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第3話 誘う本能、抗う理性

「……あのさ、正悟君」 「どうした?」 「アピールってこういうもんだっけ……?」  ほら、じっとしていろと真剣な眼差しの正悟の手に握られているのは、爪切り。  悠希の手足の爪を大まかにカットして、ガラスの爪ヤスリで丁寧に形を整え、ファイルでピカピカに磨くまでが一仕事だ。  あぐらを組んだ正悟の大きな身体にすっぽり埋もれるように座らされ、毎回小一時間かけて行われる爪切りに、一華と葵はこれまた毎回「良くやるわ」と呆れながらも止めることもなく眺めている。  怒濤の引っ越しから、2ヶ月が過ぎた。  ようやく4人暮らしにも大学生活にも慣れ、親元を離れた開放感を満喫している……と言って良いのだろうか、この状況は。  あの日「悠希に全力で番になりたいアピールをすることこそが、ヒートへのトリガーを誘発するかもしれない」という結論に達した3人は、事あるごとに悠希に対し「自分と番になって欲しい」アピールを繰り返していた。  ……いや、その言い方は語弊があるかも知れない。  なぜなら 「……俺の番なんだから、しっかり手入れしないとな。ああそうだ、さっき新しい歯磨き粉が届いたから今晩試してみよう。あれなら悠希も辛くなくて気に入るはずだ」 「あ、うん、ありがと。でも僕自分で」 「心配するな、磨き残しがあっては困るだろう?俺が隅々まで磨いてやる」 「あはは……えっと、ありがとう……」  そう、既に正悟の中では悠希は正式な番扱いである。  正悟だけではない、一華も、葵も、もう既に自分が番になったかのような感覚で悠希と接してくる。  アピールとは一体何だったのか。 (アルファだしなぁ……みんな、このくらい強引なものだっけ……)  3人の猛アタックに大分感覚が麻痺してきている悠希は、うっかりこの状況を受け入れつつも「いやいやそんなことはないはずだ」と首をぷるぷる振る。  大体、両手で数えられる人数とは言え、少なくともこれまで自分に告白してきたアルファは皆、ちゃんと(ちゃんとって何だ)恋人から……それこそ手を繋ぐとかそういう距離感から始めようとしたではないか。  ただまあ、そう悠希が反論したところで「初日から無意識とはいえ、アルファにラットを起こさせて朝まで抱き潰されて始まっているんだから、そこはもうクリアしてるでしょ」「今更手を繋ぐところからってのもねぇ……毎晩あんなに可愛い声で泣いてるのに」と言われてしまえばぐうの音も出ない。  大体泣きたくて泣いてるわけじゃない、泣かされていると言って貰いたい。だが、どこかその濃密な時間を堪能しているのも事実な訳で。  結果として、悠希は家の中でも外でも3人の番と言わんばかりの扱いを、仕方なく享受している。  そう、家の中はまだいい。誰に見られるわけでもないから。  問題は大学なのだ。  入学早々、とある新入生のオメガを3人のアルファが取り合っているという噂は瞬く間に学内に広がった。  しかも同じ高校出身のオメガが「あいつはアルファのフェロモンを浴びてもヒートを起こせない鈍感オメガだ」なんて暴露話を流してしまったものだから、3人はどこに居てもギャラリーからの視線を浴びる羽目になるのだ。  アルファからは好奇を、大多数のベータからは見世物でも見るかのような不躾さを……そしてオメガからは、嫉妬と侮蔑を孕んだ、ある意味慣れきった悪意を向けられる。  基本的には3人が側にいるから直接何かをされることはないが、とはいえ気分の良いものでは無い。  ……そんなことをうっかりこぼせば、すぐに一華の一声で背中にいろんな物を背負った目つきの鋭いお兄さん達が出動してしまうから、とても口には出来ないけれど。  それに、悪意を向けるオメガの気持ちも分からなくはない。  番を見つけることに躍起になっているオメガは皆、4年という短くはないが長くもないタイムリミットまでの期間、番を見つけられるのか不安を抱きながら日々を過ごしているのだ。  そんなところに、番うことも出来ないくせに複数のアルファを独占しているオメガがいれば、そりゃ文句の一つも付けたくなるだろう。 (ホント、早くヒートを起こせるようになってちゃんと番契約しないと……このままじゃ折角の大学生活が台無しだ)  心の中で独りごち、どうか早くヒートが来ますようにと悠希は心の中で祈る。  ――彼の心の中に、ヒートを積極的に望む心が、そしてこの個性的なアルファ3人は自分を裏切らないという確信が芽生え始めていることを知る者は、まだ誰もいない。  ………… 「よし、これで終わりだ」 「ありがとう、正悟。いつもながら完璧だよね。ささくれや甘皮まで処置してくれるし」 「っ、なに、このくらい何てことはない」  顔が映りそうなほどきっちりと磨かれた爪を眺め、いつものように礼を言えば、正悟はほんのり頬を染めてぶっきらぼうに返してくる。  人のことはベタベタに甘やかすくせに、こちらの甘い言葉にはとことん弱い辺りがなんとも微笑ましい。 「あ、正悟、喉渇いた」 「分かった、水がいいか?それとも水出し紅茶にするか?今日はアールグレイだが」 「それなら紅茶で」  そそくさと冷蔵庫を開けて準備する正悟と、ソファまで運ばれてぼんやりもたれる悠希。  そんな二人を交互に見ながら、一華ははあぁぁぁ、と顔をしかめつつため息をついた。 「正悟、いくら何でもあんた甘やかしすぎよ。飲み物くらい悠希に注がせなさい」 「何を言っているんだ、番として世話をするのはアルファの嗜みだろう?ああそうだ悠希、この間言ってた映画の配信を見つけたんだ。後でサイトを送っておこう」 「やった!ありがとう~ずっと見たかったんだあれ」 「…………ったく、甘すぎて頭痛がしてきたわ……」  一華が頭を抱えてげっそりするのも、分からなくはない。  確かに正悟は、自分の番は全力で世話を焼き甘やかしたいと最初から一貫して主張していた。していたが、まさかこんなおはようからおやすみまで全力フル稼働だとは誰も思わなかったのだ。  朝は優しく起こしてくれて、寝ぼけながらの着替えも全て正悟任せ。  3食全てせっせと箸を悠希の口元に運び、爪はおろか髪も整え、靴紐まできっちり結んでくれる。  歯磨きだって一本一本丁寧に磨いてくれる念の入れようだ。  夜は夜で共に風呂に入っては背中を流し、そのまままぐわいのための洗浄まで嫌な顔ひとつせずこなしてくれる。  ……それだけは恥ずかしすぎて、今だに慣れないけれど。  最初の内こそ悠希は何かしてもらうたび「その位やるから!」と言い張っていたものの、正悟の持ち前の強引さと何より断ったときの寂しそうな顔についつい罪悪感を覚えてしまい、最近ではもう正悟のなすがままである。  何たって楽だし。頼めば何でもやってくれて、この家の中で歩くことすらほとんど無いレベルだし。  人間、どこまでも堕落できるものなんだな、と正悟のお陰でよーく身に染みた。 「……正悟は、ダメ人間製造機だよね」  ぼそっと呟いた葵の独り言に、一華が全力で頷いている。  悠希も紅茶を飲みながら「だよねぇ」と賛同する。  たった1ヶ月でこのざまだ、正悟と番になれば正悟なしには生きていけない身体にされてしまうのは、もう間違いないだろう。  けれどそれを一華や葵が指摘したところで、正悟にはピンとこないらしい。  きょとんとした顔で「そうなのか?」と尋ねられれば、そうなの!と思わず突っ込みたくなる。 「大体オメガには、子供を産むという重大な仕事があるんだ。なら、安心して子供を産めるように、何不自由ない生活を保証するのがアルファの勤めだろうが」 「うん、まぁ正悟くんのその気持ちも分からなくはないけど」 「にしたって度が過ぎてるわよ!!……ええ、分かってるわよ、互いのやり方に口は出さないって約束は守るわ。でもね、毎日毎日砂を吐きそうなクソ甘ったるい馴れ合いを見せられてるこっちの身にもなって欲しいのよ!!」 「いっちゃん、1週間で熱出して寝込んじゃったもんねぇ」  そうだった、ここに住み始めてすぐに一華は正悟の甘やかしっぷりに「もうだめ、こんなの毎日見せつけられたら頭が痛くなるわ!!」と叫んだ次の日、本当に高熱を出してぶっ倒れたのだった。  あの時は流石に悪い事をしたと反省したのだろう、正悟は寝込んだ一華を甲斐甲斐しく介抱していたし、しばらくは悠希への甘やかしも収まっていた。  ……そう、しばらくは。ほんの2日程度だけれど。  あんまりやってたら、またいっちゃんが熱出しちゃうよ?と咎める正悟に「そう言われても、よく分からんのだ」と正悟は困り顔だ。 「父だっていつも母をこうやって甘やかしているからな」 「それは聞いたわよ。大体、これまで付き合ったオメガに嫌がられなかったの?」 「初めてだが」 「えっ」 「いや、だから付き合った……番にしたいと思ったオメガは初めてだと言っている」 「はあぁぁ!?」  意外な告解に、3人はぽかんと口を開ける。  体格にも恵まれ、アルファらしい尊大さはあるがそれでも人当たりがよく礼儀正しい青年が、まさかこの歳までオメガと付き合ったことがないなんて、この世界では考えられない話なのだ。  よくよく聞いてみれば、悠希が初恋というわけではないらしい。これまでもベータの彼女はいたようで、けれどベータ相手には所謂普通の恋人らしい付き合いをしていたそうだ。  それがオメガとなった瞬間にこれである。  悠希が運命の番(仮)なのも大きな要因ではあるのだろうが、それ以前に正悟の庇護欲はカンスト、いや、もはやレベルキャップすら軽々と突き破っている気がする。 (そっか、僕は正悟君の初めてのオメガなんだ……)  その事実が何だか嬉しくて、ニヤニヤが止まらない。  だって彼がこんなに尽くしているのは、彼の人生で僕だけなのだから…… (ああ、いけない。またこんなことを喜んでる)  どこまでも貪欲な己のオメガの本能を、悠希は心の中でそっと押しとどめた。  そんな悠希の様子を葵たちは「悠希も世話を焼かれるのはまんざらでもない」と取ったのだろう。 「まぁ、初めてなら仕方が無い、のかなぁ……悠希くんも嫌がってないし……」 「だろう?第一お前達は、外で散々悠希を振り回しているだろうが!家に居る間くらい俺が甘やかしても何の問題も無い!」 「あはは……それを言われると辛いなぁ」 「何よ、家の中でぐうたらしているからあたし達が活を入れているだけじゃない!!」 (いや、あれはあれでどうかと思うんだけど……言えない、そんなこと絶対言えない……!)  でしょ?と同意を求める二人に心の中でツッコみつつも、悠希は曖昧な笑みで誤魔化すしかないのだった。  …………  週末は一華か葵、どちらかとデートと相場は決まっている。  とはいえ「家の中では4人なのに、外のデートは二人きりとはフェアではないだろう」という正悟の申し出により、残りの二人は少し離れて様子をうかがっているのが定番なのだが。 「一華さん、僕もう身体が動かないいぃぃ……」 「あんたねぇ、へばるのが早すぎよ!大体まだ1キロも泳いでないじゃないの!!」 「もうその基準がおかしいってばぁ……」  今日は一華とプールでデートだ。  一華が身につけるのは、目にも鮮やかなコバルトブルーがよく似合う、ハイカットで背中も広く開いたいわゆる競泳水着。  そう言えば、一華は高校時代に水泳部でインハイにも出場した実力者なのだと、以前葵が話してくれたのを思い出す。 (綺麗だよなぁ……こんな美人が、僕の番になろうだなんて)  一緒にプールサイドを歩けば、周囲の視線が痛い。  目力のある美貌にウェーブの掛かったセミロングの髪をなびかせ、いつもはサラシで潰している胸を溢れんばかりに詰め込んだ姿に、すれ違う人は皆振り返り、そして男の性かその視線を下に向けて……ギョッとした表情で慌てて去って行く。 「……一華さん」 「慣れっこよ、こんなの」  悠希がおずおずと声をかければ、一華は真っ直ぐ前を向いたまま素っ気なく応える。  一華の美しい肢体の中心にある、明らかに不自然な膨らみ。  アルファの性器は標準よりも大きいと聞いていたし、実際にオメガの自分とは比べものにならない……どころか正悟や葵と比べても立派な陽物を持つ彼女の股間は、どれだけ大人しくしていたって隠しようがない。 「水に入れば見えなくなるから。ほらさっさと入って泳ぐ!」 「はっ、はいっ!!」  キリッとした表情で髪を纏めてキャップを被り、綺麗なフォームで水に飛び込む彼女に、不覚にも悠希の胸がときめいた。  …………  そう、そこまではいい感じのデートだったのだ。  ……まさか「あんたは初めてだし、2キロ泳げばいいわよ」とさらっと鬼のような特訓を強いられるだなんて。  確かにフォームも丁寧に矯正して貰ったし最初よりはスムーズに泳げている気がしたけど、最後の方は疲労困憊でもう記憶が飛び飛びだ。  ちなみにその間に一華は4キロを軽々と泳いでいて、思わず「化け物……」と口にしてしまった結果全力の張り手が飛んできたのは自業自得である。  手加減無しのスマッシュは想像以上だった、左頬にはくっきり手形が残っている。 「……もう、だめ……死ぬ……」 「全く、この程度でだらしがないわよ!これから毎週プールデートで体力を付けさせるからね!ほら、これでも飲んで回復しなさよ!」 「ひいぃ…………」  一華に手渡されたゼリー飲料を、悠希はテーブルに這いつくばりながらも何とか喉に流し込む。  アミノ酸の配合がなんちゃらかんちゃらで疲労回復効果があるやつだと横で葵が説明してくれたが、どうやら思考能力はプールの中に落としてきたらしく、もう全然頭が回らない。 「一華、流石にアルファのお前とオメガの悠希の体力を比べてはダメだろう。いくら男でもオメガは体力的に劣るんだから」 「そうやって甘やかすから余計になよっちくなるの!あたしの番となる男なんでしょ?オメガだろうが気合いが入った男になって貰わないと」 「いっちゃん、本当に悠希君が気に入ったんだね……ツンデレ度合いが酷くなってる」  何よ、悪い!?と反論する一華の耳は赤い。 「だって運命の番なのよ!組の連中に舐められないだけの男になって貰わなきゃ」 「にしても、もう少し段階を踏んでやれ。これじゃ明日は布団の中だ」  しかし遠目に見ていたが、随分注目されていたなと正悟が尋ねれば「……いつもの事よ」と一華は少しトーンを落とす。 「男ってみんな馬鹿よ、勝手に期待して、余計な物が付いてるって失望するの」とそっぽを向いて話すその表情は、どこか悔しさを滲ませていた。 「……そうか、すまない」 「謝らなくていいわよ。あんたは最初からそういう目では見なかったから」 「まあ、俺はアルファは対象外だしな……」  人口の一割程度のアルファの中で、女性の割合は非常に少ない。  オメガの男女比がほぼ半々であるにもかかわらず、アルファの女性はアルファ全体の二割にも満たないのだ。  この世界でアルファと診断されることは、勝ち組への切符を手に入れたような物だと世間的には言われている。  確かにそれは間違っていない。アルファは頭脳面でも身体面でも能力的に秀でており、またアルファと言うだけで社会においては優遇される場面も多い。  だが、アルファの女性は誰もが一度はその性を呪うという。  ……第二次性徴に入り、急激に変化し肥大化する性器に、定期的に男性と変わらない自慰を強いられることに。  そして……男性から向けられる視線に。 「だから、オメガでも男は嫌だったのよ。大体男のペニスに対する執着はなんなのよ、オメガなんだからアルファより小さいなんて当たり前じゃないの!なのにあいつらったらすぐ女より小さいって卑屈になるの」  だからあたしの番になるなら、そんななよっちい心身は全力で叩き直さないとね!と鼻息荒く一華は語る。  今がどうであれ関係ない。番であれば一華の望む屈強な男に仕立てて当然だと。  その剣幕に、悠希は初めて出会ったとき邪な思いを抱いた自分がちょっと恥ずかしくなってしまった。 「うぅ……ごめん…………」 「何謝ってるのよ?まさかあんたもあたしと比べて」 「……いや、その、一華さん綺麗だから……でもオメガの僕が抱くことは出来ないんだな、ってちょっいたたたた!!」 「っあんたねぇ!冗談はほどほどにしなさい!そんな可愛らしいペニスであたしを満足させられると思うの!?」 「えーでもいっちゃんはしょ「黙りなさい葵」はぁい……」  あたしを抱こうだなんて、身の程知らずもいいところよ。  そうそっぽを向きながらぴしゃりと切り捨てる一華の声色は、しかしどこか嬉しさを隠しきれないようで。 (アルファのあたしを抱きたいだなんて、口にした男すらいなかったのに)  馬鹿みたいなことを考えるのは、やはり悠希が運命の番だからだ、そう一華は都合良く自分を納得させるのだ。  そんな一華の様子は普段の凛とした、どこか近寄りがたい雰囲気とは違って、年相応の幼さの残る女性にしか見えなくて。 (……素直にしてれば、可愛いのに)  口にしたらまたはっ倒されそうな言葉を、悠希は心の中でそっと呟くのだった。  ………… 「うぅぅ……葵ちゃん、ホントにこれで外出するの……!?ヤバいってこれ、絶対気持ち悪がられちゃう!」 「だーいじょうぶだって♡悠希くん、あ、今日は悠希ちゃんね?線も細くて綺麗な顔してるから、バレないバレない!それに今時男の娘なんてそこまで珍しくないから!」 「いや流石に珍しいと思うよ!!?」  葵とのデートは至って普通だ。  街中をぶらぶらしてウインドウショッピングを楽しみ、カフェでスイーツを堪能し、時には映画館や水族館に出かけることもある。  話し上手でいつも笑顔の絶えない葵と過ごす時間は、とても楽しい。  オメガだと言うだけでベータからは一線を引かれがちだし、この体質のお陰で本来ならつるむことの多いオメガやアルファからも敬遠されがちな高校生活だったから、番云々は置いておいても誰かと遊びに行くというのは、悠希にとってはかけがえのない時間なのだ。  …………ただ、この外観さえ無ければ。  オメガの男性は一般的に華奢で小柄な体格をしている。  体毛もほとんど生えないし、胸さえ見なければ女性と間違われることもしばしばだ。  なのに、そのわずかな体毛すら葵に綺麗に処理され、眉を整えて、一華が「あんたどれだけ塗るつもりよ!」と呆れるくらいの下地やパウダーを重ねられる。 「んー、葵ちゃんブルベなんだ、いいなぁ……じゃあ口紅はこっちだよね」 「うう、なんかベタベタする……」 「可愛くなるためには我慢も必要だからね!」  普段どれだけ葵が気合いを入れているのかをまざまざと見せつけられる。まさか唇の輪郭まで消して書いているだなんて知らなかった。  つやつやした口紅を塗られ、ハニーブラウンの緩いカールが入ったウイッグを被せられれば、確かに目の前の鏡に映る姿は……うん、遠目なら女性に見えなくもない、気がする。 「これでよし、と!うーん、やっぱり悠希ちゃんは女装が似合うよねぇ、ほんっと羨ましい……」 「葵ちゃんは十分可愛いじゃん!僕、入学式の時は女性だと思ってたよ」 「そう言ってくれると嬉しいな。さ、行こっか!」 「はっ!!そうだったこれで出かける……あわわわ、葵ちゃんこれはまずいって……!」 「大丈夫!いっちゃんよりずっと女らしいから!」 「ちょっと葵、人をダシに使わないでくれる!?」  お揃いのゴスロリ衣装で街中を歩く。  一華とのデートとは別の意味で、周囲の視線が痛い。  いつもはピンクやオレンジのような明るい色を好む葵が敢えて色味を抑えた服を選んでくれたのは、女装に慣れない悠希を気遣ってのことだろう。  ……それでもこのフリフリのスカートは、タイツを履いているにも関わらず、どうにも脚がスースーして落ち着かない。 「ここのランチ、美味しいでしょ。この価格でこのボリューム、しかも美味しいって神がかってると思うんだよね」 「う、うん、美味しいね……」 「もう、そんなに周りを気にしなくたって大丈夫!堂々と胸張ってなよ、悠希ちゃんは可愛いんだから!」 おどおどしながらランチを口にする悠希の前で「あーあ、ボクもオメガに生まれたかったなぁ」と葵は贅沢な悩みをこぼす。  当のオメガはもちろん、ベータですら羨むアルファという将来を約束された性でありながら、いくら保護政策のお陰で様々な優遇があるとは言え、ヒートという大きなハンデを抱え、どことなく下に見られるような空気の中で生きなければならないオメガに憧れる気持ちは、ちょっと理解ができない。 「そんなにオメガがいいの?大変だよ?僕はまだ経験無いけど、ヒート中のオメガなんてもう発情丸出して見られたものじゃないのに……」 「知ってるよ、ボクは何人かオメガと付き合ってきたし。でもさ、そんな可愛い身体はアルファでも、ベータでも手に入らないんだもん」  サラダを頬張りながら葵はその想いを披露する。  華道の宗家に生まれた一人っ子の葵は、割と性別に関しては寛容な家庭で育った。  父はアルファだが婿養子で自由気ままな人だし、ベータの母は「この世界に性別は関係ないからね」といつも豪語している。  その寛容さは、葵がアルファだと発覚しても、いつしか男の娘として過ごすようになっても変わらない。  むしろ母なんて「娘が出来たみたいで嬉しいわ」なんて言い出す始末だ。  だから余計に、欲が出てしまう。  もっと自分らしさを表現できる身体が欲しいと。 「実はさ、悠希ちゃんと会うまではずっと第二性転換薬の研究をしたかったんだよね」 「あ、それで薬学部なんだ」 「うん。成人してからアルファからオメガに性転換する例もあるでしょ?性転換すると、2-3年は掛かるけど身体つきもオメガっぽくなるから」 「そこで女性にならないあたりが葵ちゃんだよね……」 「そりゃもう、ボクはあくまで男の娘だからね!」  でも今は、アルファで良かったと思ってるよと葵は笑う。  だって、アルファじゃなければ悠希に……運命の番になんて出会えなかったから。 「だから心配しないで。もし今ヒートが来なくたって、ボクはいつか悠希ちゃんがヒートを起こせる薬を発明してみせるから」 「葵ちゃん……」 「それにさ。夢だったんだ……こうやって番と一緒に可愛い服を着てデートするの」  その時、横を通りがかった客の囁き声が耳に届く。 (すげ、女装?マジモンの女みてぇ) (二人とも可愛いけどさ、ロングのふわふわ髪の方めっちゃ可愛い。俺あれなら男でも抜ける) (可愛いよねぇ、私たちよりずっと女の子っぽいじゃん) 「……うそ」 「じゃないんだってば」  信じられないと言った顔で目を瞬かせる悠希に葵はとびきりの笑顔で微笑む。  その笑顔が余りにも眩しくて、胸がドキドキしてしまう。 「……ね?自信持っていいんだよ、悠希ちゃんは」 「…………うん」  噂は、嫌いだった。  自分に向けられた噂は、どれもこれも悠希の心を傷つけるものばかりだったから。  けれど、この姿なら羨望の眼差しで見られる。  そしてそれは、悠希の心にこびりついた出来損ないのオメガというレッテルを、今だけとはいえするりと剥がしてくれる。 (こんな世界が、あっただなんて) 「悠希くん、どう?こういう世界もいいでしょ?」 「うん。……ありがと、葵ちゃん」 「へへっ、なら今晩は更に身も心もオンナノコになろうね?今日の尿道プラグはいつもより一回り太いしイボイボがすごいから、悠希ちゃんもきっと良い声で」 「そっちは勘弁願いたいかな!!」  ……まったく、この夜の性癖の歪みさえなければもう言うこと無いのに。  はああ、と大きなため息をつきつつ、けれどそんなぶっ飛んだ葵の優しさが身に染みて。 (いいな、こういうの)  胸に温かいものが広がっていくのを、悠希はしみじみと感じつつ幸せを噛み締めていた。  ………… 「んうぅ……んーっ!!んふううぅぅっ!!!」 「あ、やっぱり気持ちいいよねぇこれ。腰ビクビクしてる」 「乳首の反応も随分良くなったな。……ちょっと大きくなった気がするんだが、葵何かやったのか?」 「んー?ちょーっとアルファのつてで貰った怪しいお薬を、ね」  何があってもこれだけは欠かさない。  そんな気迫すら感じる勢いで、悠希は毎晩のように3人に代わる代わる抱かれている。  夜もアピールするからと言われた段階で、もう毎日抱かれることは覚悟していた。  番となるのなら夜の相性は確かに大事だし、気持ちよくなればオメガのフェロモンもぐっと濃くなる(らしい)から、ヒートを起こさせる下地という意味でも避けては通れないだろう。  それに、悠希だって若い男だ。気持ちいいのは嫌いじゃない。  ただ 「はぁっ、はぁっ……えほっえほっ……」 「ほら、乳首とペニスが気持ちいいからってサボっちゃダメよ。しっかり咥えて、喉で扱いて頂戴」 「悠希、俺のも触ってくれ。ああ、無理して扱かなくて良い、俺が動く」 (まさか毎日3人の相手をするだなんて、聞いてないよ!!)  ……アルファは性欲旺盛だとはよく言われているけれど、よくまぁ毎日毎日悠希が失神するまで抱き潰しても枯れないものだと毎回呆れを通り越して感心している。  一応彼らなりには合意があって、挿れるまではそれぞれ好きなところを堪能することにしているようだ。  挿れてから?……それはもう、想像にお任せしよう。取り敢えず悠希の尻が緩くなっていないのが奇跡だということだけは強調しておく。  正悟は後ろから悠希を抱きかかえ、首筋に口付けを落としながら胸を愛撫するのが好きだ。  男の、しかもこんな小さな胸の飾りをひっかくだけで、もどかしそうに腰を揺らす姿が可愛くて堪らないのだという。  じっくりと、鎖骨から、腋からさわさわと触って、少しずつ乳首に近づいて。  けれど正悟の指は、いつも乳輪の周りを擦るだけで遠ざかってしまう。 「やっ、そこっ、やだぁ……!」 「やだ、じゃないな悠希。教えただろう?触って欲しければちゃんとおねだりするんだ」  ゴツゴツとした指からは考えられないほど繊細な、触れるか触れないかのそっとしたタッチで飽きもせずに乳輪の周りを往復する。  くるり、くるりと円を描きながら、じわじわと真ん中に近づくほど、悠希の身体には焦ったい熱が溜まっていって。   (ああっ、あと少し内側に来れば、気持ちよくなれるぅ……!!) 胎を疼かせ胸を突き出しながら、あの痺れるような快楽を期待して……けれど、優しい指は一番欲しいところには決して触れてくれない。  ああそうだ。正悟は甘えられるのが好きだ。  焦らして、どうしようもないほど煮詰められて、泣き出しそうな顔で「おねがい、せいご、ちくびかりかりしてぇ……!」と甘いおねだりをする番をことさら好んでいる。 「ん?今日はカリカリされるのがいいのか?それとも」 「はあぁぁんっっ!!」 「……こうやって、つまんでくにくにされるのはどうだ?」  オメガだから、元々男性にしては大きめだった乳首。  それを横からつまめるほど大きく育てたのは葵だ。 「もっとオンナノコらしくなろうね」と、怪しい薬を塗られたり吸引されたりしたお陰か、たった数ヶ月で悠希の胸の飾りは女性と比べても遜色のない大きさになっていた。  それを、正悟の親指と人差し指でつまんで、軽く擦り合わせるようにくにくにと動かされれば、もう喘ぎ声が、腰の動きが止まらない。 「可愛いな……いっぱい可愛くしているご褒美だ、ほら」 「あっ!?ひっ、あぁっ、ちくびっ、かりかりもっだめっおかじぐなる、頭ごわれぢゃうぅ!!」 「問題ない」  側面は親指と中指でつままれて、先端は人差し指で引っかかれて。  悠希が一番喜ぶ刺激を熟知した正悟により、悠希は胸だけで確実に追い詰められていく。  と、ぼんやり口を開けて、舌まで出してよがる悠希の前に突きつけられるのは、昂ぶりきった雄の象徴。  甘さの中にどこかスパイシーな香りが混ざる……一華の濃いフェロモンを鼻先に擦り付けられ、それだけで身体の熱が一段上がってしまいそうだ。 「あひ……一華さんの、おちんちん……」 「そうよ、あんたの大好きなおっきいペニスよ?ほら、今日も上手にしゃぶれるかしら」 「ん……はむ……んうぅ…………」  その美しい顔には似つかわしくない凶悪なものを口に含めば、ますます濃くなるフェロモンの匂いに脳髄の奥まで満たされ、犯されているような気分になる。  歯を立てないようにしながら奥へと誘い込んで、嘔吐くその動きすら堪能して貰って。 「はぁ……いいわよ悠希。オメガと言ってもやっぱり男ね、口も大きいし良いところをちゃんと分かってる……んっ……」  一華は支配欲の強さ故か、愛撫するより奉仕する方が好きらしい。  その中でもアルファの象徴であるそそり立つ欲望を喉まで咥えさせ、顔中をドロドロにしながら必死に舐めしゃぶる姿を好んでいる。 「んぼっ……ぉえ……ふぐっ、ふーっ、ふーっ……」 「はい、深呼吸なさいな」  口の中も一華のキスで随分開発されたけれど、それでもまだ喉奥に咥えるのは苦しさが勝っている。  酸欠で頭が痺れそうになってはギリギリ意識を手放す前に呼吸を許され、また突っ込まれ。  何度も、何度も繰り返すうちに、正悟から、そして葵から与えられる快楽と混じって、その苦しさすら気持ちいいと脳は誤解し始める。  それに。 (……ああ、僕の口に夢中になって腰を揺らす姿……最高に良い眺め……)  うっとりとした表情で奥に剛直を押しつけるたびに、豊満な胸が揺れる。  そろそろ終わりが近いのだろう、小刻みに抜き差しされればごぼっげぼっと聞くに堪えない音が響いて、けれどそれすらも一華の興奮を煽って。 「っ、出すわよ、飲みなさい……!」 「んぉ…………んぐっ、んぷっ……おぇっ……」  ひときわ濃い匂いの、苦くてまとわりつく白濁で喉を満たされる。  アルファの精液はオメガとは比べものにならないほど多くて、飲み下すだけでも一苦労だ。  けれどこぼせば「もう一回やり直しね」と言われるに決まっているから、悠希は必死で喉を上下する。 (今日は全部ちゃんと飲んで……うん、その方が満足しそう……)  ……時にはわざとこぼして「全くだめねぇ、ほらもう一回」と嬉しそうに命令する一華を楽しんでいることは内緒だ。 「ふふっ、えらいえらい、上手に飲めたわね。ほら、ご褒美よ」 「んひいぃぃっ……!!」  腋を一華のぬめった舌でずりずりと舐められる。 「ああ、そこは両方一緒がいいだろう?」と正悟もまたもう片方の腋に舌を這わせ始めた。  ここは性器ほどではなくても悠希のフェロモンが強くて、舐めるだけで一華の中心はあっという間に復活してしまうのだ。  悠希だってたまったものでは無い、正悟と二人がかりで散々舐めて育てられた腋は、今や乳首と双璧を張るほどのもどかしい快楽を悠希の頭に叩き込んでくるのだから。 (きもちいいっ、きもちいい!ああぁ、だめっ、ねつ、ぐるぐるしてるぅ……)  舌で、腋を。指で、乳首を。  二人がかりで敏感な場所を両側から同時に責められれば、もう口が閉じる暇すらない。  飲み込めない涎が口の端を伝い、潤んだ瞳からは涙が流れ落ちている。  そんな情けない姿も、正悟や一華にとっては興奮を煽る材料にしかならない。  と、ひときわ鋭い快楽が悠希の全身を襲う。 「ひああぁぁ……っ!!!」 「ふふっ、この太さがたまんないでしょ?悠希くんは、尿道をズリズリされるのも気持ちよくなれるようになったもんね♡こーんなところまで犯されちゃってヒンヒン泣いちゃうだなんて、もう男の子には戻れないよねぇ?」 「ひっ、でりゅっ、いぼいぼがずりずり、うあぁぁあっ!!!」 「ほうら、また入って行っちゃった♡どうしよっかなぁ、もっとゴシゴシされたい?それともこっちをぐりぐりって」 「んあっぁっぁっいぐ、でる、出ちゃうなんか出ちゃううぅぅ!」  尿道から前立腺をぐりぐりと刺激されて。  同時にたっぷりの潤滑剤を使いトロトロにほぐされた後孔から突っ込まれたディルドを抜き差しして前立腺を擦りあげ、押しつぶして。 「あがあぁぁぁっっ!!」  獣のような叫び声と共に、ぷしゅっ!とどれだけ興奮しても人差し指程度の長さにしかならない小さなペニスから、透明な液体が勢いよく噴き出してくる。  何度も、何度も上がる噴水に「はぁ、悠希くんかわいいねぇ……♡」と葵はいたく満足げだ。  後ろを丹念にほぐすのは、いつも葵の役目だった。  正悟も時折やりたそうな瞳で見ているものの、ここだけは葵が譲ってくれないらしい。 「ボクは悠希くんをオンナノコにしちゃいたいから」と、元々精を吐き出すことも少ない小さな陰茎の中を抉り、徹底的に前立腺を、そしてその奥を性感帯として作り替えていく。 「ヒートが来たら子宮側は勝手に性感帯になるからさ、ボクはそれ以外を開発して身も心もオンナノコにしてあげたいんだよねぇ」 「ったく、言っておくけど昼間は葵のデートのときだけよ!あたしは男らしい悠希に変えたいんだから」 「分かってるって。でもいっちゃんだって、夜にオンナノコになっちゃう悠希くんは好きなんじゃないの?」 「それはまぁ……悪く、ないわよ」  声にならない悲鳴を上げ、白目を剥いて全身を痙攣させている悠希を彼らはどこまでも愛おしそうな瞳で見つめる。  ……違う。その瞳の奥には、庇護欲を、支配欲を、そして性癖を満たした歓喜と、この番をとっとと自分のものにしたいと叫ぶ獰猛なアルファの本能が見え隠れしている。 (……たまんない、そんな目で見られるだなんて)  もっと、ほら、もっと。  僕を見て、僕に溺れて。僕を……ものにして。  くったりした悠希からふわりと立ち上るのは、濃厚なオメガのフェロモン。  3人の理性を殴り飛ばし、目の前のオメガのうなじを噛むことしか考えられなくなる、蠱惑的な香り。 「っ、来たか」 「あー今日もまた濃厚ねぇ……一本打っとく?」 「いっちゃん、言い方が何かヤバい。そんな怪しいお薬じゃないんだからさぁ」  このくらいなら大丈夫だよ、とすっかり蕩けた悠希の蕾に、ぴとりと当てられるのは……どうやら今日は葵が一番手らしい。  さっきまでディルドを美味しく食んでいたその口は、早くその熱を頂戴と言わんばかりに葵の先端に吸い付き、ヒクヒクと蠢いている。 「おねだり上手になったねぇ、悠希くん♡」 「も……おねがい、なか、うずうずして……ほしいっ…………!!」 「いいよぉ、おちんちんも塞いでるからいっぱい気持ちよくなってね……」 (入ってくるときすら、みんな、ちがう)  一華は絶対に奥まで一気にぶち抜くし、正悟は悠希の呼吸に合わせて入ってくる。  そして葵は、ちょっとずつ入ってはその場所で悠希を泣かせて堪能するのだ。  そう、とにかくねちっこくて、意地悪で。 「やだ、もう、奥がいい、お願い葵ちゃん奥ぅぅぅ!!」 「だぁめ。まだ浅いところで悲鳴も上げてないじゃん」 「やだあぁぁっ、辛いよぉ!ねぇっ、葵ちゃんの熱、全部ちょうだい!」 「ふふっ、必死におねだりする姿って唆るよねぇ!ごめんね、正悟なら挿れてくれるだろうけど、ふぅっ、ボクもうちょっと先っぽを楽しみたいから」 「んああぁあぁぁ…………!!」 (辛いよぉ、早く欲しいのに……全部埋めて、ズリズリして欲しいのに)  身体が震える。  中途半端にしか与えられない熱に、渦巻く渇望で頭が焼き切れてしまいそうだ。 (……でもまだ、もっと我慢して、もっと泣いてからおねだりするんだ……)  どれだけ3人がかりで徹底的に蕩かされても……いや、もはや体も心も完全に蕩けて言うことなんて聞かないはずなのに、何故か頭の片隅には必ず冷静に状況を見定め判断する自分がいる事に、悠希はいつからか気付いていた。  ドロドロになったオメガに夢中になるアルファを、静かに観察するのが楽しくて堪らない。  頭は快楽に溺れ、ひっきりなしにあられもない喘ぎ声で部屋を満たしながら、けれども悠希は常にどこかで考え続けている。  どう振る舞えば、目の前のアルファ達はもっと自分に夢中になるだろうか。と。 (こんなものなのかな、オメガって)  まだオメガの本能の片鱗しか知らない、ヒートというオメガの本能全開の状態を知らない悠希はそれを当然のことと考える。  そうして今日も、3人が自分に溺れる姿にどこか優越感と安心感を覚え……ともすればフェロモンをまき散らして「まずいな、悠希の匂いがまた強くなってる」「だめ、これ、ボク理性が飛んじゃう」「薬っ!早く、抑制剤を追加っ!!」とさらに彼らを慌てふためかせて悦に入るのだ。 (……いいのかな、こんなに振り回して)  ちくりと胸が小さく痛むけれど、けれど彼らだって散々悠希の身体を振り回しているのだからおあいこだったと悠希は無理矢理自分を納得させるのだった。  …………  それから半年。  気がつけば季節はすっかり秋めいていた。  3人の悠希に対する熱意と執着は相変わらずで、昼も夜もなくグズグズに甘やかされ、ビシビシと鍛えられ、倒錯した世界に引きずり込まれる。  それも全ては自分の気を惹く為なのだと思えば……振り回されているのは彼らの方なのだと思えば、悠希の中にはえもいわれぬ優越感と満足感が満ちていく。  けれどその一方で、その心の中にはずっと罪悪感が巣くい、じわじわとその奥に浸透して蝕んでいく。 (もっともっと夢中になって、僕しか見えなくなって欲しい、だなんて……)  アルファが自分を求めて来るのが嬉しくて、あの自信満々のアルファが自分の言動に一喜一憂する姿がどこか滑稽で、可愛くて、愛おしくて。  けれど、世間の偏見に振り回されてきた悠希にとって、例え本能であっても人を振り回すのは「いけないこと」なのだ。  そんな悠希に彼らは口を揃えて「問題ない」と即答する。  振り回されれば振り回されるほど、アルファの狩猟本能を刺激されて楽しいのだと。  だから遠慮無く振り回してくれ、それでヒートが来ればいいじゃないかと。 (……でも、このままヒートが来なければ?)  彼らは諦めない。  最早諦めるという言葉すら持っていないように思う。  なかなかヒートが来ない、効果が出ないと悠希が落ち込んでいれば「そんなものは些細なことだ」「ヒートが来ようが来まいがあんたはあたしの番よ」「そそ、悠希くんはボクの番として可愛くしていればいいの」と励ましてくれる。  確かに彼らは三者三様ながら強烈な個性の持ち主だ。  正悟は相変わらずのダメ人間製造機だし、一華は昼も夜も悠希を振り回すくせにこっちが泣けばオロオロして必死で宥め始めるツンデレだし、葵に至っては……もう言うまでもあるまい。  でも、だからといって、3人が悠希に振り回されていい理由にはならない。  ヒートが来るかどうかも分からないのに、3人の人生を縛りつづける権利なんて無い。 (ああ、まだ罵られた方が楽だった)  適当なところで見切りを付けて、捨て台詞と共に去られる方がずっとマシだった。  所詮その程度の奴だったと、こちらもスッキリ諦められるから。  けれど……そう、一癖も二癖もあるけどいい奴らなのだ、彼らは。 「……なんで」 「どうした、悠希」  いつもの夜。  今日もまた、丹念に広げられた後孔に……いくら待っても蜜をこぼすことを知らない未熟な蕾に、3人が代わる代わる入ってくる。  最近はふとしたときに立ち上る悠希のフェロモンが今まで以上に強くなったという。 「これは期待できるかもね」と言いつつ、彼らはその本能を抑制剤で無理矢理押さえつけて、あくまでも優しく決して傷つけないように悠希を愛でるのだ。 (……縛りたくない)  胸の奥から、申し訳なさが溢れる。  胸が、痛い。ずっと、もうずっと3人を見る度、つきりと痛んで……どうしようもない。 (もう、耐えられない……!)  気がつけば悠希はぽろぽろと大粒の涙を零していて。 「ちょ、悠希辛いの!?」「大丈夫?ちょっと休む?」「何か欲しいものがあるか?」と慌てふためく3人にしゃくり上げながら、悠希の口から溜めに溜めた言葉がぶわりと溢れ出した。 「……なんで、みんな、僕を責めないの?」  …………  ずっと前から、3人は気付いていた。  自分達が番(仮)のために奮闘する姿にうっとりとしつつも、どこか思い詰めたような表情を悠希がチラリと見せることに。  悠希はアルファである自分達を振り回す事に、強い罪悪感を抱いている。  本能だから堂々としていればいいのに、自分達だって気にしていないと何度も言っているのに、それでも悠希が悠希自身を許せない。  何とかしてやりたいと、アルファの庇護欲が叫ぶ。  けれどもこの心優しいオメガの青年は、そんな痛みすら自分達を振り回す材料になると、漏れ出した罪悪感をすぐに心の奥底に押し込めてしまう。  いつかチャンスがあれば、きちんと腹を割って話をしよう。  何も心配は要らないのだと、悠希に届くまで何度でも語りかけよう。  そう3人で話し合ったのは、数日前のこと。 (まさか、許されていることにすら傷ついていたというのか)  放たれた言葉に、3人は悠希の傷の深さを思い知る。  愛しい番(仮)の痛ましい慟哭に……胸が締め付けられるようだ。  心ない言葉に傷つけられてきた過去は、いつしか悠希自身の価値観すら歪めてしまう。  自分のような未熟で、鈍感で、出来損ないのオメガは愛想を尽かされ責められるのが普通だと、自分を再定義する。  そうして貶めた認識は思った以上に強固で、どれだけ言葉を尽くしても届かないほど、高く、厚い壁となって立ち塞がるのだ。  だから今日も3人は、迷いながらも何とか届いて欲しいと悠希を労る言葉を投げかける。  ……投げかける、はずだった。 「……責めるわけがないじゃない、あたしたちが選んだんだから」 「っ、でも」 「そうだよ。ボクたちは悠希くんの運命なんだ。ヒートが来ようが来まいがそれは変わらないよ?」 「それとも悠希は……もう諦めたくなったか?」 「え」  ――一瞬、時が止まったかと思った。 (…………諦め、る……?)  思わぬ言葉に、悠希は目を見張る。  どうしようもない辛さを吐露すれば甘えさせてくれる、そんな気持ちがどこかにあったのかも知れない。  なのにまさか、一番悠希を甘やかしてくれる正悟の口からそんな言葉が出るだなんて。  あまりにも想像を超えた展開に、悠希は言葉を失う。  その一方で正悟は、敢えて悠希に揺さぶりをかけようと考えていた。 (……良い機会だ、悠希の本当の気持ちを気付かせてやろう)  ねじ曲げられた認識は責められることを望んでいるけれど、その奥の本心はきっと違う。  この半年、悠希を誰よりも観察してきた正悟だからこそ分かる。  自分の傲慢さというフィルターを外して眺めても、悠希は自分達3人のことをそれなりに好ましく思っているのは間違いないのだ。  少なくとも……悠希は、今の関係を終わりにしたいとは思っていない。 「ちょっと正悟」 「……一華」  何かを言いかけた一華に正悟が目配せする。  その意図を汲み取ったのだろう。一華は「そっか」とちょっと寂しそうな笑顔を悠希に向けた。 「……それならそれでいいわよ、ちゃんと終わりにしたいって言いなさい」 「うん。ボクは悠希くんが望むなら……辛いけど、でも、もう別れたいって言うなら」 「っ、そんなことっ!!」 (あり得ない、あり得ない!彼らと離れるだなんて……!!)  口々に終わりを示唆されて……ショックを与えられて、そうしてようやく押し込められた想いは顔を出すことを許される。  さっきまで、もう諦めて貰った方がいいと思っていたのに。  いざそれを口にされれば、正悟の思惑通り悠希の心が……いや、もっと奥底の、魂が叫ぶのだ。  正悟と、一華と、葵と、ずっと一緒にいたいと。 「僕は、君たちと別れたくなんてないっ……!」  気がつけば、悠希は力の限り魂の願いを叫んでいた。 (そうだ、僕は)  途端に、この半年余りの彼らとの数奇な生活が頭の中を流れていく。  最初は半信半疑だった。  心の奥底では彼らなら大丈夫だと、裏切られはしないと確信していて、けれど理性はまた同じ事を繰り返すだけだと、経験から否定的な未来を断言していた。  だがその予測に反して、彼らはこの半年間一度たりとも諦めの言葉を口にしなかった。  確かに無茶なこともたくさんされたし、正直なところ人間として何か大切なものもいくつか失った気がする。  一華に鍛えて貰っても、夜は相変わらず3人分の欲望を受け止めるには体力が追いつかなくて、いっぱいっぱいで抱き潰されることだってしょっちゅうだ。  けれども、その手の温かさは、欲情した瞳の中に獰猛さと共に宿る慈しみは、一度だって絶えたことがない。  いつしか当たり前になってしまった温もりを、もうこの心は手放したくないと叫んでいる。 (僕は、いつのまにか)  正悟の強すぎる庇護欲を。  ――このまま何も出来ない人間になっても、君はずっと微笑んでくれる。  一華の強引かつ我が儘を内包したツンデレを。  ――自分が振り回される側になるのも、あなたの笑顔のためなら悪くない。  葵のどこまでも歪んだ性癖を。  ――君が教えてくれた新しい世界は、劣っていると思えた自分すら輝かせてくれる。  どれもこれも、自分に向けられたものをずっと抱き締めていたい。 (いつのまにか、正悟君を、一華さんを、葵ちゃんを……好きになっていたんだ)  今、悠希ははっきりと自覚する。  自分は3人に恋をしているのだと。  ああ、そしてこんな時にもオメガの本能は強欲だ。  恋すら一人に絞れないだなんて……! 「……悠希?」  目を見開いて、そのまま固まった悠希を3人が心配そうに見つめる。  やがてその震える唇がゆっくりと開いて。  新たな涙が頬を伝って。 「好きだ」 「悠希、くん?」 「正悟君、一華さん、葵ちゃん……僕は」 「僕は、みんなに……3人ともに恋をしているんだ」 「……悠希、あんた…………」  突然紡がれた愛の告白。  呆然とする3人は、しかしその言葉の意味を咀嚼する間もなく異変に気付いた。    そう、目の前から漂う濃厚なムスクに似た香りに……これまでに無く強く香る、悠希のフェロモンに。 「っ、悠希、フェロモンが……!」 「まずい、久々にめちゃくちゃ強いっ、これラット起こしちゃうわよ!早く薬を」 「…………待って」 「葵、何言ってるのよ!さっさとしないと呑まれちゃうわよ!」 「………………そうじゃない、これは」  反射的に抑制剤を使おうとする正悟と一華を、葵は冷静な、しかし震える声で押しとどめる。  ……いや、葵は決して冷静ではない。  その顔は苦悶に満ち、拳は白くなるほど固く握りしめられ、その股座は血管が浮き出て根本が膨らむほどの怒張を示していて、明らかに目の前のオメガを食い尽くしたい衝動を必死で耐えているのが見て取れる。  なんでそこまで、と言いかけた一華はしかし、葵の視線の先を捉えて……今度こそ固まった。 「…………まさか」  …………  熱い。  体中の血が、沸騰しているようだ。  心臓の音がうるさくて、どんどん息が荒くなっていく。  熱い、熱い、熱い……!!  頭がぼんやりして、視野が急に狭くなって。  欲しい、欲しいと、身体の奥底で何かがずっと叫び続けている。  ふわり、と何かの香りがする。  ああ、これは嗅ぎ慣れた匂いだと、悠希は鉛のように重くなった身体を必死で匂いの方へと引きずっていく。  優しいカモミールのような穏やかな香りは、正悟のもの。  スパイシーで、けれどどこか甘いシナモンのようなパンチのある香りは、一華のもの。  そしてふわふわと甘ったるいバニラのような香りは、葵のもの。  どれも大好きな愛しい人たちの、悠希を求め包み込んでくれる香り。 (欲しい)  その香りが鼻の奥に届いた瞬間、ずくりとこれまでに無く胎が疼く。  熱い物がどんどんと溜まっていって、ああ、早くこれを弾けさせて欲しくて堪らなくて。  どろり、と太ももを何かが伝う。  これは蜜だ。ずっと欲しくて、何をしても得られなかった、愛しい人たちを受け入れるための愛液。 (欲しい、彼らが、欲しい……!) 「……悠希、まさか」 「…………せいごくん……いちか、さん…………あおいちゃん…………」 もう、言葉を紡ぐのすら億劫だ。 はやく、はやく君たちを、この中に。 でも、ああ、ちゃんと伝えなきゃ。 「来たよ……僕の、初めてのヒート」  ぼんやりした視野に、驚愕に目を見開く3人を必死で捉えて。  悠希は掠れた甘い声で、愛しい人たちに待望の瞬間の到来を告げるのだった。

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