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第4話 夏夜の邂逅④

 幻乃に前に立っていたのは、冷たく整った容貌を持つ男だった。濡羽色の黒髪は凛々しく結えられ、立ち姿には一分の隙もない。幻乃よりも頭一つは大きいだろう長身は、よく鍛えられた体格も相まって、腰に帯びた長刀がよく似合っていた。けれど、閉じた左目と、その上に走る縦一直線の醜い傷跡が、美しい容貌を痛々しく損なっている。  夜と朝とで印象がやや異なるとはいえ、その珍しい隻眼と目立つ容姿を見間違えるはずもない。  三条藩の若き主・三条直澄――あの日、幻乃を袈裟斬りにした張本人が、湯気を立てる土鍋片手にこちらを見つめていた。 「何の狙いが……、う、……っ!」  問いかけひとつ発せぬまま、腹に走った激痛に、幻乃はうめき、膝をつく。 「言わんことはない。起きて早々、元気なことだな」  呆れたように呟いて、土鍋を横に置いた直澄は、ひょいと幻乃の手から刀を取り上げていく。 「か、えして……いただけ、ますか?」    痛みに冷や汗を流しながらも、幻乃は直澄をきつく睨みつける。けれど、藍色の着流しを纏った直澄は、幻乃の抗議など聞こえぬとばかりに、取り上げた刀をさっさと鞘に納めて遠ざけてしまった。それどころか、土鍋の蓋をぱかりと開けて、湯気を立てるそれを「食え」と差し出してくる。  こちらの事情を一切合切無視した振る舞いに、こめかみがぴくりと引きつった。青筋を立てながらも、幻乃は必死で顔を上げ、笑みを張り付けて口を開く。 「……お戯れを。榊家に仕える俺が、なぜ三条のお方の世話になれましょう。俺の記憶がたしかなら、我が主人とあなた方は、戦場で向き合う仲であったはずですが」  三条藩は王制復古と国家の改革を掲げ、革命を押し進めてきた勢力の中核だった。一方の榊藩は、伝統的な藩制を支持する陣営として、何度も三条藩との勢力争いを繰り返してきた。  いわば仇敵である。   「あなたに切り殺される理由はあれど、食事を恵まれる理由はないはずです」 「くだらない。藩主の寝床に寝ておいて、いらぬ遠慮をする理由があるか?」 「恐れながら、俺も好き好んであなたの寝所に忍び込んだわけではありませんので」 「直澄」 「……はい?」  唐突に名乗りを上げた直澄を、幻乃は困惑しながら見つめ返す。子どもに言い聞かせるように、直澄は再度ゆっくりと繰り返した。   「三条直澄(なおすみ)だ」

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