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第84話 春死なむ⑯※

 普段通りの仏頂面のくせに、目だけがぎらぎらと愉悦に輝くその表情。たまらず舌打ちをして睨みつければ、直澄は心底おかしそうに口角を上げた。 「俺は斬れない。お前も斬れない。……馬鹿げた話だ。俺たちは、よく似ているな?」 「……最悪ですよ」  息がかかりそうなほど近くで睨み合う。 「本当に、最悪だ……!」  言うが早いか、幻乃は力任せに直澄の首を掴んで、噛み付くように口付ける。  冷え切った唇は、煤と血に濡れた最悪な味がした。  重ね合わせた唇のあわいに、粘膜の柔らかさを感じる。触れ合った舌に直澄の体温を感じた瞬間、理性が焼き切れた。両手で直澄の頭を抱え込み、幻乃は飢えたように直澄の血の味を貪る。  血管が切れそうなほど興奮しているのは、幻乃だけではないらしい。直澄は頭蓋骨を握り潰す気なのかと思うほど強い力で幻乃の後頭部を引き寄せると、荒々しく背と腰をかき抱いてきた。 「は……ぁっ!」 「幻乃……っ」  何度も何度も角度を変えて、激しい口付けを繰り返す。呼吸の合間さえ見失うほど、夢中になっていた。興奮はおさまるばかりか一層煽られるばかりで、いつしか全力で走った後のように息が上がっていた。 「盛ってる余裕は、……っ、あるんですか」  今この瞬間、すべてを忘れて、目の前の男とふたりで死ねたなら。  熱に焼かれた頭に浮かぶ愚考を抑え込み、幻乃は問いかける。ここがまだ町中ならば、悠長に遊んでいる場合ではないはずだ。  敵前逃亡に命令違反。味方殺しに友軍殺し。幻乃も直澄も、余罪をあげればきりがない。夜闇と混乱に乗じて身を隠さねば、逃げきれなくなる。  獣のような目をした直澄は、幻乃の首元で荒い息を吐きながら、「夜明けまでは誰も来ない」と短く答えた。   「麓の旅小屋だ。夜に雪山を下りるものが他にいるとは思わない」  押し殺した声で答えながらも、直澄は切羽詰まった様子で幻乃の袴を剥いでいく。待てないのだと、目と声と動作のすべてが物語っていた。喉の奥で笑っては見たけれど、幻乃だって同じだった。過ぎる興奮に手が震え、自分の服さえろくに脱げない有り様だ。 「は……っ、雪山を歩いてきたんですか? その傷で? 馬鹿じゃないですか?」 「死ぬなら死ぬで構わないと……、そう思っていた。つい先刻までは」 「今は違うと?」  剥き出しになった幻乃の肩を扉に押し付けながら、直澄は据わった目をこちらに向ける。 「……惜しくなった。お前、に、……は、っぁ、手が届くのだと……そう思ったら……!」 「は……っ! なんですか、それ……っ」  熱く湿った舌が首筋を舐め上げていく。身を震わせながらも歯を剥くように笑って、幻乃も直澄の袴を引きずり下ろした。  

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