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第11話 主と故郷⑤
答えにくい言葉を笑ってごまかし、幻乃は気を取り直して、「荷運びは、お屋敷までですか? お手伝いしましょうか」とお鶴に尋ねた。
「あら、ありがとうございます。でも、お気持ちだけでいいですよ。お出掛けするところだったんでしょう? どちらに行かれるんです?」
――来た。
幻乃はにいと唇の端をつり上げた。
お鶴は聞いてほしいことを聞いてくれる、良い娘だ。悪どく笑いそうになるところをぐっと堪えて、眉尻を下げた幻乃は、困ったような笑顔を作ってみせる。
「実は、榊藩の方の様子を見に行きたくて」
「まあ、榊藩ですか?」
お鶴は心配そうに唇に手を添えた。
「つい最近、戦が起こったばかりの場所ですよ? 街の様子もよくないと聞きますし、お怪我がしっかり治ってからにした方がいいんじゃない?」
「知り合いがそこで商売をしているもので、どうにも心配で。いてもたってもいられないんです」
「それは、お気の毒に……。でも、ここから榊藩に行くとなると、山を越えるのも大変ですし、街道は長いし……、歩いて行ったら、元気な人だって結構な負担になりますよ」
「承知の上です。ひと目会えれば、それだけで良いのです」
「そうですか。でも、直澄さまは、ご存知なの?」
「それは、その……」
言葉を切った幻乃は、意味ありげに視線を落とす。
「……直澄さんが出掛けておられる、今しかないのです。直澄さんには、お世話になりました。あの人のお気持ちに報いたいとは思っていますし、この身のすべてで恩を返したいとも思っています。だからこそ、けじめをつけなければ、あの人には向き合えないのです」
わざと含みを持たせて呟けば、「まあ、それってもしかして……!」とお鶴は頬に朱を上らせた。恋だの恩だの痴情のもつれだのを感じさせれば、大半の若い娘は色めき立つ。
別に嘘はついていない。直澄には、生死の境をさまようほど手厚く世話になった礼参りをしなければいけないと、幻乃は常々思っている。
「そういうことなら分かりました!」
どん、と胸を叩いたお鶴は、善意と好奇心で目を輝かせながら、溌剌と宣言した。
「幻乃さんには、前回手伝っていただいた借りもありますものね。あたしも商人の端くれです。借りっぱなしにはしませんよ! ……ちょうど知り合いが、市に干物を仕入れに行く準備をしていたはずです。一緒に行けるよう、頼んでみますよ」
「それは……助かりますが、本当にいいんですか? お鶴さんの迷惑になってしまうかも」
「いやだ、水くさい。良いと言ったら良いんです。あたしに任せてくださいな」
「ありがとう、お鶴さん」
お鶴の両手をそっと握って、幻乃はにこりと微笑みかける。途端に照れたようにお鶴は頬を赤く染めた。本当に、素直で善良で、かわいらしい娘である。あともう五年ほどお鶴が年を重ねていたのなら、ぜひとも口説いてみたかった。
「い、いいですよ。そんな、気にしないでください。困ったときは、お互い様じゃないですか」
「恩に着ます。……さ、行きましょう」
お鶴の隣にあった荷車に手をかけて、幻乃はそれをさっと引く。
「あっ! あたしが引きますよ」
「いいえ。こんなことしかできませんが、せめて、お屋敷までは手伝わせてください。お鶴さん」
人の良い笑みを浮かべながら、幻乃はお鶴を促した。
隣の藩への足を用意してもらう恩に比べたら、荷物運びくらいなんでもない。
その後、しばしお鶴の仕事に付き合った幻乃は、無事にお鶴の知り合いの商人と顔合わせを果たして、仕入れのための準備を手伝った。
旅慣れた壮年の商人と談笑しながら山を下って、幻乃は馬を使って街道を進む。一晩の野宿を挟みつつ、翌日の夕方には、幻乃を含めた一行は、海沿いの街へと無事に辿りつくことができた。
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