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第8話 其実

〈一〉 優しく誰かに撫でられている感触がして、瞼を開ける。 「ユウ、起きた」 その手はショウさんのものだった。 腰のあたりにシーツを纏い、片肘をついてベッドに横になっている姿は、まるでいつか映画で見た事後のシーンそのものだった。 一応誤解のないように言っておくと、ショウさんは服を着ている。 (さっき俺……そのまま寝てた!?) 互いに果てたその直後、射精後特有の開放感と倦怠感とで急激な眠気に襲われ、どうやらそのまま眠ってしまったようだった。 自分にだけ丁寧に掛けられている布団の中で、こっそり全裸であることを確認し、ショウさんの様子からも今回は夢でないと分かると、それはそれで先程の痴態が思い起こされ、いたたまれない気持ちになった。 「あの、俺、寝ちゃって……」 すみませんなのか何なのか、こういう時のマナーが分からず口籠ってしまった。 「うん、俺も少し眠ってた。体、大丈夫?」 ショウさんの声が甘い。 「はい、大丈夫です」 そうは言ったものの、とても目を合わすことが出来なくて、顔の半分まで布団を覆った。 けれど布団からもショウさんの匂いがして、余計に顔が熱くなる。 あまりの初々しさに、ショウの中ではまたしても燃え立つ衝動が蘇りそうになったが、同時に愛しさが込み上げてきて、まずは大事なことを伝えなければと、なるべく普段通りを努めることにした。 「そういえば、さっき凄いこと言ってたから、ちゃんと話しておきたいんだけど」 ショウの手が軽く頭に触れる。 親指だけ動かして、髪の感触を確かめられている。 「俺と勇磨は、今も昔も何にもないからね。あいつは俺とユウの事を揶揄ってるだけだから。誤解を生む可能性もよく分からないんだけど、確かに他のメンバーに比べたら、考えてることが似てて色々話せる事があったり、バンド内の役割的にも同じだったから、仲良さそうに見られたのかも。でも実際そんないいもんじゃないし。恋愛対象なんかとは、到底遠い存在だよ」 (あ、そのことか……) ユウはすっかり先程の情事において、何か良くない点があったのかと不安になっていたが、そうではなかった。 それに「あの衝撃」で、すっかり頭から飛んでいた勇磨さんとの事も、どうやら杞憂に終わりそうなのが分かり、やっと布団から顔を出すことができた。 「そうなんですね。ちょっと安心しました。でも、勇磨さんも同じ気持ちなんでしょうか?」 ショウは大層自信満々に答える。 「そうだよ。俺たちお互いに全っ然タイプじゃないからさ」 (まぁ、好きになるタイプは似てるんだけど) 言いかけてショウは口を噤んだ。 「そう、なんですか」 『タイプ』という言葉にドキリとして、ユウは目を瞬かせる。 「前にさ、打ち上げの時。勇磨と一緒にどこかにいなくなったことあったでしょ。覚えてる?ユウが間違えてお酒飲んだ日」 「あぁ……、はい」 飲酒、流血、抱擁… 単語を並べただけでも、これまでの自分の人生において、縁のない出来事ばかりだ。純粋にライブだけを楽しんでいた日々は、一体いつのことだったか。 すると、それまで春風のように髪を撫でていたショウの手が止まり、ユウの視線は自然とショウを探した。 「あの時、一緒にいたのが勇磨じゃなかったら、二人でなんて行かせなかったから」 またもショウの目に捉えられる。 「まぁ、当時その程度でイラつくまでには、もうユウのこと気になってた」 「っ……はい」 口元は僅かに微笑んでいるけれど、視線の奥からはどことなくショウから目を逸らしてはいけはいような、引力みたいなものをユウは感じていた。 (なんかそれ、嬉しいしかない) ユウもまた、心の中に溜めている気持ちを今まさに伝えなくてはと思い、出来るだけ思ったまま口にした。 「自分でも後で気付いたんですけど、俺も、もう結構前からショウさんと勇磨さんの仲に嫉妬していて。あの時はまだ、もう少し純粋な気持だったとは思います。俺が知らない頃のショウさんの話が聞けて嬉しくて……」 ユウは体をしっかりショウの方に向き直り、正面から誠意を込めて言葉を紡いだ。 「それに、俺にとっても、ショウさんと一緒に過ごす時間は大切なんです。初めて経験する事とか、知らなかった感情とか、そういう心が動く瞬間って、今、全部ショウさんといる時なんです。さっきはちょっと気持ちが溢れすぎて、乱暴に伝えてしまったんですけど……俺は……もっとショウさんを知りたいし、一番近くにいたい」 あの冬晴れのベンチでジュンに話したことを、ジュンが気付かせてくれた大切な気持ちの輪郭をなぞるように、ユウは語気を強めた。 それまで真剣な面持ちで話を聞いていたショウの表情が、ふっと綻んだ。 「うん、ありがとう。すごく嬉しい」 今あるすべての語彙と力を振り絞るために強張っていた体から、ほどけるように力が抜けていく。そのまま伸びてきたショウの腕に、されるがまま抱き寄せられる。 「でもそれなら、尚更俺を差し置いて他の男についていくなんて解せないな」 ホッとしたのも束の間、頭上のショウが突然声色を変えてなじり始めたので、ユウは勢いよくショウの中から飛び起きた。 「違います!あの時は勇磨さんの方が後に……」 すぐに誤解を解こうと口走ったが、もう一つ大事な事をすっかり忘れていた。 「わっ、え、あっ……!」 赤面して慌てるユウを見ても、ショウは動じない。それどころか、さっきよりももっと柔らかくて、心の奥まで包み込むような声で囁くと、ユウの額に啄むようなキスをした。 「分かってるよ」 〈二〉 「俺も今だから話せるけどね。勇磨が手を出すようなことはないって分かってても、戻ってきたら二人仲良くなってるし、ユウもなんかすごく楽しそうだったのは、結構ショックだったな」 まんまるで漆黒の両の目は、何も語らない。 それもそのはず。今、ショウは作業デスクの傍に飾っている木彫りの梟に語りかけているのだから。 『とにかく一度服を着させて欲しい』 『着替えているところは絶対見ないで欲しい』 そうユウが懇願するので、仕方なくベッドを去り、壁際の梟に向かって一人寂しく話しているのだった。 「こないだもまた懲りずに二人で何か話してたし。あれ、距離間おかしいだろ。あいつ、ああいう時だけは俺のことよく分かってるの、ほんっと嫌だわ。なぁ、そうだろ?フクロウちゃん」 「ショウさん、……」 ユウが呼び掛けてもショウは聞こえないフリをした。 まさにこれから蜜月の刻を、という時に、ユウが服を着たいだのあっちに行けだの言うから、少しは仕返ししたくなって、ショウは少しいじけたフリをしている。 着替えが完了したのか、衣擦れの音は止んでいるのに近付いてこない。 ユウのことだ。きっとベッドの横で所在なげに立っているのだろう。 「原因はいつもショウさんなのに」 「えっ?」 ユウがぼそりと呟いたのだが、その声色の不貞腐れように思わず振り返ってしまった。 予想通りベッドの脇に立ってはいるが、その表情は意外なもので、ショウがしていたよりもっといじけた顔をしている。 口をむんずと結び、目が座っていて、いかにも不満げな顔をしている。 (うわ、猫みたい) 不謹慎にも可愛いと思ってしまった。 ユウは、こんなくだらない事を考えているなんて、思いもしないだろう。 可哀想に、何か一生懸命説明しようとしている。 「あの、さっきも言いましたけど、最初はショウさんを知らなかった頃の話が聞けて嬉しかっただけなんです。ちょっと距離が近い人だなぁとは……思いましたけど。こないだだって、勇磨さんの方から、ショウさんと特別な関係なんだ、みたいな事言ってきて。なんか男同士でアレを……その、するとか。もしかしたらショウさんとそういう事を、とか考えたくなかったし、そんなの俺だってショウさんとエッチなことをしたいと……」 話しながらまずいと思ったのか、一旦口をつぐんだが、また取り繕うように必死に訴えてきた。 「あの! 突然勇磨さんが経験ないのか?って聞いきて、そういうの分からないし、どこを触ったらいいのかとか、あの……、その、でもショウさんとならどこでも気持ちいいと思うんじゃないかって……うわ、なんかもうすいません!」 (マジか……そんな可愛い事考えてたのかよ) 今すぐにでも全身舐めまわしたっていい気がしたが、きっとユウが言っているのはそういう意味ではないことくらいは分かるので、必死に下腹の欲を抑え込む。 「ユウくん、君って、たまに結構な爆弾投下してくるよね。俺の理性、試されてるのかな」 精一杯強がった。 「いや、そういうつもりじゃ、いや……別に、あの、そうなんですけども‼︎」 ユウがブンブンと両手を左右に振りながら、首まで真っ赤にしている。 (なんだよ、そうなのかよ) あまりにあたふたするユウを一日で二度も目にしたら、だんだん面白くなってきて思わず吹き出した。 「なっ、ショウさん……」 更に情けない声を出すものだから、余計に面白くなって笑いが止まらない。 「あははははは‼︎ ごめん、ちょっとからかいすぎた! はぁー、ちょっと待って」 笑いを堪えようとすると、どうして余計に面白くなってしまうのだろう。 いつの間にかユウにも伝染して、二人して笑いが止まらなくなった。何が面白くて笑っていたのか、分からなくなるほどに。 「あぁ、なんかひとしきり恥もかいたし、もう開き直るしかない気がしてきました」 力の抜けた笑顔に、また可愛いと思った。  「色々気付けてなかったこととか、勝手に思い込んでることも、ちゃんと聞いてみるものだなって思いました」 「そうだね。これからは何でも話そう」 目が合ったらまた笑いが込み上げてきたので、訳が分からなくなる前に、ユウを強く抱きしめた。

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