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ー決心ー90
「貸しは貸し……」
歩夢のその言葉に、雄介は少し考えてから答えた。
「なぁ、それって、『借り』とちゃうん?」
「『借り』?」
「多分やけどなぁ。歩夢が言いたいんは、『今回は俺に頼まれてやるけど、次回お前が困った時には俺に頼むことができる』ってことやろ?」
「うん。そういうこと……」
「ほんなら、『借り』やと思うんやけどなぁ」
雄介は納得いかない顔をしながら続けた。
「『貸し』と『借り』やと、意味がちゃうやんか」
すると歩夢は少しムッとした表情を浮かべ、勢いよく言い返した。
「もう、そんなのどうでもいいじゃん!『借り』でも『貸し』でも! 僕は今までアメリカにいたんだから、たまに間違えることだってあるんだよ! むしろ、こんなに日本語を話せる方がすごいと思わない? 雄兄さん、人間が小さすぎるよー!」
歩夢は肩をすくめながら、不満をあらわにした。
「たった一言、僕が言葉を間違えたことでそんなに言ってくるなんてさぁ!」
雄介は内心ため息をつきたくなったが、それをぐっと飲み込んだ。彼はただ、『貸し』と『借り』の違いを確認したかっただけだ。それなのに、こんな風に言われるとは思ってもいなかった。
雄介は深く息を吐き出し、気を取り直して言った。
「ま、ええわ。とりあえず、歩夢、行って来てくれへんか?」
「だから、それはさっきっから言ってるでしょ?でも雄兄さん、これは借りでいいの?って聞いてるだけじゃん!」
普段は穏やかな雄介も、さすがに苛立ちが募っていた。こんな事故が起きている状況で、歩夢が言葉の定義についてしつこく絡んでくるのだから。今は人命救助が最優先だということが、どうやら歩夢の頭にはないらしい。
しかし、歩夢の性格をよく知っている雄介は、このまま押し問答を続けても解決しないことを理解していた。
雄介は怒りを抑えつつ、拳を握りしめながら静かに言った。
「ほな……歩夢……頼むで……」
歩夢はふっと肩の力を抜くと、立ち上がった。
「分かったよ。雄兄さんの頼みなら、僕が行ってきてあげる。さて、今度は何をしてもらおうかな?一日デートっていうのもいいよねぇ……」
最後の方は独り言のように呟きながら、歩夢はまず座席の下の部分を踏み台にして体勢を整えた。
天井側の窓に手を伸ばそうと軽くジャンプをする。少しずつコツを掴み、窓枠に手が届く位置まで来ると、力を込めて体を持ち上げた。
これで電車からの脱出は間違いなく可能だった。
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