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第65話 冬暁に旅立つ⑦

 夜がとっぷりと更けるころ、幻乃は闇に紛れるように細路地を歩いていた。冬の夜、しかも前日に襲撃があった場所ともなれば、歩く者どころか門から顔を出す者ひとり見当たらない。  唯一の例外は、目の前で瓦礫(がれき)の上に腰掛けている男くらいだ。 「こんばんは。お待たせしてしまいましたか?」 「別に。待つと言ったのはこちらの方だ」  声を掛けると、幻乃とそう年も変わらぬだろう男は、気だるげに立ち上がった。昨日斬り合ったときのままの薄汚れた袴姿に、ざんばら髪が寒々しい。   「やっぱり来たか、狐。そんな気がした」  そう言って男はほんのわずかに口角を上げた。喜びと悲しみが混じり合ったような、複雑な笑みだった。まじまじと顔を観察してみると、なるほど見覚えがあるような気がしなくもない。俊一の下にいた者なのだろうが、名前までは覚えていなかった。 「お名前をお聞きしても?」 「……相変わらず、眼中にない奴はとことん忘れるお人だな。冬馬(とうま)でいい」  苗字なのか名前なのかも分からぬ名を名乗って、冬馬はぴたりと幻乃の間合いの直前で足を止めた。昨日も一番最後まで手を出さなかったことといい、警戒心の強さが伺える。  一際強い風が、凍えるような音を立てて、ふたりの間を吹き抜けていった。痛みさえ感じるほどの寒さに眉をひそめつつ、幻乃は淡々と問いかける。 「あなた方のまとめ役はどなたですか」  世間話をするような間柄でもない。早々に本題に切り込むと、それを予期していたかのように冬馬も端的に答えを返してきた。   「榊俊次」 「主を呼び捨てにしていいんですか? それだからこんな捨て石のような扱いを受けるのでは?」 「俺の主は俊一さまだけだ。あの男の行動が、今はまだ俊一さまの遺志に沿っているから従っているまで。他藩の傀儡にしかなれぬお方を、主人と仰げるはずもない。お前だってそうではないのか、狐。それとも三条の藩主に鞍替えしたという噂は、本当だったのか?」  俊一によく似た声で問い詰められると、別に悪いことをしたわけでもないのに、裏切り者と詰られているような気分になった。なんともいえない居心地の悪さを笑みで覆い隠しつつ、幻乃はゆるゆると首を横に振る。 「いいえ、事実無根の噂です。俊次殿に追い出されて行き場をなくしたところを、世話になっていたのは本当ですけどね。もっともそれも、あなたがたのおかげで続けられなくなりましたが」 「そうか。気の毒にな」 「ええまったく。それで、榊藩を矢面に立たせている後ろの方々は、どの程度出張ってくるつもりなんですか?」 「さあ。興味があるなら自分で調べたらどうだ。得意だろう? ……まあ、あんたが俺たちの側につくというのなら、道中で話せることもあるだろうけどな」  こちらにつけと言う割には、詳しい話をする気はないらしい。  いくらかつて同じ主人の下で働いていたと言えど、昨日、幻乃は冬馬の仲間を切り捨てたばかりだ。警戒されるのはやむを得ないことだろう。  ふう、と小さくため息をついて、幻乃は「いいですよ」と呟いた。 「あなた方の陣営につきます。何をしようとしているのか知りませんが、戦場があるなら参加しましょう。俺も新時代とやらは肌に合わないようなので。……俊次殿が受け入れるかどうかは知りませんが」 「どうとでも言いくるめられるだろう、あんたなら」 「……そうですね」 「一応聞いておくけど、生きて帰れる見込みが薄いとしても、意志は変わらないな?」 「俺にそれを聞くんですか。そんなこと、気にしたこともありませんでしたよ。斬れればそれで良いです。強い剣士がいれば、もっと良いですけど」 「やっぱり」  ごくごく普通に返しただけなのに、冬馬はなぜか感極まったような顔をして、何度も確かめるように頷き始めた。 「そうだな……、そうだよな。あんたはそういう人だよな、狐」

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