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ー波乱ー52

 和也は、あのギャラリーの輪の中から、裕実の悲鳴のような声を聞いた気がしたが、それ以降まったく裕実の声が聞こえてこない。  むしろ、この付近には患者どころか、誰の気配もしないように感じられる。多分、さっきの和也と女性のやり取りに皆が野次馬をしていたせいだろうが、動けない患者は病室に残っているはずなので、この辺りは静かで、ただ気配を感じられないだけなのかもしれない。  和也は廊下の真ん中で一人、ぽつんと立ち尽くしている。  辺りを見渡してみるが、何度見てもこの辺りには誰もいないように思える。ただ風が窓を揺らす音だけが響いていた。  和也はふと思い出したように、高校の時に親にもらった腕時計に目をやる。  時計の針は午後一時を指していた。  そして、今日の裕実が昼食堂にいなかったことを思い出す。 「今日のこの時間、裕実の仕事って……?」  和也は裕実の仕事を思い出そうと腕を組む。 「確か、今日は……検温か? ってことは、この時間はこの辺りを回っているはずだけど……? 話し声一つも聞こえてこないってどういうことだ?」  和也はふと、この辺りにある入院患者の名札を見上げた。すると、この一帯は個室病室が並んでいることに気がついた。 「ああ、だから向こうの病棟より静かなんだな!」  和也は納得したように呟く。  確かにエレベーター前の右側の病棟は賑やかな感じがするが、そこは六人部屋などがあるからだろう。入院中、大部屋では隣のベッドの人と話すことが多く、仲が良くなるとお喋りもするだろう。だが、個室は完全に一人だけの空間なので、見舞客が来ない限り静かだ。  和也は、さっきの出来事を思い出し、何か推理を始めたようだ。 「個室に……裕実の悲鳴……?」  和也は廊下で一人、そう呟き、嫌な予感が頭をよぎった。  裕実も、この病院で働き始めてもう半年ほど経っており、和也並みに仕事ができるはずだ。一人の患者に何分もかかるわけがない。  和也がこの場所に来てから、すでに五分以上が経っていたが、裕実がこの辺りの病室から出てくる気配はない。  和也は息をつくと、額に流れる汗を拭った。 「ここにいても埒が明かねぇなら、一部屋ずつ回るしかねぇか……」  そう独り言を漏らすと、和也はその言葉を実行に移した。  その和也の行動を見ていた人物が二人いた。それは望と雄介だ。

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