頃にはシュメッタリンでのアルバイトの時間が迫っていた。  俺が食事の後片付けを手伝うと言うと河瀬さんは「秋君、アルバイトがあるでしょ。片付けは良いから早く店に行きなさい」と言ってくれた。  俺はお言葉に甘える事にする。  河瀬さんは玄関口まで見送ってくれた。  俺に手を振る河瀬さんは笑顔だった。  シュメッタリンへは徒歩で行けるので、俺は自分の部屋には戻らずに河瀬さんの部屋からそのままシュメッタリンへ向かった。  今日の仕事は忙しく、アルバイトの時間はあっという間に終わった。  マスターに、「お疲れ様です!」と元気に告げて俺はシュメッタリンを出た。  これから河瀬さんとの夕食が待っていると思うと心が躍る。  早く帰ろう。  そう思った時。  スマートフォンが着信を告げた。  スマートフォンを見てみると河瀬さんから電話だった。  俺は速攻で電話に出た。 「もしもし」と言うと、「もしもし、秋君」と河瀬さんの声が聞こえる。 「今、話し大丈夫かな」  訊ねられて、「はい」と明るい声で告げる。  河瀬さんは一秒ほどの間の後に「実は、今、体調がすぐれなくて。秋君申し訳ないけど、今日の夕食、一人で済ませてもらえませんか」そう言う。 「え」  俺は言葉に詰まった。  河瀬さんが体調不良。  心配な気持ちがどっと溢れて来る。 「そ、そんなに具合が悪いんですか? 俺はいいけど河瀬はちゃんとご飯食べられる状態なの?」  もしも料理を作るのも億劫なほどに体調が悪いのなら、おかゆとか作って持って行ってあげよう。  そう思う。 「大丈夫です。僕は秋君から血を頂いたばかりですから。心配しないで下さい。今日は、もう休みますから。これで」 「あ、はい。お休みなさい」  俺がそう言うと電話が切れた。 「はぁっ」とため息。  河瀬さん、大丈夫かな。  今日は久しぶりにコンビニへ行こうと思った。  俺は一人、自分の部屋でコンビニで買ったおにぎりとインスタントの味噌汁を飲んでいた。  久しぶりのコンビニ飯は美味しかったが、どうも味気ない。  それは、この静けさのせいだと気付く。  ずっと、毎日、河瀬さんと会話をしながら食事をして来た。  その時間が当たり前になっていた。  でも、今日は違う。  俺は一人だ。  一人きりの食事がこんなにも静かで、寂しいだなんて。  河瀬さん。  今頃、何をしているのだろうか。  体調、まだ良くならないのかな。  連絡……してみようか。  そう思った時。  スマートフォンが着信を伝える。  もしや、と思ってスマートフォンを見ると河瀬さんだ。  俺は電話に出た。 「河瀬さん。体調どうですか?」  直ぐにそんな台詞を言う俺。  河瀬さんは気まずそうな声で、「まだ、良く無くて。申し訳無いんですけど、明日も秋君一人で食事して欲しいです。ちょっとゆっくり休まないとダメかもなので。こめんなさい」と言う。  息が詰まる。  俺が何も言わないでいると河瀬さんは「大丈夫ですから。ゆっくり休めば直ぐに元気になります」と言う。 「はい。分かりました。河瀬、お大事に」 「ありがとうございます。じゃあ」  電話が切れる。  俺はスマートフォンを持ったまま、底なしの不安に駆られる。  河瀬さん。  本当に大丈夫なのか。  今、直ぐにでも顔が見たい。  でも。  体調が悪いのに訪ねていったら迷惑だよな。  そう思って俺はグッと我慢をした。 「河瀬さんが早く元気になります様に」  何にともなく、俺は願った。  次日も。  そのまた次の日も。  河瀬さんは電話で体調不良を訴えて一緒に食事が出来ないと言う。  心配で。  不安で。  顔が見たい。  お見舞いに行きたい、そう河瀬さんに言ったけど、風邪みたいだから、移すと悪いから、と言って断られてしまった。  風邪なら仕方ない、と思いつつも、朝のごみ出しでも会わなくなったし、やっぱり心配で。  ある日、電話で話す時、「病院には行ったの?」と訊いてみた。  すると河瀬さんは「吸血鬼は病院には行けないんですよ」と言って笑った。  その笑い声が唯一の救いだった。  まだ、笑ってくれるのなら大丈夫だ。  そう思えた。  河瀬さんの顔を見なくなってから五日後の土曜日。  俺はシュメッタリンでアルバイトに精を出していた。  でも、頭の中は河瀬さんの事でいっぱいで、仕事に集中出来ないでいた。  だからなのか、今日は失敗も多くて、度々マスターに叱られた。  やっと訪れた休憩時間に、マスターが、「どうかしたのか?」と訊ねて来た。  俺は、「どうもしません」と答えた。  河瀬さんの事を考えて仕事がおろそかになっただなんて言える訳が無かった。  でも、マスターは、「あいつの事でも考えていたんだろ」とあっけなく見破った。 「どうして分かったんですか?」 「君が元気が無い時は大抵、あいつの事だろ」とバカにした様にマスターが言う。  俺は少し不貞腐れた。  マスターが、「で、どうした」と少し柔らかい声をして言う。  それで気が緩んだ俺はマスターに「河瀬さんが風邪を引いているみたいで。部屋に引きこもっちゃってるんです。全然会えなくて。毎日一緒にいたのにそれも無くなって……河瀬さんが心配で堪らなくて」と話した。 「風邪? あいつが風邪だって言ったのか?」  マスターの眉間に皺が寄る。 「はい」と俺が答えると、マスターは、「あいつもバカな嘘をつくもんだな」と意味深な事を言った。  河瀬さんが嘘?  何で? 「あの、嘘ってどういう事ですか?」  不安に飲まれそうになりながら俺は訊いた。 「ふむ。まあ、話してもいいか。吸血鬼は風邪を引かない」 「え」 「何か、君に会いたくない理由でもあるんだろうよ」 「え」 「まあ、あんまり気にするなよ。あいつは気まぐれな所があるからな」  そう言ってマスターはコーヒーを実に美味そうに啜った。  気にするな、何て言われても気になってしまう。  いきなり色んな情報を得て脳がオーバーヒートを起こしている。 「まあ、本人に訊いてみろよ」とマスターは言う。  河瀬さんに嘘の理由を聞く。  何だか凄く怖い事な気がする。  でも。  そうだよな。  くよくよせてても仕方ない。 「そうしてみます」  俺は強く決意するのだった。

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