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戀する痛み 25

美影ちゃんはボクを真っ直ぐに見つめて。 そしてボクを見つめたまま、艶やかな薄紅の口唇から言葉を吐き出す。 「薫は自分が可愛いって自覚が足りないのよ。みんな薫が可愛いから気を引きたくて、話したくて。ほら、小学校の時とかクラスの男子とか揶揄(からか)われたでしょ。中学校では女子にやっかまれるし。みんな薫のこと好きでわざとやってたのよ。でみんな薫が可愛くて好きで堪らなかったの。わたしはそれがわかってたし、うざかったし、でも気持ちもわかるし。結局みんな薫のこと好きだもの。みんなに好かれてる薫になりたかった」 美影ちゃんの整えられた眉毛が寄せられた。大きな黒い瞳が歪んで、ゆっくりと透明な滴が縁に満ちて、堰(せき)を切ってはらはらと落ちてきた。 透明な虹色の液体が、幾粒も幾粒も流れていく様子が、真っ黒な美しい瞳が、対照的な真っ白な頬が、とても奇麗で羨ましくて、ボクは美影ちゃんに見惚れてしまっていた。 「薫のこと妬ましいけど、嫌いになんかなれないの・・・なれるわけない。結局大好きなの。誰よりも大好き。わたしの半身。全部を半分に分け合った半分こ。わたしね・・・薫に嫌われたら生きていけないの。本当に、絶対に絶対に生きていけないの・・・生きるなんて無理だよ〜〜!!うえええぇぇぇぇぇっ!」 「ちょ・・・美影ちゃん?!」 「嫌いなの?!うああっく・・・わたしが嫌いなの?ねぇ・・・やだよっ!!やだ、直すからぁぁぁ!!嫌いなところ直すから!薫の言う通りに直すから・・・うううっ・・・ふえぇぇっく・・・嫌いにならないでよぉっ!!」 美影ちゃんが子供のように、子供の時から全く変わらない、火がついたように急に号泣する。 こんな風に大声をあげて、人目なんか気にしないで、涙も鼻水も流し放題で、子供の時からこういう泣きかたをする。 大人になってからは回数は減ったけれども、たまに本気で泣く時はこうなる。 ボクはそんな美影ちゃんにティッシュを差し出して、涙を拭いたり鼻水を拭いたりしてあげる。 本当はボクもこんな風に思いっきり泣きたいけど、美影ちゃんがすごいから、思わず笑っちゃって泣けなくなるんだよね。 今もボクはあまりに汚い美影ちゃんの顔を見てたら、なんだか可笑しくなっちゃって。 涙と鼻水を拭いてあげながら、ボクはそっと口を開いた。 「美影ちゃん・・・ごめんね・・・」 「薫は悪くない!絶対わたしが変なこと言ったんだ・・・だからきっとまた薫の嫌がること言っちゃったんだ。頭悪くてごめんねぇ薫みたいに頭良くないし可愛くないしこんなお姉ちゃんいやかもしれないけど、でも嫌いにならないでぇ」 「違う!!!全然違うっ!!美影ちゃんは悪くない。美影ちゃんは何も悪くないんだよ!」 ほらね。美影ちゃんは優しいから。ボクとは正反対ですごく優しいから。 自分は全然悪くないのに、こうしてボクに謝ってくれて。 違うの。本当に違うの。ごめん、ごめんね。いつもいつも昔から、ずっと、ずっと。 そうやって、ボクが悪いのに、そうやって謝ってくれてたね。 ごめんね。 「美影ちゃんはいつもいつもボクを守ってくれて。へたれでどうしようもないボクを、守ってくれたし助けてくれた。ボクね・・・ボクのヒーローは美影ちゃんなの。絶対的な唯一無二のヒーローなの。女の子にヒーローってのもあれかもしれないけど、でもボクにとっては美影ちゃんが、頼りになる唯一の人なの・・・。だから美影ちゃんは悪くないの。ボクが甘えているだけ・・・ただの八つ当たりなの・・・ごめん・・・本当にごめん・・・。美影ちゃんは悪くない。悪いのはボクなの。全部全部・・・」 「薫・・・?どうしたの?大丈夫?」 「大丈夫・・・じゃない・・・」 美影ちゃんはボクの様子を察して、急に泣き止んで鼻をかんで涙を拭いて、居住まいを正してボクを見つめてくる。 ボクは隣に座っている美影ちゃんに寄りかかるようにして、ボクと同じ肩に頭を乗せて、甘えた。 「話しきいてもらってもいい?・・・・・・たぶん美影ちゃん怒ると思うけど・・・」 「うん・・・怒ると思うし泣くと思うし暴れると思う。でも、ちゃんと薫の話しを最後まで聞くね。最後まで聞いてから、怒って泣いて暴れるね」 「ふふっ・・・何それ・・・可愛い・・・」 そしてボクは、悠貴さんの生い立ちと、悠貴さんのお母様のこと、理事長に言われたこと、お見合い相手のこと、理事長の執着と執念、そしてお見合い相手の人の言葉を、思い出しながらゆっくりと話した。 途中で、美影ちゃんは大きく溜息をついたり、低い呻き声みたいなのを出したり、大きな瞳から涙を流したり、体を強ばらせて感情を抑えつけてくれて、ボクの話しを最後まで、口を挟むことなく最後まで聞いてくれた。 こんな風に二人っきりで、お互いの体温を感じあって話しをするのなんて、久しぶりだった。 たぶん・・・中学生とかそれくらい、久しぶりな気がする。 鼻腔には美影ちゃんがいつもつけている香水が漂ってきて、すごく安心する。 心以外は、全部分け合った人。 顔も腕も胸も足も、心臓も肺も、分け合った。 生まれ落ちてからも、パンとかおやつとか、心以外は全部分けた。 誰かに話したかったこと、誰でもいいから聞いて欲しかったこと、バカだとアホだと言われて笑い飛ばして。 こんなことはなんでもないと、どうでもいいことだと、笑って欲しい・・・・・・。 「・・・・・・薫は、いつかあの男もその女も、許すんだと思う。薫は優しいから。きっとあいつらが家庭を作って笑顔で暮らしてることを知った時、薫は笑顔で許すと思う」 「・・・・・・うん・・・」 「でもね、わたしはね、絶対に許さない」 美影ちゃんが、そんな事を急に言った。 思ってもいなかったこと、予想外の想定外のことを言われて、ボクはびっくりして体を起こして、美影ちゃんをまじまじと見つめた。 美影ちゃんは顔を真っ直ぐ前に向けたまま、視線も前に向けて真っ直ぐに、背筋もきちんと伸びた状態で。 ただただ、涙を流したままに。涙が頬を伝うのをそのままにして。 力強い瞳を真っ直ぐに向けて、瞬きをしないで、目の前の虚空を力強く見つめている。 「薫は許して笑ってると思う。でもわたしは執念深いし心が汚いから、許さない」 びっくりして美影ちゃんを見つめていると、美影ちゃんが隣に座るボクを、ぐりっと頭だけ捻ってボクを見つめて、 「わたしね薫になりたいって、思ってる。薫が何を考えて、何を感じているのか、知りたい。薫になって、薫の体のどこかの細胞の片隅でいい。そこで薫のことを感じて薫と一緒に生きていたい。こんなふうに思うわたしがおかしいってことは、わかってるの。おかしいんだけど、でも恋愛感情じゃないのよ。別に薫とキスしたいとかセックスしたいなんて思ってない。ただただ、薫になりたいだけ」 真っ直ぐにボクの瞳を見据えて、はっきりとした口調で話す美影ちゃんが、少し怖い。 「自分でもおかしいって思うし、他人にも気持ち悪いって言われるほど、わたしは薫に執着している。これは本当。だから、だからこそ、薫を傷つけて泣かせる人は、誰であろうとも許せない。認めない。そんなヤツ、生きていて欲しくない。同じ次元にいて欲しくない」 怒って泣いて暴れるって言っていたのに、美影ちゃんは冷静に話している。瞳にも口調にも感情が乗っていなくて、なんだか機械的に話しているその様子が、逆に怖かった。 もしかしたら、本当の本気で怒った状態なのかも・・・。 ボクが知らなかっただけで、もしかしたら、この状態が美影ちゃんが本気で怒っている状態なのかも。 漆黒の透明な瞳を見ながら、ボクは美影ちゃんの手をぎゅっと握った。 体温を感じられる温かい手に、ボクは少なからず安心して、軽く息を吐き出した。 何だか人間じゃなくなってしまったような無機質を感じていたから、ちゃんと生きてる人間で、よかった。 そんな変なことで安堵していると、美影ちゃんもボクの手を握り返してきた。 そして、今までの平坦な声とは真逆の、感情を抑えきれない、震えた声を絞り出した。 「だから・・・かおる・・・全部ぜんぶ話してね・・・わたしにだけは話してね・・・」 「うん・・・うん・・・」 「全部半分わけてね。苦しいことも、哀しいことも、怒ったことも、イライラしたことも。そういうの半分ちょうだい。半分背負うね。わたしはお姉ちゃんだし。生まれる前から、腕とか足とか内臓とか半分こしたお姉ちゃんだから。だから薫が苦しいとか悲しいとか、全部半分ちょうだいね」 「み・・・お姉ちゃん・・・」 美影ちゃんはそっとボクの手を離すと、ベットに膝立ちになると、その胸の中にボクの頭を抱き寄せた。 「お姉ちゃんが半分引き受けるからね」 もこもこのパジャマを頬に感じながら、美影ちゃんの声が鼓膜を通って、脳に侵入してきて、ゆっくりと熱を持って浸透していく。 ああ・・・そうだ・・・ボクには『家族』がいる。大切な大好きな人たちがいる。 そして誰よりもボクのことを考えてくれる、誰よりもボクを思ってくてる半身がいる。 ボクは家族を『作れない』けど、もう『いた』んだなって・・・思った。 悠貴さんは今は家族が『いない』かもしれないけど、これから『作れば』いい。 ボクは美影ちゃんの背中に腕を回して、瞳を強くつむった。 だから、きっと、ボクの『戀』は、終わらせた方がいい・・・。 悠貴さんが家族を作るには、ボクは必要ない。 ボクは何もできない。 ボクにできることはない。 きっと、悠貴さんも気づいてる。 悠貴さん・・・ボクも気づいたよ。 だから、終わらせましょう。 ボクが始めた『戀』だから。 ボクが終わらせるね。

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