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第14話
「三、四ヶ月くらい前からかな。たまにサンルームまでくるんだ。洋行帰りに舶来のお土産を持ってきてくれたこともあったし、優しいよ」
「楼主の知り合いっていうか、楼主の弟の友人て俺は聞いたけどな」
「とにかくそれだけのお大臣てことだよ」
「楼主の知人てだけで、どうしてお大臣なんだよ」
腑に落ちない志乃に、少年たちは口々に説明する。
「だって、新華族にでも列せられる身分でないと、楼主は相手にしないらしいよ。擦り寄る連中は後を立たないからね」
「国領様は長崎で貿易事業に大成功して貿易大臣なんて言われてたのが、半年前に帝都に進出してこれがまた大当たり。その後、子爵の爵位も拝命されたんだって」
秋成が、子爵。まさかそこまで出世していたとは。
どうやら国領家の事業は、人々の口に上るくらい隆盛を極めているらしい。
落ちた藤条家とは明暗のくっきり分かれる対照的な状況に、志乃の胸は複雑な思いでいっぱいになる。
だがそうした力があればこそ、藤条家を代々支え、栄えさせてくれていたのだろう。
事実、彼らが裏切った途端、藤条家はこの体たらくだ。
「でも子爵様だからって偉そうにしないし、背が高くて映画スタアみたいな二枚目だし、あの人がお客ならいいよなぁ」
両手を組み合わせてうっとり言われ、志乃は苦虫を噛み潰した顔になる。
「だけど、国領様って見世 にはこないよね」
「廓の中にそんなものがあるのか」
店だと勘違いした志乃に、年嵩の一人が教えてくれる。
「ここの見世ってのは言ってみれば、商品の陳列棚だよ。商品は俺たち色子。綺麗に着飾って見世に並んで、その中からどれを買うかお客さんが選ぶんだ。荷風さんだけは予約制だから、見世には出ないで、部屋でお客さんを待ってるけどね」
陳列棚。そこに自分も並べられるのだと思うと、志乃はやりきれない思いがした。
「銀花も、まだすごく体調が悪いようなら別だけど、そうでなければ今日が初見世になるんだよ。大丈夫、どうすればいいか全部俺が教えるからね」
そう言う里雪も含め、色子たちにとっては当然のことのようで、陳列棚や商品などという身も蓋もない例えにも、表情も声も明るいままだ。
「でも言われてみれば、本当に見世で国領様を見たことないな。接待やつき合いで、宴会にだけきてるんじゃないのか? そういう人、結構いるだろ」
「確かに、国領様のお相手をしたってやつ、聞いたことないしなぁ」
「色子の趣味がなくても、口が堅くて身分も信用できる人なら、夕凪さんがこっちに入れる許可を出してるみたいだからな……」
そういう可能性もあるのか、とどういうわけか、少しだけ志乃は心が軽くなるのを感じたのだが。
「だけど、相手が荷風さんだったら予約制で部屋で待つから、お客さんも見世にはいかないよね」
里雪の言葉に、今度は逆にずんと気が重くなった。
「ああ、きっとそれだ!」
別の色子がパンと両手を打ち鳴らす。
「荷風さんの上客は、貴族議員って聞いたぞ」
「上客が一人だけのわけないだろ。あの人は口が堅いから、滅多にお客さんの名前は出さないし」
ひそひそと囁かれる噂話を、志乃は憮然として聞いていた。金で性欲を満たしにきているなど、やはり最低の男だ、とむかむかしてくる。
「……銀花。やっぱりまだ具合が悪いんじゃないの?」
気がついた里雪が、噂の輪から志乃の手を引いて連れ出す。
「今日これから初見世だっていうのに。身体が痛むなら、夕凪さんに言おうか?」
「なんでもない、平気だ。……ちょっと緊張してきただけだから」
「そう? じゃあ、早めにお風呂に入ってゆっくりして、少し気持ちを落ち着けたほうがいいかもしれないね」
客をとるなど嫌でたまらなかったが、部屋にこもっていても、どうせまた若い衆に無理矢理引きずり出されてしまいそうだ。
まだ少し身体は重いが、庭を散歩して日に当たり外の空気を吸ったせいか、朝よりだいぶ楽になっている。
仮病が通用するならいいが、どの程度体調が悪いのかどうかなど、また人前で裸にされ検分されたらたまらない。
それに、見世に出たからといって必ずしも自分に客がつくとは限らないだろう。
どうかつきませんように、と念じながらサンルームを後にして、志乃は里雪と共に風呂場に向かう。
憂鬱な気持ちで風呂から上がると、里雪が細々とした見世での決まりごとを教えつつ、支度を手伝うと言ってくれた。
だが、部屋に戻る途中で背後から呼び止められる。
嫌な予感と共に振り向くと、薄暗い廊下に影のように立っていたのは、煙管を手にした夕凪だった。
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