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第5話

「旦那、ご指名の銀花です。正真正銘、初っ端の水揚げなもんで、どうかひとつ優しく可愛がってやっておくんなさい」  口調を改めた夕凪が、半纏の男たちの背後からわずかに頭を軽く下げる。  布団の傍の衣桁の前で胡坐をかき、猪口を手にしている男を見て、ただでさえ混乱している志乃の頭の中は真っ白になった。 「……なん、で……」  それだけ言うのが、精一杯だった。なぜこんなところに、この男がいるのか。  男は猪口を置き、こちらへ向き直った。 「お久しぶりです、志乃様」  低い声が、がんがんと志乃の頭の中で反響する。いつの間にか夕凪や、半纏の男たちが退出したことにさえ気がつかなかった。  目の前にいた男は、国領(こくりょう)秋成(あきなり)。 かつて志乃がどんな肉親や友人より慕っていた相手だったのだ。 だが秋成の父親は志乃の家の事業をのっとろうと画策し、それを叔父に看破され、一家揃って逃亡した。 そもそも経営が傾き始めたのも、志乃の父親を筆頭とした藤条一族と従業員、そして志乃自身の心からの信頼を裏切り、国領一家が逃げ去ってからだと聞いている。 かつて信じていた分、今は憎らしさがこみ上げて止まらない。 裏切り者の息子は、やはり裏切り者だということか。 「こんなところに出入りしているとは、堕ちたものだな秋成!」  吐き捨てると、ぴくっと秋成の表情が動く。  渋く男らしい容貌は、昔の面影を残しつつも精悍に引き締まっていた。  肩幅が広く胸板が厚いため、英国製らしき三つ揃えの洋装が悔しいくらいによく似合っ ている。日本人離れした彫りの深い顔立ちが、じっと自分を見つめている。 「……志乃様。こうした事態で憤っておられるのは無理もないと思いますが、どうか冷静になっていただけませんか」  こんな状況で冷静になれるわけがないではないか。 感情のない静かな目で見上げられて、志乃の頭にはますます血が上った。その余裕が憎らしい。 なにも言わず志乃の前からいなくなった秋成に、どれだけ心を痛めてきただろう。  何日泣き明かしたかわからない。それなのに秋成には、罪悪感がまるでないようだ。  叔父に国領の家の裏切りを聞かされたときにも、きっと秋成は父親に反発しつつも従わざるを得なかったのだと信じていたのに。 「男を買いにきたくせに、綺麗ごとを言うな!」  志乃が秋成の姿を見つけて激怒している理由は、その部分も大きい。  思い出の中の秋成は当然だがまだ少年で女も知らず、純粋で、潔癖だ。優しくて世話焼きで、男専門の遊郭に出入りするような男になるとは夢にも思えなかった。  よりによって客と色子という立場でのこの状況は、志乃の溜まりに溜まっていた憤りを投げつける相手が的を背負って現れたようなものだ。それに、こんな格好をしている自分がたまらなく惨めで、恥ずかしかった。  秋成はなおも淡々と、説得するような調子で話す。 「そうではありません。……すぐにというわけではありませんが、志乃様の身柄は国領家で引き受ける心積もりでおります。しばらくご辛抱いただかなくてはなりませんが、ご安心していただきたく、本日はそれをお伝えしに出向いたのです」 「国領家で引き受ける……?」  どういうことなのか、と志乃は眉を顰める。 「はい。おこがましいようですが、かつての家臣としての責務と考えておりますので」  その言い草に志乃は目を丸くし、しばらく唖然としてしまった。  一族揃って藤条の家を裏切っておきながら、なにが家臣としての責務だ。  ずっと待っていた幼い志乃に手紙のひとつも寄こさず、今さら遊郭から買い取るとはどういうつもりなのだろう。  かつての主人を小間使いにでもして優越感に浸りたいのか。 もしくは哀れんで銭を恵み、押し付けがましい善行に自己満足したいとしか思えない。  そんなことに利用されるなど、まっぴらだ。  こんな男を自分は長年慕っていたのか。 怒りを通り越して、志乃は呆れ果てていた。  国領に対してだけではない。家業の事情も含め、伯爵子息とちやほやされて、現実がなにも見えていなかった自分の甘さも痛感していた。  自分の人生を、金で好き勝手に左右されてたまるものか。  志乃は心を落ち着け、ゆっくりと言った。 「そうか。よくわかった。……わざわざこんなところまで出向いてきて、ご苦労だったな、秋成。だが、その件は断る」 「……志乃様?」  秋成の固い表情が、初めて怪訝そうなものに変わった。

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