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第5話 夏夜の邂逅⑤
「はあ、これはご丁寧に。存じておりますが。何しろあなたとは――」
「榊は家臣に礼儀を教えないのか?」
冷たく言葉を遮られ、思わず幻乃は口を閉ざす。直澄のとことん唯我独尊なふるまいが鼻にはつくが、なるほど名乗られておいて名乗り返さないのは、無作法には違いない。
居住まいを正して、幻乃は軽く頭を下げる。
「……失礼しました。俺は、間宮幻乃と申します。どうぞ幻乃とお呼びください。三条殿」
「堅苦しい」
――どうしろと?
ぴきぴきと見えぬところで青筋を立てながらも、忍耐強い幻乃は人当たりの良い笑みを崩さなかった。
「では、直澄さんと。……これまで何度も刀を交わしてきましたから、直澄さんのお姿もお名前も、もちろん存じておりますとも」
直澄さんが俺のことを覚えておられるかどうかは分かりませんが。
そう言い添えれば、「無論、覚えている」と一言で直澄は答えた。
認識されていたという事実に、わずかに胸が熱くなる。何しろ幻乃は、生まれてこの方、直澄ほど強い剣士を見たことがない。この男と斬り合うときが一番楽しく、興奮した。死線を挟んで向かい合うあの一秒の、あの幸福を、誰より近くで共有できた相手だとすら思っている。
その分、幻乃を生かして連れ帰ったのが直澄だという事実への、失望と怒りも大きかった。なぜあの瞬間に死なせてくれなかったのか。憎しみと呼んでもいいほど、ぐらぐらと煮詰まった感情を抱かずにはいられない。
「直澄さんとは何度も戦場でまみえたというのに、邪魔が入ってばかりでしたよね。ずっと再戦を望んでいました。……ようやく決着がついたと思ったんですが、残念です。俺を生かした理由は何でしょう?」
恨みがましい気持ちで問いかける。ぴくりと唇の端を歪めた直澄の顔が、嘲りの色を含んでいるように見えるのは、幻乃の気のせいだろうか。
「理由、か」
「情報ですか? それとも俊一さまへの揺さぶりで?我が主は家臣を大切にしてくださるお方ではありますが、ひとりふたり臣下を失ったところで、動揺するようなお方ではありませんよ」
「――敗者が理由を問えるとでも?」
今度こそ直澄は、まぎれもない冷笑を浮かべて言い捨てた。
かっと頭が熱くなる。辛うじて笑顔の裏に殺意を押し込めることはできたが、声が低まることは止められなかった。
「……そうですね。直澄さんのおっしゃる通りです」
ふらつく体をゆらりと起こし、幻乃は直澄を真っ向から睨みつける。
「ですが、聞かせていただけないというのなら、話したくなるようにするまで。今ここで、勝敗を覆してみましょうか? どのみち、榊と三条はまたぶつかります。わざわざ戦場に出る時を待つ必要もありますまい。路地で決したはずの勝敗を、汚したのはそちらなのだから」
切り捨てられる覚悟で、喧嘩を売った。直澄に斬られた夜、本来ならば幻乃は死んでいたはずだったのだ。今こうして生き永らえていることの方が耐えがたい。藩主に利くには過ぎた口だと、自覚しながら言い募る。
けれど、返ってきた言葉は、幻乃の想像の外にあるものだった。
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