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第29話 秋月と戯れ④
「暴力ですべてを踏みにじって、楽しいか……!」
震える声で紡がれた言葉があまりに馬鹿馬鹿しいものだったから、幻乃は思わず手を止める。
「刀を持っているくせに、おかしなことを言うんですね」
「どういう意味だ」
「どういう意味も何も……」
失笑しながら、幻乃は大袈裟に肩をすくめてみせる。言葉を飾るのも億劫になって、幻乃は吐き捨てるように口を開いた。
「刀は武器だ。敵を斬るためにある。そして武士 は、敵を斬るためにいる。そうだろう? 勝った方が正義で、強い方が意見を通せる。暴力で全部をねじ伏せることこそ、俺たちの仕事じゃないか」
「――黙れ、若造が!」
びりびりと腹の底が震えるような、魂のこもった怒声だった。真夜中にこっそり動いているというのに、こうも敵を騒がせるのは直澄の本意ではないはずだ。
――黙らせなければ。
そう思うのに、山本の勢いに押されるように、ついつい幻乃は口を閉ざしてしまう。
「侍とは、主人の意志と理念を体現する刀だ。そこに大義があってはじめて、意見の決着を争いの結果に委ねることができる。技と技のぶつかり合いを、剣の高みで楽しむことが叶うのだ!」
山本の瞳には、燃えるような怒りがあった。何を古臭いことを、と思うのに、耳を傾けずにはいられない、命懸けの叫びがそこにあった。
「貴様らのどこが侍だ? 卑怯にも影から人を斬り、暴力で代々続いた制度を壊して、国まで壊して……! 新時代とやらには、侍が持つべき誇りも忠義も存在しないではないか!」
――戦なんて、起こらないに越したことはないんだよ。あんなもの、対話の放棄でしかない。
憤死しそうなほどの怒りを見せる山本の顔に、一瞬だけ、悲しげに呟く俊一の姿が重なって見えた。
武力で改革を成し遂げれば、必ずや反発を招くと俊一はよく言っていた。時代の流れを押し止めることは誰にもできやしないけれど、切り捨てられるものは少ないに越したことはないはずだ――、と。
為政者としての俊一の考え方も、旧時代を生きた山本の言葉も、理想としては正しいのだろう。
――けれど。
刀を握り直して、幻乃は山本をせせら笑う。
「そんなもの、俺の知ったことじゃない。お偉方がそうすべきだと言うのなら、維新も新時代も、必要なことなんだろうよ。世間がどう変わろうが、俺が求めるものは強さだけだ」
「強さがすべてだと言うのなら、なぜ貴様は銃を使わない」
「……っ」
山本は瞬きすら許さぬほどの鋭い視線で、幻乃を射抜いた。
「外国を見るのが新時代なのだろう。古きを捨てて、新しい技術に染まるのが維新なのだろう。人を殺す力を強さと呼ぶなら、引き金ひとつ引くだけで、人が殺せる銃を使えば良い。誇りも忠義も気にかけぬと言うなら、なぜ貴様は銃を使わず、刀を握る? 矛盾しているではないか」
刀と銃は違う。どちらも腕を磨かなければ使えやしない。武器を変えればそれで済むなど、そんな単純な話ではないのだ。そんなことは自明の理のはずなのに、答える己の声は、なぜかわずかに震えていた。
「当然、だろう……、そんなこと。銃には魅力を感じないものでね。使わないことにしているんだ」
「嘘だな。使わないのではなく、使えないのだ。怖いから。新しいものは恐ろしかろう。生まれたときから慣れ親しみ、磨き上げてきた力と技術を、今さら捨てることなどできなかろう。それ以外に生きる方法を知らぬから、貴様は刀に固執する。違うか」
「……っ」
「時代を変えたいのなら、人斬りなどせず、緩やかに改革を進めるべきだった。何が必要で、何を諦めるべきか、どんな時代を目指し、どんな国を目指すのか、議論すべきだった。間違った方法で作られた時代が、正しく在れるはずもない」
否定できるだけの意見を、幻乃は持たなかった。
維新は幻乃の為したことではない。人を斬ったのだって、すべて主人の命令だ。時代の有りようなど、たかだかひとりの武士でしかない幻乃に聞かれても困る。そんなものは俊一や直澄のような上の身分の者たちが決めることであって、幻乃が考えなければいけないことではないのだ。
幻乃は脳たる主人の手足として、ただ求められる仕事をすればいい。己の欲を満たし、主人の願いを叶えるための働きさえすればいいのだ。
(でも、俊一さまは、もういない)
気付いた瞬間、足元が抜けるような心地に襲われた。とっくに知っていたことなのに、今になって、その事実が幻乃にとってどういう意味を持つのかを、改めて悟る。
幻乃は斬り合いを愛している。けれど、俊一亡き今、誰のために、何のために刀を振るえばいいというのだろう。
幻乃の手の震えを感じ取ったように、握る刀がカタカタとわずかな音を立てた。幻乃の動揺を見て取って、山本は憐れむように声を落とす。
「……哀れなものよ。己の心さえ分からぬまま、刀を振っているのか」
憐憫の情を浮かべた瞳が、ただただ不愉快だった。堪えきれず幻乃は刀の切っ先を山本の喉元に突きつける。
「たったの八人。無駄と知りながら命を捨てにきた弱者に、憐れまれる筋合いはない」
脅しつけても、山本は止まらなかった。脂汗の浮いた顔に、嘲るような笑みを浮かべてゆらりと立ち上がる。
「弱者。弱者か……。そぐわぬ時代に己を歪めて生き永らえるくらいなら、無駄と知れども抗えるだけ抗って、朽ちていく方を選ぶまで。それとも、それすら空虚な刀を振るうだけの貴様には分からんか」
「……遺言はそれだけか」
苛立ちに、声が低くなる。死にかけの弱者の戯言だ。分かっているのに、気に食わない。幻乃を見透かすような目で見てくる山本も、そのくだらない言葉に心を波立てる己自身も、気に食わなかった。
「時代に取り残された死に損ないの話なんて、聞くものじゃないな。時間を無駄にした」
「己の理念さえ持たぬというのなら、貴様も遠からず辿る道だ。時代に流されることしかできぬ、戦狂いの若造よ」
残る片手だけで刀を握った山本は、鬼気迫った顔で幻乃に突進する。受けるまでもない不恰好な刺突をひらりと交わして、幻乃は山本の胴を容赦なく切りつけた。ぱっくりと裂けた切り口から、ずるりと山本の上半身と下半身が分かれていく。吹き出す血を認めた瞬間、吐息のような声が幻乃の耳に届いた。
「無念――」
どさりと山本の体が地に落ちる。
目を見開いたまま事切れている山本の体をしばし眺めて、幻乃は刀を鞘に収めた。そのまま踵を返そうとして、思い直して幻乃は死体のそばにしゃがみ込む。
「遠からず辿る道、か」
(縁起でもない。胸糞悪い遺言だ)
舌打ちしながらも、幻乃はまだあたたかい山本の瞼の上に手を被せて、そっと目を閉じさせてやった。
久方ぶりの心踊る斬り合いのはずだったのに、残ったものはと言えば、なんとも言えない後味の悪さだけだった。その苦みをすべて山本の弱さのせいにして、幻乃は森の奥へと足を向ける。
屋敷の反対側、血のにおいの濃い方へ。
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