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戀する痛み 19

* 「花織!ちょっと!」 入院患者様の巡回を終えて医局に戻ると、何やらざわざと騒いでいるのが視界に入った瞬間に、先輩が慌てた様子でボクの腕を引っ張ってきた。 以前にバイセクシャルだとカミングアウトしてくれた先輩で、あれから私的な話しも少しずつするようになっていたので、以前よりも親しく話しかけてくれるようになっていた。 そんな先輩が、酷く驚いている様子でボクに顔を近づけて、ひそひそ声で言う。 「部長の婚約者って女性がきてるけど、そうなの?」 「え・・・婚約者・・・って?え?」 「オレてっきり花織と部長が付き合い始めたって思ってたんだけど・・・違った?」 「婚約って・・・聞いてない・・・」 思わず呟いたボクを見て、先輩は茶色の髪を軽くかきむしって、大きな溜息をついた。 「あ〜〜・・・うん。やっぱりな・・・ちゃんと話したほうが・・・いや、お節介だった。ごめん、忘れて」 「あ、いえ、すみません。あ!・・・あのボクと部長のこと」 「言わないよ、そんなこと言いふらしたりしないって。オレだって他人のこと言えないし」 「え?」 「ま、何か訳ありみたいだし。気をつけろよ」 先輩はそれだけ言うと、複雑そうな表情をしながら、医局の奥に視線を向けた。 ボクはそんな先輩の肩越しに視線を飛ばして、奥がどういう状況なのかを確認した。 医局中の医師と、あとは看護師さんが何名かが集まっていて、その輪の中心に悠貴さんの姿が見えた。 困ったような表情をしたまま、とにかく仕事に戻るように言っている。 そしてそんな悠貴さんの隣に、以前見かけたあの美しい女性が、微笑みながら立っていた。 今日は長い艶やかな黒髪を緩やかに編んでアップにして、こめかみの所は少しだけ髪を垂らして。 厚めの唇には薄い色の口紅を塗っていて、楽しそうに微笑んでいて。 何故病院に来たのかはわからないけれども、悠貴さんの慌てようを見ていたら、少なくとも悠貴さんは知らないままに勝手に来たらしいと、察した。 それにきっと、婚約のことだって、理事長とあの人の家で勝手に決めて、悠貴さんは何も聞かされていないんだろうなって、そう思った。 そう思いたいから。 ボクはその騒ぎの中には入らず、自分の席に座って成り行きを見守っていた。 悠貴さんが頑かたくなに事情を話そうとしないので、みんな諦めたのか、渋々といった様子で解散して仕事へ戻っていく。 悠貴さんは周りが諦めてくれたことに安堵あんどしたように、ざっと視線を回して投げたところで、じっと見ていたボクに気がついてくれた。 見られた!という感じで一瞬目を閉じて、何かを言いたそうに口を開きかけたけれども、すぐ隣に女性がいることに気がついて口を閉じる。 眉根がきつく寄せられて、口唇をきつく結んで、だいぶ苛々しているのがみえる表情をしている。 ボクはそんな悠貴さんの様子をみて、ほっと安堵していたし、変な優越感を覚えていた。 理事長やあの女性が何かをしても、悠貴さんはボクを好きだと言うことがわかるから。 ボクに言い訳したそうに、誤解して欲しくないと言いたそうに、ボクの顔色を伺っているのがわかったから。 そんな風に想う相手って、好きな人に対してだけだよね。 だから大丈夫。 悠貴さんはボクを好きだから。 あの女の人のことは、好きじゃないから。 ボクは悠貴さんのそんなちょっとした態度に嬉しくなって、さっきまで鬱々としていた気分が晴れてくるのがわかった。 我ながら単純だとは思うけど、まあどうしようもない。 ボクにとっては、悠貴さんの一挙手一投足が全てなんだから。 悠貴さんの言動全てに支配されたいんだから。 悠貴さんは女性を促すようにして医局を出て行く。ボクは何も気づいていない、感じていないフリをして、視線を向けないように頑張って、無視する形で黙っていた。 医局にいた全員が二人の挙動に注目している、そんな中を二人がボクの席のすぐ後ろを歩いた。 不意に。 女性がつけているのか、甘くて芳しい、香水の香りがした。 ボクの好きな系統の匂い。 でも、ここは病院なんだから香水なんかつけるのは、マナー的にどうなの? ・・・・・・なんて・・・・・・患者様でもお見舞いの人でも香水つけてる人なんで山ほどいる。 単純に、あの人だから気に食わないってだけ。 性格の悪さがにじみ出てしまう。 あーもう、最低。 ボクは軽く頭をふって、香水の香りごと、彼女のことを頭の中から追い払った。 仕事、仕事。 ちゃんとしなきゃ、悠貴さんに怒られる! 目の前のパソコンに集中すると、巡回で書き込んだ注意事項を電子カルテに書き込んでいった。 頑張って集中しようとしているのに、残った看護師さん数名がひそひそ話しをしながら、ボクの後ろを通って医局を出ようとしていて、その会話が耳に入ってきてしまった。 「羽屋総先生も結婚か〜」 「あんな美人じゃねぇ〜、しかも大病院のお嬢様でしょう。本人も医師免許持ってるって話しだし」 「羽屋総先生もうちの理事長の息子さんだし名医だもんね、お似合いのカップルか・・・あ〜あ」 「悔しいけど、あんな美人で才女で良家のお嬢様じゃぁ、認めざるを得ない」 「たしかに」 看護師さん達からしたら、病院のイケメン御曹司と名家のお嬢様との結婚なんて、格好の噂話しのエサなんだろう。 おもしろ可笑しく囃はやし立てて、好き勝手いって、飽きたらお終い。 他人からしたらそんなもん。 そんなことを楽しそうに話しながら、看護師さんは医局を出て行った。 ボクは若干緊張していたみたいで、医局から人がいなくなったら、全身から力が抜けるのを感じた。 やっぱり誰が見てもお似合いなんだな・・・ボクが見てもそう思うし・・・。 美人でスタイル抜群で、医師免許取る才女で、家柄も良くお金持ちのお嬢様。 かたやボクは一般家庭で、なんとか医師免許は取れたけどポンコツで、顔は可愛いみたいだけど、ちんくしゃで、嫉妬深くて独占欲が強くて・・・。 あ〜・・・また不安が頭をもたげてくる。 悠貴さんがボクじゃなくて、あの人を選ぶんじゃないかって、そう思ってしまう。 この自信のなさは、ボクのいい所でもあるけど、欠点だって、美影ちゃんに言われたっけ。 ボクを好きだって言ってくれる人に対して失礼だって、叱られたっけな。

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