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第74話 春死なむ⑥

「救いようがないほど愚かだな。再戦ならば、いずれ受けるとそう言った。待てもできなかったか?」 「生憎、主人から教わっていないのです」  いつかも同じやり取りをした。竹刀が真剣に変わっただけだというのに、互いを取り巻く状況はまったく違う。季節も時代も、あるいは心も、変化というものは目まぐるしい。不意に懐かしくなって、幻乃はけたけたと声を上げて笑った。  対する直澄は表情を変えぬまま頭を振って、呆れたように口を開く。   「いくらでもほかに、平和的なやりようはあっただろうに」 「平和的なやりよう? あなたの言葉とは思えませんね。時代を変えるために、何人を手にかけてきましたか? 罪悪感なんて、ありましたか? ……ありませんよね。必要だと思ったからやった。そうでしょう?」  氷のような無表情のまま、直澄は肯定も否定もしなかった。それが答えだった。   「俺も同じですよ。戦場だけが俺の生きる場所で、刀だけが俺の隣に在るものだ。負けて生かされ囲われる……そんな生き恥を晒し続けるくらいなら、(ふる)き時代と沈む道を俺は選びます。これが一番、あなたと斬り合うために手っ取り早かったんですよ」 「榊俊一殿が誇った懐刀が、なぜそうも死に急ぐ? お前にかかれば手に入らぬ情報はなく、道端の石ほどの障害すら残らないと謳われた、高名な『狐』。そのお前が選んだ道が、これか。……気が触れたのかと思うほど、お粗末な結末だ」  それは皮肉か挑発か。どちらにせよ、効果は覿面(てきめん)だった。見せつけるように自らの刀を鞘に納めて、幻乃は居合いの構えを取る。   「お戯れを。いまや『狐』といえば、人々が思い浮かべるのは『人斬り狐』――あなたの名となりました。俺の気が触れているというのなら、それはあなたのせいでしょう。榊で生きた『狐』は死んだ。あなたに殺されたんだ、三条直澄!」  直澄は幻乃の叫びを受け止めると、二度の瞬きの後、堪えきれないとばかりに、目をぎらりと愉悦に輝かせた。 「そうか。そうだな。……これで最後かと思うと、とても残念だ。幻乃」  直澄が刀を中段に構え直す。応えるように幻乃は、片足を引いて半身に構えた。 「あなたとは何度も死合ってきましたが、これが真実最後です、直澄さん」 「お望み通り、冥府に送ってやろう。今度こそ」    笑みを浮かべ続けた幻乃は表情を消した。  対照的に、それまで無表情だった直澄は、嬉しくてたまらないとばかりに獰猛に笑った。  その瞬間、幻乃の世界にあるものは直澄だけで、直澄の世界に存在するものもまた、幻乃だけだった。    先に地を蹴ったのは幻乃だった。研ぎ澄まされた感覚の世界で、一切の無駄なく抜刀する。  直澄を睨みつけたまま、幻乃は居合い抜きの勢いのまま、直澄の心臓を狙って刺突に移行した。幻乃の刀は、直澄の刀よりも一手早く肉を切り裂いていく。  しかし、直澄の左肩を鋭く抉った刃は、それ以上進まなかった。不思議に思ったときには、焼けつくような熱さを、胸に感じていた。

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