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第13話
そこは三十畳ばかりの広さがある洋室なのだが、大きなガラス窓が天井近くまで連なっているせいで、光が溢れる空間になっている。
中でお茶を飲んでいた少年の何人かがこちらを見て、新入りかと里雪に声をかけてきた。
「うん。後で紹介するから」
庇うように志乃の背に手を回した里雪は、庭に面したガラス戸のほうに志乃を誘導する。
「ここはサンルームっていって、色子たちがお茶を飲んだりする場所なんだ。お客さんたちもくるんだよ」
説明を聞きながら備えつけらしき赤い下駄を履き、志乃は里雪と共に外に出た。
中の窓からも見えたが、そこはとても広い洋風庭園になっている。小道には赤い煉瓦が敷かれ、少し先には美しい西洋館も見えた。
「冬でなければ、あちこちの花壇が綺麗なんだけれど」
残念そうに言いながら、里雪は庭を案内してくれる。空気は冷たいけれど風のない穏やかな日で、陽だまりはぽかぽかと暖かい。
そうして歩きながら志乃は改めて、この廓が想像以上に広大な娼館なのだとわかった。
志乃の部屋があるのは和風建築の館だが、二階建てで赤と黒に塗られ、まるで要塞のような威圧感がある。
「俺たちの部屋があるのは西御殿。あっちの洋館は北御殿て呼ばれてるんだよ」
なるほど、確かに御殿というに相応しいだけの佇まいをしている、と志乃はうなずく。
他にも、正面玄関付近に別棟があり、渡り廊下で繋がっているらしかった。
いずれの建物も庭も豪華で美しいが、いかにも人工的で生活臭がない。どこかの見知らぬ異国か、御伽の国にでも迷いこんだように思えてくる。
「まるで隔離された別天地だな……」
思わずつぶやくと、そうでしょう、と里雪は微笑んだ。
本当にここはごく普通の世間とはまるで違う世界なのだということが、ひしひしと実感されてくる。
庭園を散策してサンルームに戻った志乃は、さすがに少し空腹を覚えた。なにしろ昨日の朝からなにも口にしていない。
里雪にすすめられて、美しく皿に盛られた色とりどりの焼き菓子を手に取る。
ここでは若い衆に頼むと、紅茶や珈琲、菓子類などはいつでも運んできてくれるらしい。
すると人懐こそうな色子がやってきて、里雪の袖をそっと引っ張った。
「え……? ああ」
気づいた里雪が、志乃の肩に手を置いて言う。
「紹介するね。昨日からきた新顔の銀花だよ。松韻で、俺の隣の部屋になる」
「へえ。きたばかりで、もう松韻なのか?」
その声に、新顔に興味を持ったらしい数人が近づいてきて、源氏名を教えあった。
「なぁ、俺、若い衆から華族様が入ったってきいたんだ。銀花がそうなんだろ?」
背の小さな一人が言うと、他の者たちから驚きの声が上がる。
「華族様? 本当かよ、すげぇな。どうりで綺麗な顔をしてると思った」
「バカ、すげぇとか言うなよ、失礼だろ」
「可哀想になぁ。それがなんだってこんなとこに売られちゃったんだよ」
悪気のない好奇心の対象になって、志乃は困惑した。
自分の血筋に誇りはあるが、没落した今となってはむしろ恥ずかしく、忘れてしまいたいと思うこともある。
自分から人に言うつもりもなかったし、まさかこんなふうに知れ渡ってしまっているとは思いもよらない。
「みんな、家の話はやめようよ。俺たちだってここにきた事情なんて、よほど親しくならなければ話したくないじゃない」
里雪が助け舟を出すと、それぞれすぐ反省したらしく謝ったが、それでも人懐こく話しかけてくる。
みんな苦労をしているせいか、少年らしい遠慮のなさはあっても、根は善人ばかりのようだ。
午後のお日さまの光に満ちたこの部屋にいて、生まれたときに授かったのとは違う名前を名乗っていると、本当に異世界にいる心持になってくる。
淹れてもらったお茶を飲みながら、他愛のない雑談に耳を傾けていた志乃は、少し離れた場所から聞こえてきた、国領、という声に敏感に反応した。
急いでそちらに目を向けると、ホームスパンのスーツに身を包んだ客らしき紳士二人が、両側に色子をはべらせて歓談している。
「どうかした?」
「いや、今誰かが国領って……」
思わず言うと里雪はそちらの様子をうかがい、会話の内容に耳を澄ませてうなずいた。
「確かに、国領様の会社についてのお話をしてるみたいだね。昨今、日の出の勢いらしいから、なにかと話題になるんじゃないかな。銀花、国領様を知ってるの?」
「さすが華族様だな! 国領様と知り合いなのか?」
他の色子たちも秋成を知っているらしいことに、志乃は驚く。
「いや……知り合いってほどじゃないけど……みんなはなんで知ってるんだ?」
答えを濁しつつ逆に聞くと、色子たちは口々に説明した。
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