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第9話 花盛
〈一〉
心を交わしてから約一ヶ月。
もともとイベントごとには無頓着な二人だが、世の人々は其処此処で盛大にクリスマスムードに湧き立っている。
「前倒しだけど、今度飯食う時にケーキでも食べよっか。前にタクヤから聞いたケーキ屋が近くにあるから、こだわりなければ俺が用意しとくよ」
ショウの提案で、夕食後はショウの家でクリスマスケーキを食べることになっていた。
迎えた12月22日。
「ショウさん、ケーキの用意ありがとうございます。クリスマスなので……俺も、プレゼントです」
この日の約束が決まった後、折角なのでと、ショウが気に入っているセレクトショップで、ダークブルーのマフラーを購入していた。
「わ、気遣わせちゃったね。でもありがとう、好きな色! おー、気持ちいい」
ショウは早速首に巻いて肌触りを楽しんでいる。
「よかったです。のど冷やさないようにと思って。たまに使ってもらえたら嬉しいです」
「めちゃめちゃ使わせてもらう! あったかい。大切にするね」
ショウは本当に大事な物を扱うように、もう一度顔に滑らせてから丁寧にマフラーを畳むと、クローゼットに向かった。
「じゃあ、俺からも。やっぱクリスマスだしね」
そう言って、小ぶりな紙袋を取り出した。
紙袋に見覚えのあるロゴがあった。
「え、これ……」
「開けてみて」
手のひらサイズの小箱を開けると、前々から欲しいと思っていた革の財布だった。
「これ、気になってた財布! 話した事ありましたっけ?」
「いや、一緒に買い物行った時とかに、なんとなく。色は俺チョイスだけど、良かったかな?」
「はい! でもこんな高価なもの……」
「ま、たまには年上らしいことさせてよ。気に入ってくれたら嬉しい」
マフラーも色々考えて、何がいいか真剣に選んだのだけれど、あまりに金額の差がある気がして申し訳なく思ったが、ショウさんの言葉に救われた。ユウは素直に受け取ろうと思った。
「ありがとうございます。大切にします!」
「……あ、財布の中も見てほしい」
「はい。小銭入れのところ、差し色が入ってていいんですよね!」
小銭入れのところにゴツゴツとした異物感があったので開けてみると、銀色のカギが入っていた。
「あ、これ……?」
「ごめん、一回リボン外した。俺の家の鍵。持ってて欲しい」
ショウさんは口元を手で隠すように覆って、はにかんだ。
ユウの心臓が大きく跳ね上がる。
「大晦日にライブあるじゃん。ユウ来れそう?」
「もちろん行くつもりです」
「よかった。それで、もし大丈夫なら、ライブの後、俺の家で待っててほしいんだけど」
今度は心臓がぎゅっと縮む。
「……いいんですか?」
少し色素の薄い灰茶の瞳は、戯けているようにも見えない。
「日付変わるギリギリになっちゃうかもしれないけど、できるだけ早く帰るから。一緒に年越ししよう」
返事は一つしかない。
「はい、待ってます」
「……はぁー、よかった! なんか誘うの緊張しちゃった」
ショウさんに抱き寄せられ、その言葉と体温に現実なんだと信じられる。
「ライブの後って、興奮するっていうか、人恋しいっていうのか、気が立って眠れなくてさ。いつもユウに傍にいて欲しかった」
(ショウさん、そんな事考えていたんだ)
愛しい気持ちと切なさがこみ上げた。
「いつでも呼んでください」
「うん、ありがとう。これからは、ユウもいつだって来てね」
二人は見つめ合い、そのまま優しく唇を重ねた。
〈二〉
「えっ!? もしかして彼女??」
目の前の佐々木が、豆鉄砲を喰らったような顔をしている。
久しぶりに集まったメンツだが、『ライブの後は用事があるので一緒に帰れない』と言ったらこの表情だ。
ショウさんと相談して、二人のことはひとまずジュンと勇磨さんには報告する事にした。
同性だったり、ショウさんの職業柄、いろいろ複雑な状況ではあるので、佐々木や他のメンバーや家族には、時機をみてきちんと報告できるようになってから話すのでもいいんじゃないか、という話をした。
「うーん……ごめん、やっぱ今度話すよ」
上手く濁すことが苦手なので、そのまま話してしまおうかとも思うが、この場では例え触りだけだとしても、特に話しにくい。
「なんだよぉ、ユウ! ジュンは知ってるの?」
ジュンは何も言わずに笑っている。
「えぇ、俺だけ知らないの? まぁ今日のところはいいけど。今度ちゃんと話せよな!」
母には大学の先輩の家に泊めてもらうという話をした。
「ユウ君が外泊なんて珍しい! 楽しそうでいいじゃない?ご迷惑だけ掛けないようにね」
母は喜んでいた。
嘘は言っていないし、良しとしよう。
年末イベントということもあり、お楽しみ企画と名して、バンドの垣根を越えたコラボ演奏や、オーディエンス参加型の豪華プレゼント付きクイズがあったりと、ショウさん達もひっきりなしに動き回って忙しそうだった。
おかげで客席は一層盛り上がっていたが、いつものように隙をぬって話すことは無く、挨拶すらもままならなかった。
今回、BUTTER BUGSは中堅処として参加していて、イベントの半ばあたりで出演した。
最近、固定のファンが着実に増えていて、彼らが現れただけで、会場のざわめきが大きくなる。
(やっぱりショウさんの立ち姿、かっこいいな)
ユウは、ショウが演奏前にマイクスタンドを調整する姿が好きだ。
ギターを肩にかけてスタンドの正面に立つ。
自分の口元にマイクを合わせてから、綺麗な手で二回ぎゅっと握る。
それから、会場の奥の奥まで見えているかのように、前を見据える。
その単純だが一つも狂いのない、流れるようなルーティンにいつも目を奪われてしまうのだ。
メジャーなアーティストの場合、専属のスタッフがライブ前に出てきて、楽器や機材の調整をし、音響テストをするのが一般的だが、まだデビュー前の彼らは、薄暗がりの中自分達でセッティングから撤収まで行う。
大規模イベントでは見ることが出来ない、ある意味貴重な時間だ。
ある記事でBUTTER BUGSがピックアップされた時、こう書いてあった。
“普段こそ穏やかで、いかにも誠実そうな青年という印象の彼らだが、ひとまずライブとなると、その爆発力は凄まじい。
それを最も顕著に体感できるのは、まさに演奏直前という時。
メンバーが臨戦体勢に入った瞬間の威圧感は、到底ハタチそこそこの若者が出せるオーラではない。その圧力に自然と観客も息を潜め、会場全体に緊張の糸が張り詰めたようになる。
彼等と観客と、その場に存在する全ての呼吸が合致した時、彼らは覚醒する。
始まったと思った頃にはもう遅い。
極めて完成度の高い演奏技術と、VO.(ボーカル)ショウの万人を惹きつける声。
BUTTER BUGSの襲来だ。”
その記事の通り、今、ステージの真ん中に立つショウさんは、目を閉じて何かに耳を傾けている。
会場全体が静まり返り、空気の音ですら煩く感じたその瞬間、眩い光が炸裂する。
静の重力から大きく解放された客席からは、歓声が上がる。
(わぁ……)
ユウも声にならない声を上げた。
一曲目はGメジャーの明るいアルペジオで始まる、BUTTER BUGSの名刺代わりと言っていいお馴染みの曲だ。
ユウは、今となっては、全ての曲を最初の一音で分かるまでになっている。
緩急付けた選曲で、会場の空気を激しくアップダウンさせ、観客の情緒も乱れに乱れた頃、最後のMCが入る。
「ふぅ。えーと……みなさん、こんばんは。こんな年の瀬にありがとう!楽しんでますか!?」
この頃にはショウさんも息が上がり、汗だくになっている。その後少しの間、メンバーを交えて会話したり、お客さんをいじったりしてまた会場を温める。
息を整え、また空気を和やかにしてから、最後の曲へと繋げていく。
「えー、今日はありがとう。次で最後の曲です」
開放弦の和音が、いつもよりもとても優しく響いた。
ユウも周りの観客も、その音に瞬時に反応して声が上がる。
しかし、ショウさんはまだ歌い始めず、BGMの要素でギターを奏でているだけだった。
ドラムのスミさんが、合間に小気味良いリズムのスパイスを加える中、ショウさんはふっと軽く息を吐き出してから、もう一度マイクを握り直し、すぐそばにいる誰かに語りかけるように、柔らかい声で言葉を紡ぐ。
「これまで、自分のことを掘り下げて掘り下げてって、曲を書くことが多かったんだけど。最近は、少し外に気持ちが向くようになった気がしてるんだよね。そういう変化が、今の自分にとっては、いい方向に作用してると思ってて。あと、最近は実家の猫のこと、よく思い出す。黒くてね、目が丸くて、めちゃくちゃ可愛い」
(あっ……)
ステージのショウさんと目が合った気がした。
「話題が逸れたかもだけど、そういう癒しがないとね、曲作りは孤独なわけですよ」
客席でちらほらと笑い声が上がる。
「まぁ、そんなこんなで命削って曲書いてるのね。で、めちゃくちゃ魂込めて作ったとはいえ、世に出て行ったからには、聴いた人にどんな風に感じてもらってもいいと思ってるし、作り手の意向をアレコレと押し付けるものでもないと思ってます。けど、今日は一年の終わりの特別な日だし。みんなも大切な人にしっかり思いを伝えて、また明日からの新しい日々を楽しく過ごしてください。僕はそんな気持ちをこの曲に込めました。そして、この曲が少しでも誰かの力になったらいいなと思ってます」
そして少し高い澄んだ声が会場を駆け抜ける。
「今日はありがとう、また会いましょう!」
もう一度力強くあの音が響き渡ると、会場の空気はまたビリビリと脈打ち、肌を刺激し始めた。
(好きだ、ショウさん)
ユウは、ライブが終わる寂しさと、今すぐにでも駆けつけて抱きしめたい衝動との間で、体が砕け散りそうになった。
ライブは大盛況のうちに幕を閉じた。
〈三〉
「お、お邪魔しまぁ……す」
明らかに主人不在の真っ暗な部屋ではあるのだが、一応人様の家に立ち入るのだから、口に出してから靴を脱いだ。
「鍵って閉めるのかな? でも閉めたらショウさん入れなくなっちゃうしな」
どうでもいい事が気になって、なかなか先に進めない。
「あぁー、やっぱいいライブだったな。俺も出たかったぁ!! おし、次までに頑張ろう!」
別れ際、佐々木が悔しそうな、でも誇らしそうな声で言っていた言葉を思い出す。
「ユウ、今度彼女に会わせろよ!!」
(あはは……彼女じゃなくて彼氏なんだけど。しかもショウさんなんだけどな)
佐々木に隠し事をするのは忍びないが、あいつは割とショウさんのことを崇拝している節があるので、軽い気持ちで話せない。
しかも、良くも悪くも素直な奴だから、きっとすぐ表情に出る。
万一それが否定的な反応だったらと思うと……
もう少し様子を見てから話そうと思った。
「よし、ひとまず失礼しまーす」
もう一度確認してから、部屋に上がった。
もう何度目かの訪問なので、部屋に入ればある程度勝手は分かる。
テーブルにはショウさんが用意しておいてくれたお菓子とカップラーメン、そしてメモ用紙が一枚。
『ユウ LIVEおつかれ!
カップとか飲み物はいつもの所
この辺好きに食べてて』
こういう何気ない気遣いが好きだ。
思い出したら、また会いたい気持ちが高まり、ショウさんの匂いがする部屋で、ショウさんの匂いがするベッドに顔を埋めた。
(早く帰ってきて、ショウさん)
「…ウ、ユウ……」
ぼんやりとショウさんの声がする。
(あぁ……会いたかった)
心の赴くままに腕を伸ばす。
「ユウ……ただいま」
自由の効く左手で、ユウの頭を優しく二度叩く。
「ベッドで寝ててよかったのに。遅くなってごめんね」
家に帰ると、ユウが床に座った状態でベッドに体を預けて寝ていたので、体勢が辛いだろうと思い声を掛けたら、寝ぼけたユウが抱きついてきたのだ。
前屈みにしゃがんだ状態のままのショウは、僅かに足の痺れを感じはじめた。
ライブで満身創痍の身体には正直堪えたが、そんな些細な事と思える程に、ユウの健気な行動はショウの心をじんわりと暖かくした。
一方ユウはというと、だんだん目が覚めてきて、ショウに会えた安心感よりも、大胆な行動に出た自分への羞恥心が勝ってきたので、そっと腕を解きながら軽く咳払いする。
「おかえりなさい、ショウさん」
「あれ、もう戻っちゃったのか」
ショウは「残念だなぁ」と優しい笑みをたたえながら、離れかけた体を自ら近付けてユウを抱きしめた。
「……た……かっ」
「うん」
胸の中に埋まったユウが何と呟いたのか分からなかったが、きっと相当可愛い事を言ったのだろうと決め込み、ユウの頭頂部にキスをした。
「あ……ライブハウスくさい」
ホコリまみれの古い機材と、ニコチンが付着した布の据えた匂いが混ざり合った、この独特なライブハウス臭。
(初めて会った時、ライブハウスなんかには全く縁のなさそうな子だったのに。今や一緒にいる相手が俺だもんな……)
ショウは少しの申し訳なさと、それと相反して、自分と同じ匂いをさせたユウともっと深いところで混じれるような期待感に浸った。
「わっ、ごめんなさい!俺、ベッドに頭つけちゃって」
「ううん、待たせてごめんね。お風呂入ろう」
本当は、抱きしめた腕を解きたくなかった。
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