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第23話

自分より七つも年下の子供のお守りをすることに、内心はうんざりしていたとしてもおかしくはないだろう。 あの頃は、秋成だけは父の仕事と無関係に接してくれていると信じていたが、しょせんは子供の思い込みでしかなかったのか。  けれど志乃のほうは違った。突然いなくなった秋成を恨みながらも、本当にずっと心を痛めていた。 また今日も遊ぶ約束をしていたのに、と誰も居なくなってしまった思い出の詰まった庭で、長いこと泣いたものだ。  絶対に秋成は帰ってくると、小さな貝絵を握りしめながら。  だから秋成も、そんな志乃の気持ちを少しくらい考えてくれたっていいだろうと思う。  それに家の事業が成功した秋成には、輝かしい未来が開けているではないか。 美しい荷風と愛し愛されて、これからますます幸せになっていくに違いない。  それに引き換え、志乃には自由もなくここで男に身を売りながら、閉じ込められて生きていくしかないのだから、一言くらい優しい言葉をかけてくれたっていいはずだ。  考えれば考えるほど悔しく、情けなさに泣けてきそうになる。  物思いに耽っていた志乃は、障子の開く音に我に返った。  半べそをかきそうになっていたのを気づかれただろうか、と慌てて志乃は顔をこする。  すると客は志乃の手を取って立たせ、布団の足元のほうにあった大きな肘つき椅子のほうに誘導していく。 そこに先に自分が座り、前に志乃を座らせて背後から抱き締めるように手を回してくる。  またふわりと、爽やかな香りが志乃の鼻先をくすぐった。 体勢が落ち着くと、この前と同じように志乃の左の手のひらに、そっと指先を滑らせてくる。 『どうした』 「え……? どうもしてないけど」 『顔が赤い』 「あの……くしゃみ、じゃない、欠伸したから」  誤魔化しきれたかはわからないが、客はしばらくあやすように、志乃の身体を揺らしながら抱いていた。  これは本当に不思議な体験だった。なにも見えず、見知らぬ男の体温に包まれて暗闇の中をたゆたうように座っている。 触れ合う身体から伝わってくる体温は暖かく、得体の知れない客だというのに、すでに気味の悪さはまったくなかった。むしろ気持ちが安らいでくる。 ふいに志乃は、幼かった頃を思い出した。  まだ二つか三つで物心がついたばかりのときは、よく秋成にこうして抱っこされて、縁側でひなたぼっこをしたものだった。  金色の陽射し。無邪気に笑い合う幸福な時間。 ずっとあのまま続くと思いこんでいた穏やかで平和な、満ち足りた世界。 秋成の優しさも触れ合う手の温もりも、すべては純粋な好意からだと素直に信じきっていた。 互いの父親同士のように、秋成もずっと自分と一緒にいてくれ、守ってくれるのだと。 『また欠伸か』 「……そう、だよ」  言ってみたものの急に様々な思いがこみ上げてきて、かすかに志乃の肩が震え始める。それは以前のように、客に買われた恐ろしさからではなかった。  こんなふうに自分を大事にしてくれる客の存在まで、秋成は否定した。 どこまで志乃をバカにし、貶めたら気が済むのか。 「あ……あなたがこんなふうに、子供を抱っこするみたいにするから。だから、いろいろ思い出して……嫌なこととか辛いこととか……」 『なんでも言うといい』  志乃は苦笑して、首を振った。 「俺はまだ半人前の色子だけど、お客さんに愚痴なんか零すもんじゃないんだろ?」  しかし客は、ことさら丁寧に手のひらに文字を書く。 『聞きたい』  この客はどういうわけか、どこまでも自分を甘えさせようとしてくれるらしい。 記憶の中の優しい秋成と、残酷に志乃を陵辱した秋成。 そしてその秋成との数刻前の言い争いや、美しい荷風と惨めな自分の立場など、志乃の心の中にわだかまったものがざわざわと蠢いて溢れ出しそうになっていた。 吐き出してしまえば、少しは楽になるだろうか。 「……ひどいことを、言われたんだ」  客は左手を離し、両手でそっと志乃の身体を抱いてきた。 その仕草の優しさに、ますます志乃の感情に押さえがきかなくなってくる。 「前に、言っただろ。信じて、裏切られるのが嫌だって。……信じてたから、苦しいんだ。悲しくて、腹が立つんだ」  ひくっ、と志乃の喉が小さな音を出す。 「売るのも、買われるのも、いやだ……なのに俺にはもう、それしかできない……」  よしよし、とあやすように客は志乃を抱き、手や髪を撫でてくれた。

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