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第55話 藩主の仮面⑯
血を洗い流し、人前に出られる身なりを整えたところで、幻乃は三条の本邸に足を踏み入れた。
廊下には忙しなく人が行き来しており、直澄がいるのであろう広間には、ひっきりなしに家臣たちが出入りしている。
ここにいても邪魔になるだけだろうが、さりとて何が手伝えるわけでもない。宙ぶらりんの身の上ではあるが、直澄が幻乃を屋敷に連れてきたのだって、民を無闇に怯えさせないためなのだろうと思えば、町に戻るわけにもいかなかった。
直澄は、あの場でこそ食客などと言って力技で場を鎮めてくれたけれど、半蔵と呼ばれた武士を筆頭として、忠実な家臣たちがそれで納得するはずもない。今までこそ胡散臭い居候で済んでいたけれど、人前で刀を振るい、榊藩の者であることもバレた今、家臣たちにとって、幻乃はただの危険人物でしかないはずだ。
現に、湯殿を出てからずっと、見張りらしき者がつけられている気配があった。
(どうしたものか)
思索に耽りかけたその時、どこからか声が聞こえてきた。
「おーい、そこな者」
こしょこしょと喋り掛けてくるのは、声変わり真っ盛りといった少年の掠れ声だ。振り向けば、わずかに開いた襖の向こう側から、利発そうな瞳が片方見えた。幻乃と目が合うと、少年はぱっと目を輝かせる。
「そう、お主だ、お主。狐顔の武士! 近う寄れ」
「……? はあ」
いやに古風な話し方をする子どもだな、と思いながらも、呼ばれるがまま幻乃は少年に近づいていく。背後の見張りの気配が焦ったように揺らいだが、彼らが行動を起こすより前に、少年はぱっと幻乃の手を掴んでしまった。
「のう。外では今、何が起きておるのだ? いつになく騒がしいではないか」
にこにこと機嫌よく微笑む少年の歳の頃は、十二、三といったところだろうか。顔つきには幼さが残っているが、もういくつか年を重ねればさぞや精悍な顔つきになるだろう、凛と整った容貌をしている。意欲に溢れた瞳とは裏腹に、日焼けの気配もない白い肌と、細すぎる手首が目についた。
護衛が複数人ついていることを見ると、かなり身分の高い者のようだ。
どう対応すべきかと悩んでいる間に、少年はさっと襖を開け放ち、幻乃を中に入れようと腕を引っ張ってくる。
「勿体ぶるでない。さ、中に来なさい。お主もそのままではまずかろう? 怠けていると思われてしまうぞ。話を聞かせておくれ」
「構いませんが……、よろしいのでしょうか?」
少年にというよりは、襖に張り付いている護衛に向けた言葉だった。しかし、幻乃の問いかけに気分を害したらしい少年は、ぶすくれたように唇を尖らせる。
「私が良いと言っているのだ。良いに決まっておろう」
逡巡する幻乃を急かすように、「無礼者。疾く護久 さまのお言葉に従わぬか」と護衛が声を掛けてくる。聞き覚えのある名前に、幻乃はそっと目を見張る。
(護久――三条護久か。この方が……)
幻乃の記憶が正しければ、それは直澄の腹違いの弟の名だ。言われてみれば面影がある。どうりで子どもながらに涼やかな美貌を持つわけだと得心がいった。
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