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第16話

このまま相手の姿も見ずに抱かれろというのか。それではなにをされようがろくに抵抗もできないし、逃げることもできないではないか。 「こんな……こんなの、なにをされるかわからないじゃないか。もしかしたら部屋のものを盗まれたりするかもしれないし」  不安にかられて言うが、夕凪は淡々と言う。 「心配すんな。色子は客に選ばれるが、客は俺が選んでる。実際、ろくでもねぇ趣味の客はいるこたいるが、お前の相手はそんなんじゃねぇよ」  夕凪が選んだからと言われても、それで心配が解消するような根拠には思えない。 それにろくでもない趣味の客という存在も、容易に想像ができなかった。 異様な、普通の世の中の理解や常識を超える場なのだということだけが、時間が経つごとにわかってくるだけだ。 「でも……どうしてこんなこと……その客って、どんな人なんだ?」  絹布団にぺたんと座ったまま志乃は、気になって何度も目隠しに触れてみる。 「心配すんな。目隠しした相手を抱く趣味があるってだけで、あとはいたってまっとうな客だ。さしずめ自分の(つら)に自信がなくて、お前に見られたくねぇんだろ」 「だけど、名前ぐらい……」  言いかけると、ぐい、と前髪をつかまれて顔が上に向かされる。 「いいか。ここにゃいろんな客がくる。色子が忍びで遊びにきた客の身分を詮索するのは、ご法度(はっと)だと覚えとけ」  夕凪が、障子を開ける音がした。出ていくのかと思ったが、もう一度声ががけられる。 「そうだ、そういやお前の親戚ってのがきてな。お前に言伝を頼まれた」 「親戚?」 「名前は名乗らなかったがな。お前の父親、病状は安定してるそうだ。金さえきっちり納めてくれりゃ、なにも問題ねぇとよ」 「そうか父上が……よかった……!」  唯一の肉親の無事を確認でき、思わず安堵の言葉を漏らした志乃に、夕凪は冷たい声で念を押す。 「おい、きっちり聞いてたか? 金さえ納めりゃ、だ。お前がここでしっかり稼がねぇと、どうなるか知れたもんじゃねぇってことだよ」 「……わかってる」  頬を引き攣らせて答えると障子が閉まり、踵を投げ出すような独特の足音が部屋から遠ざかっていく。  確かに志乃は、自分の行動が直接父親の安否に関わるとは、あまり実感していなかった。  逃げ出せないのだぞと釘を刺されて、ようやく買われる覚悟を決める。  今にも目隠しなどはずしてこの部屋から飛び出してしまいたいのだが、こうなったらそのまま真っ暗闇の状態でじっと座って客を待つしかない。 そうしていると、今まで意識しなかった様々な物音が耳に入ってきた。  夜の生き物である紅天楼の、西御殿そのものが昼のまどろみから目覚め、うっそりと鎌首を持ち上げて動き出しているような感じがする。  少し離れた座敷では三味線の音が鳴り出し、廊下をどすどすと踏み鳴らし偉そうに歩く客の足音、色子の甲高い笑い声、客のうなるような浪曲も聞こえてきた。  と、ひとつの足音がゆっくりと、志乃の部屋に近づいてくるのがわかった。  志乃は唇を噛み、背筋を伸ばして両手の拳をきつく握って不安に耐える。 どきんどきんと緊張に動悸が激しくなっていく。  すう、と障子が開き、閉められる音がする。  ごくりと志乃は唾を飲み込んだ。喉がからからで、水差しから水を飲んでおけばよかった、と後悔する。  みしみしと畳を踏む足音。ばさりと上着が脱がれて放り出される音。  ふと、近くに体温を感じた。 そっと触れられたのは髪だったが、志乃は飛び上がりそうになってしまう。  するとその手は宥めるように、そのまま志乃の髪を撫で、指で梳いた。 どうしていいのかわからずに、志乃はされるがままにじっとしている。  次に指は頬に触れた。肌触りを確かめるように、下から上へ、上から下へと何度もゆっくり撫でられる。 それから指は離れていき、ホッとしたのも束の間、ぐうっと布団が沈んで真後ろに人がいる体温を感じた。 背後から抱き締められるように、腕が回されてくる。 やるならさっさとやれ、と心の中で勇ましく叫んではいたが、志乃の身体は自分でも嫌になるくらい、かたかたと震え始めていた。 「っ!」  ふいに左手首をつかまれ、悲鳴を上げそうになるのをなんとか堪える。けれど次に客がとった行動は、予期せぬものだった。  つかんでいるのとは反対の手の指先を、志乃の手のひらに滑らせたのだ。  最初は指先がかすめる感触が気持ち悪く、緊張と恐ろしさで意味がわからなかったが、数度繰り返された後、それが文字を書いているのだと気がつく。

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