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第42話 雨の日に空いた隣の席を見つめることはどうしようもなく切なくて
どれくらい暗闇の中にいたのか分からない。
夢か現実か。
たまに河瀬さんの名前を呼んだ様な気がする。
俺は不意に目を覚ました。
体が物凄く怠い。
起き上がろうとするもそれも出来なかった。
俺はしばらく仰向けのまま、ぼうっとした。
何も考えられない。
怠さと眠さの間で、俺は何とか起き上がる。
そして、ふらふらとした足取りで、そのまま河瀬さんの部屋を出て、自分の部屋へと向かった。
自分の部屋の玄関扉の前に立つと、パンツのポケットを漁る。
ポケットには二つの鍵。
河瀬さんから貰った合鍵と自分の部屋の鍵だ。
不細工な猫のマスコットのキーホルダーの付いた鍵を玄関扉の鍵穴にねじ込む。
開いた扉を開く。
扉は物凄く重たく感じた。
俺は裸足だった。
でも汚れた足を気にする事も無く部屋に入り、真っ直ぐに寝室に向かった。
寝室のベッドに倒れ込むとそのまま目を閉じた。
深い眠りの中へと入って行く。
再び目が覚めた。
霧がかかったみたいな頭の縁で、今が何日で何時何だろう、と思う。
ベッドの横のサイドボードにあるデジタル時計をぼうっと見れば今が月曜日で時間は朝の十時半を過ぎた所だと分った。
自分が昨日、丸一日眠っていた事が分かり、ゾッとする。
今日は大学があるが完璧に遅刻だ。
俺は体を動かそうとする。
怠くて、俺の動きはロボットみたいにぎこちない。
エンジンのかからない頭で河瀬さんの事を考えた。
河瀬さんが、人が変った様に自分の血を求めたのは何故だろう。
答えは見つからない。
そこで俺は、はっとした。
「河瀬さん!」
俺はいてもたってもいられなくなり、重たい体を引きずって河瀬さんの部屋へと向かった。
インターホンを押すが応答が無い。
俺はしばらくその場に立ち尽くしていた。
どれくらいそうしていたのか。
もう一度インターホンを押してみる。
応答は無い。
遠慮がちに扉をノックするがやはりと言うべきか、静けさだけが返って来た。
ふと、ドアノブに触れてみる。
そのまま何となく扉を引いてみると扉が開いた。
びっくりした。
河瀬さんは玄関の鍵を掛け忘れたのか。
俺は、「すみません」と玄関から顔をのぞかせて声を掛けた。
でも、返事は無い。
覗いた部屋の中は薄暗くて、静かだ。
俺は何処からか湧いて来る怖い、という気持ちを殺して部屋の中に入った。
河瀬さんの名前を小さく呼びながら部屋の廊下を歩く。
扉の開け放たれたリビングダイニングの中に入るも、そこに河瀬さんの姿は無かった。
中央のソファーに俺のカバンが置いてあった。
こんな所にカバンを置いた記憶が無いので河瀬さんが置いたのだろう。
俺はカバンを持つと肩にかけた。
そうして何げなくテーブルの上に目を向ける。
テーブルは綺麗に片付けられている。
そのテーブルの上に真っ白なメモがあった。
そのメモには。
ごめん。
と一言書いてあった。
これは。
これは俺へのメッセージだ。
「河瀬さん! 河瀬さん!」
思いきり声を出しながら部屋中を回った。
寝室。
風呂場。
トイレ。
ベランダ。
そうして分かった事。
河瀬さんは部屋にいない。
俺は急いで肩にかけたカバンからスマートフォンを取り出すと河瀬さんに電話をした。
しかし河瀬さんは電話に出ない。
何回かけても出てくれない。
俺はメールを打った。
河瀬さん、会いたい。
そう書き込んでメールを送信する。
そうしてその場に座り込んだ。
膝を抱きながらメールの返事を待った。
どれくらい待ったか分からなくなったころ、俺はまた、河瀬さんに電話をする。
電話は繋がらなかった。
丁寧な留守番電話の案内が流れる。
「河瀬っ、会いたいです。今、何処ですか?」
そう留守番電話に声を吹き込む。
それから俺はその場を動かずにじっとしていた。
夜が来た。
俺は飲まず食わずで河瀬さんの部屋の廊下にずっと座り込んでいた。
もう直ぐ日付が変わる。
大学は結局休んだ。
今、凄く眠たい。
でも、寝たらダメだと閉じそうになる目に気合を入れて。
そうしていると一日が終わった。
河瀬さんから連絡が来ない。
これは非常事態では?
動かなきゃ。
そう思うのに酷く眠たくて…………。
ふっ、と目が覚めた。
いつの間にか朝が来た。
眠ってしまった自分を呪う。
スマートフォンを速攻で見る。
河瀬さんからの連絡は無い。
ふらつく足取りで狂った様に部屋の中を回る。
河瀬さんは……此処にはいない。
今まであったこの空間の、その空気を、一切感じない。
俺はカバンを背負い、河瀬さんの部屋から出た。
自分の部屋へは帰らない。
怠い体を何とか動かしてアパートから外に出た。
今日は大学は休む。
河瀬さんに会うんだ。
俺はがむしゃらに街を歩いた。
河瀬さんがいる場所の心当たり何て全くない。
行き当たりばったりで歩くだけ。
河瀬さんといつも行くスーパー。
朝顔を買った花屋。
それとコンビニ。
何処にも河瀬さんの姿は無かった。
途中で何度もアパートの河瀬さんの部屋へ寄った。
ひょっとしたら河瀬さんが部屋に帰っているかも知れない、そう思うと自然と足が向いた。
でも、当然の様に部屋には誰もいなくて、また街へと繰り出す、を繰り返す。
都会の広い街の中。
この何処かに河瀬さんがいるかも知れない。
そう思うとくたくたの体は自然と動いた。
歩きながら、何度も河瀬さんに連絡を入れる。
でも、河瀬さんに繋がらない。
深いため息が漏れた。
それに答えるかの様に曇り空から雨が落ちて来た。
街行く人達は皆、傘を広げる。
俺はそんな物持っていなかった。
天気予報何か観ていられなかったから。
都会の真ん中で俺はずぶ濡れになっていく。
それでも、俺の足は止まらない。
雨のせいか段々と心細くなって来る。
この広い都会の中で河瀬さんを見つける事が出来るのだろうか。
俺は天を仰いだ。
大粒の雨が顔に当たって弾ける。
冷たい。
冷たい雨が頬を伝って流れた。
まるで涙みたいに。
この雨はいつまで降り続けるのだろうか。
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