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第40話 不協和音の夜に
シュメッタリンでのアルバイトを終えた俺は真っ直ぐに住み家のアパートに向かった。
足取りは随分と重たかったが、でも、頑張って歩いた。
アパートに着くと河瀬さんの部屋の玄関扉の前に立った。
そして、大きく深呼吸してインターホンを鳴らす。
俺の緊張した気持ちとは裏腹にインターホンは軽くて可愛らしい音を鳴らした。
インターホンを鳴らしてから数秒経ったが反応が無い。
河瀬さん、寝てるのかな。
でも。
俺はもう一度インターホンを押した。
これで出なかったら今日は諦めよう。
そうやって自分を甘やかした。
ドキドキと扉の向こう側の動きを待つ。
それは凄く長い時間の様に感じた。
「……はい」
河瀬さんがインターホンに出た。
怠そうな声だった。
「あの、河瀬っ、一ノ瀬だけど」
当たり前の事を言う俺。
「はい」と河瀬さん。
「あの、俺、心配で。顔だけでも良いから河瀬の姿を見たいんです。あの、少しでも良いから」
勇気を出して言った言葉だった。
しかし。
「ごめん。風邪が秋君に移るといけないから。会えないんだ。ごめんなさい」と何処か冷たい台詞が返って来た。
「で、でも……」
俺は食い下がる。
けど。
「ごめんね。じゃあ……」
インターホンが切れた。
河瀬さん。
どうして?
俺はどうしたら良いのか。
諦めて帰るのか?
このままだと一生河瀬さんに会えない気がする。
そんなのは耐えられない。
俺は再びインターホンを鳴らした。
二回。
三回。
四回。
河瀬さんはインターホンに出なかった。
そんなに?
そんなに俺の顔を見たくないのか?
どうして?
「河瀬っ! 河瀬っ!」
思いきり扉を叩いた。
ご近所迷惑顧みず、だ。
「河瀬っ!」
どんなに扉を叩いても河瀬さんは顔を見せてくれない。
インターホンにも出ない。
「くそっ!」
俺は両手の拳を扉に思いっきり叩きつけた。
どうして。
俺ってマスターが言う様に本当に避けられてる?
それは凄く恐ろしい事だった。
河瀬さんに距離を置かれている。
そう思ったら寒気が走った。
「河瀬……さん」
今、顔が見たい。
河瀬さんの話しが聞きたい。
声が聞きたい。
そうでないと不安で死んでしまいそうで……。
そんなの。
そんなのって……。
「よし!」
俺は決断をした。
カバンを漁り、目当ての物を見つけると、それを目の前に掲げる。
河瀬さんから貰った河瀬さんの部屋の合鍵。
お守り代わりにいつも持っていた。
これを、こんな事の為に使う事になるなんて想像もしていなかった。
俺は合鍵で玄関扉を開けた。
そして音を忍ばせて勝手に河瀬さんの部屋の中に入る。
河瀬さんの部屋の中は薄暗かった。
そっと靴を脱いで、真っ直ぐにリビングダイニングへ向かう。
キッチンを通り越してリビングダイニングの扉の前に立つと、ノックをして「河瀬っ」と呼びかけた。
我ながら頼りない声だった。
扉の向こう側から返事は無い。
俺は息を呑んで扉を開いた。
はたして河瀬さんはリビングダイニングにはいなかった。
毎日楽しく二人で過ごしたこの空間は俺を拒むかの様な圧倒的な静寂に満ちていた。
それはまるで全力で俺に帰れ、と言っている様に俺の目に映る。
本当に、このまま帰りたくなる。
だけど。
河瀬さんに会いたい。
此処にいないとすると、寝室だろうか。
俺は震えながら寝室へ向かった。
そうして寝室の扉の前にしばらく立ち尽くしていた。
悩んで。
悩んで。
悩みまくった。
それで答えが出た。
絶対に河瀬さんに会う。
俺は扉をノックした。
「河瀬っ。一ノ瀬です。勝手に入ってごめんなさい。でも、どうしても河瀬に会いたくて」
俺がそう言うと寝室にから物音がした。
人が動く音。
「秋君。ごめんなさい。風邪が移るからそのまま帰って下さい」
弱弱しい河瀬さんの声。
「帰りません。あの、シュメッタリンのマスターから吸血鬼は風邪を引かないって聞きました。河瀬さん。何で嘘何か付いたんですか? 俺に会いたくないですか? 俺の事……嫌いに……」
段々と声が涙声になっていった。
どうか、そうじゃないと言ってくれ。
お願いだから。
「帰れ!」
河瀬さんのものとは思えない怒鳴り声だった。
その一撃にショックが走る。
それから、物凄くムカついた。
何だよ。
それ。
何で……。
「帰りません。開けますから!」
そう言って俺は勢いよく扉を開いた。
寝室の中は電気が落ちて、カーテンも閉まり暗かった。
ベッドの布団がこんもりと膨らんでいた。
布団の隙間から河瀬さんの金の目が光っている。
布団を纏い、河瀬さんは「帰れ!」と再び俺に言う。
俺は走り出す勢いで河瀬さんに近付いて河瀬さんに掴みかかった。
「帰れって何だよ! 嘘ついてまで何で俺を遠ざけるんだよ! 俺が嫌いになったなら、そう言ってくれたら……」
そうしたら、いくらでも自分のダメな所を直したのに……。
涙が溢れた。
最悪だ。
こんなの。
泣き出す前に、体が強い力でくるりと返された。
天と地が逆転した衝撃に瞑った目を開けば俺はベッドの上にいた。
そして河瀬さんが俺の真上にいて。
何が何だか分からなかった。
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