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第22話
「そんなのは優しいのでも紳士でもなく、よほど悪趣味のおかしな男なんでしょう」
「……なんだと」
もう、我慢の限界だった。
「もう一回、言ってみろ!」
飛びかかって殴ってやろうとした志乃に、背後から細い腕が伸びて腰に巻きつく。
「やめて、やめて、銀花!」
「離せ、里雪! 一発殴ってやらないと気がすまない!」
だが里雪は、渾身の力でしがみついてくる。
秋成は複雑な表情を浮かべ、挑発に乗る様子もなくただこちらをじっと見ていた。
没落した元主人の一族の成れの果てを、見下しきっているように志乃は感じる。
と、秋成との間に、すいと青嵐が割って入った。
「……銀花といったね。なにか事情があるんだろうけど。新顔が騒ぎを起こすと、世話役にも迷惑がかかるってこと、わかってる?」
志乃はハッとして、動きを止めた。
それから、と青嵐は、顎で正門がある建物の方向を示す。
「ほら、うるさいのもきたし」
そちらを見ると、枯れ木の茂みから夕凪がこちらへ歩いてくるのが見えた。
夕凪も四人がいることに気づき、眉を潜める。
「……なにしてんだ、お前ら」
「あの、ちょっと歓談をしていました」
里雪が言いつくろうと、志乃はコホンと咳払いをして、乱れた袂をさりげなく直した。
夕凪は妙な空気に気づいているようだが、それについての追求はせず秋成に向き直った。
「お待たせして申し訳ありやせん。では、あちらへ」
どうやら秋成は、夕凪となにやら話をするために待っていたらしい。
自分はこれで失礼します、と青嵐もその場を立ち去る。
残された志乃に里雪は、困惑した顔を向けた。
「ねぇ、銀花。お客さんに喧嘩ごしでものを言うなんて、絶対にしたらいけないんだよ」
「……悪かったよ」
「ここにくる前からの知り合いなんだっけ? どうしてあんなふうに食って掛かるの。 ……あ、もしかして……」
里雪は目を見開いて、口元に手をあてた。
「銀花の水揚げをしたお客さんて、国領様だった? そうだよね、また買ってやらんでもない、なんて国領様言ってたし……」
なんと答えようか迷ったが、嘘をつく必要もない。
仏頂面でうなずくと、里雪は申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね。知らないで、国領様の相手が荷風さんかもしれないなんて言って」
「いや、別にそんなのは気にしてない。それに、あいつが誰となにをしても、俺には関係ないし」
「そんなこと言って……」
里雪はなおも志乃を慰めようとしていたが、西洋館の時計台に目をやって、いけない、とつぶやいた。見世に出る時間が迫っている。
また明日、ゆっくり話そうと言い残して、里雪は支度のために自室へ急いだ。
夕刻になると、またいつもの客がきたと言われ、志乃は目隠しをされた状態で絹布団の上に座っていた。
客に合う前のこの待ち時間は最近ではそわそわするような、なんとなく心はずむものになっていたのだが、今日は違う。
先刻、秋成に言われたことが何度も頭の中をぐるぐる回り、癪に障ってどうしようもなかった。
夕凪となにごとか話し合いをするくらいなのだから、あの調子ではきっと随分ここで遊んでいるのだろう。
水揚げの日も荷風のためにここに通って、それでたまたま志乃を見つけ、暇潰しにでも弄ってやろうと考えたのか。そうだとしたらあまりにもひどい。
何様だと思っているのか、と言われた。
そんな驕りは、少なくとも今の志乃は持っていないつもりだ。
自分が他の色子たちより偉いなどと思うはずもない。
普通に、一人の人間として見てくれない秋成に憤っているだけだ。
かつてあれだけ信じ慕っていたのに、一族もろとも裏切られた上、乱暴に犯され、一切の謝罪をされないのだから、不愉快に思うのが当然ではないか。
やはり当時から慕っていたのは、一方的に志乃だけだったのだろうか。
幼い頃の秋成は、確かに志乃を可愛がってくれていた。
だがそれは、父親の仕事が関係していて仕方なくだったのかもしれない。
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