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戀する痛み 10
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自己嫌悪に陥りつつ。
悠貴さんが何処で何をしているのか、気になって気になって仕方なくって。
超高速で仕事を終わらせて、慌てて病院を出て、悠貴さんのマンションに向かって走っていた。
病院から近い所に住んでてくれて良かった・・・。
凍りつきそうな寒い真っ黒な空の下を、真っ白な息を吐きながら、ひたすら走る。
悠貴さんがマンションにいることを祈りながら。
一人でいることを願いながら。
普段運動していないから、足は重いし痛いし、呼吸は激しく乱れて苦しいし。
街灯しかない住宅街を、走っては歩いて、歩いては走ってを繰り返して、何とか目的地にたどり着く。
「はぁ・・・はぁ・・・げほっ!」
美影ちゃんとお揃いの真っ白なダッフルコートに、可愛いからと押し付けられたピンクのマフラーをしたまま走っていたから、真冬なのに暑くて身体中がしっとりと汗をかいている。
ピンクなんか嫌だって言ったのに、美影ちゃんは色違いの水色でお揃いにして買ってきたから、強く断れなかったボクも悪いけど・・・ってマフラーなんか別にいいんだよ。
ちょっと気が引けつつも、暑いのでマフラーを外して肩から下げていた、黒皮の鞄にねじ込んだ。
黒い空に高くそびえるマンションが見えてきた。
大きな道路の反対側に立って、高い高い、コンクリートの塊(かたまり)を見上げる。
悠貴さんの部屋は・・・あれだっけ?
下から見上げると何処が悠貴さんの部屋なのか、全然わからないや。
わからないから、とにかく突撃あるのみ!
白い息を繰り返しながら、晴れているのにろくに星も見えない空を見て、気合を入れてマンションの正面玄関に視線を移して、少し離れた所にある歩道橋へゆっくりと歩き出す。
信号と横断歩道もあるんだけど、50mくらい先の所にあるので、すぐ近くにある歩道橋を使ったほうが早いし近道だ。
普段は悠貴さんの車で来ているから使わないんだけど、悠貴さんが車の中から歩道橋の話しをしてくれていたから覚えていた。
悠貴さんが部屋にいることを祈りながら・・・部屋にいたら何て言おうか・・・ただ会いたくなったって言えば大丈夫かな・・・。
『恋人』なんだし、そのくらいの我がまま・・・いいよね・・・?
悪いことをしている訳でもないのに、一生懸命、言い訳を考えながら、ぶつぶつ呟(つぶや)いて練習しながら歩いていた。
歩道橋の階段を登って、広い幹線道路を上から見下ろして、向かいから来ている人が歩く度に少しだけ揺れるのにビクビクしながら渡り切る。
歩道橋って揺れるからちょっと苦手・・・子供の時はいつも美影ちゃんが手を握って、「大丈夫だよ」って言ってくれてたっけ。
そんな事を急に思い出して、思わずくすくす笑いながら、歩道橋の階段をゆっくりと降りる。
この階段を降りたら、悠貴さんのマンションまで後少し。
そう思いながら視線を階段から少し上げた時に、後ろからボクを追い抜いた車が、ゆっくりと止まった。
大きな赤い流線型のスポーティな車。車のことなんか知らないボクでも知ってる、高級な車だ。
ボクは何となく、一番下まで数段の所でボクは足を止めていた。
スッとドアが開いて、スーツに白い手袋をつけた人が降りてきて、後部座席のドアを開けた。
理事長の運転手さんと同じような格好。
運転手さんてみんなあんな格好なのかな・・・。
そんなことをぼんやり考えていた。
赤い車から出てきたのは、会いたくて会いたかった悠貴さんだった。
呼吸を、忘れた。
え・・・?何で?いつも自分の車で通勤してるのに・・・え?
車道側のドアから出てきた悠貴さんは、ぐるっと回って、運転手さんをおさえる仕草をして、歩道側のドアを開ける。
中から、白くて細い手が出てきて、悠貴さんはその手を下からそっと握って支える。
続けて細くて白い形の良い脚が出てきて、最後に真っ黒な真っ直ぐな艶やかな髪が、黒いレースをふんだんに使った、体のラインを強調しながらもいやらしさを感じさせないワンピースを着た、とても綺麗な美しい女性が現れた。
悠貴さんはその女性と、そのまま車の所に佇(たたず)んだまま話しをしている。
その表情が、ボクと話している時よりも、優しく微笑んでいて。
ボクが見たことがないくらい、紳士的な笑い方をして。
病院でも見たことがない、ボクと一緒の時でも見たことがない、大人の男性が、そこにはいた。
ボクの知らない悠貴さんが、いた。
遠目からでも、横顔しか見えないけど、それでも女性がとても綺麗な美しい貌(かお)をしていることがわかる。
雪のように白い肌に、すらっと通った鼻筋、ふっくらとした紅い口唇は微笑を漂わせていて、大きな目はきっとキラキラ輝いていて、女性らしい嫋(たお)やかな優雅な身体。
長い手足に、出る所は出て、引っ込んでる所は引っ込んでる、バランスの良い、男性が好きであろう曲線と柔らかさを詰め込んだ、女性の身体。
声は聞こえないけど、きっと耳に心地よい、鈴のような綺麗な声なんだろうな。
笑う時に口元に指をあてる仕草や、小首を傾(かし)げる仕草、ふとした時に長い黒髪をかきあげる、白い指。
全ての動作が煌(きら)めいて見えて、吹き抜ける風すらも、街頭の明かりすらも、映画のワンシーンを切り抜いてきたように、様(さま)になっている。
誰が見ても、何処からどう見ても、美しい女性だった。
その女性に対して、ボクが見たことのない、大人の男性の顔をした、紳士的な笑顔の悠貴さんが。
とても格好良いと、思う。
もともと格好良いし。切れ長の目も、薄い口唇も、すらっと背の高いスタイルの良い体も、長い手足も、低くて心地よい声も、全部全部。
誰が見ても。
お似合いのカップルだった。
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