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第28話

 それから、一か月ばかりが過ぎた。  日当たりのいい庭園の一角で色子たちと雑談を交わしながら過ごす間も、最近の志乃の頭は常に一つのことで占められてしまっている。 目隠しをさせる客のことだ。  客は相変わらず週に一度は志乃を訪ねてきてくれ、少し日数が開くと様々な贈り物が届けられてきている。  いつもとても志乃を慈しみ、大切に扱ってくれているのが感じられた。 けれど客は、背中に手を回すことまではさせてくれても、顔や髪に触れようとすると、やんわりではあるけれど、志乃の手は避けられてしまう。  顔形など、そんなものはどうでもいいのに。  いくら見た目が整っていても、秋成のように中身が冷たく残酷な人間よりも、数段に好ましい。 こうしてあんな男と比較すること自体、目隠しをさせる客に対して失礼かもしれないとさえ思う。  それに、どうしてこんなに優しくしてくれるのか知りたかった。 いったいどこに住んでいる、どんな人物なのか。  近ごろではこうして想像しているだけでも胸がふんわりと暖かくなってくる。  いくら優しくとも、自分と同じ男性に対してこんな気持ちになるなど自分は色子に向いていたのだろうか、と考えると複雑な気分になるが、今となっては同性とか異性とかいう問題ではない。  そう思えるくらい、辛い苦しい孤独をあの客は癒してくれていた。  客に対する好意が膨らむほどに、知りたいという気持ちも大きくなってくる。 そして、なぜ教えてくれないのかという憤りも。 考えるうちにやり切れなくなってきて、空を見上げて溜め息をつく。 すると、頬を撫でるまだ少し冷たい風に、かすかによい匂いが混じっていることに気がついた。 奥の日本庭園に満開になっている梅林から、甘い香りが運ばれてきたらしい。  そういえば、と志乃は、客の正体についての唯一の手掛かりを思い出した。  抱き締められると香る、あの爽やかなスッとするような匂いだ。おそらくは舶来の男性用香水だろう。  サンルームや宴会場で多くの客と接するようにしていれば、そのうちどこかであの香りの持ち主に出会えるのではないか。  その思いつきはここでの先の見えない生活の中で、ほのかな希望の明かりのように志乃には思える。 「なにを考えこんでるの」  隣で本を読んでいた里雪にふいに話しかけられて、志乃は慌てて言い繕う。 「えっ? ……ああ、その。いつになったら俺は、見世に出されるんだろうと思って」 「ああ、そうだよねぇ」  里雪は、その言い訳をもっともだと思ってくれたらしかった。 「いろいろなお客さんをとるのは大変だし、嫌なことも多いけど、見世に出たほうが身請けに繋がるようなお大臣の目にもとまりやすいからね」  里雪は本を、ぱたんと畳んだ。 「銀花は器量がいいし、きっとすぐ売れっ子になると思う。夕凪さんがそんな金の成る木を放っておくはずがないんだ。だからやっぱり、例の目隠しをさせるお客さんから、相当なお金をとってるんじゃないかな」 「それ、楼主に言いつけたら、あいつを辞めさせることができるかな」  志乃はいくらそれが仕事とはいえ、多くの人の前で自分を裸に剥いて検分した夕凪には、まだ恨みがあった。里雪は苦笑する。 「無理だよ。俺たちが楼主と連絡なんか、とりようがないもの。それにしても、目隠しをさせるお客さんって、どんな人なんだろうね」 「うん。俺もそれが知りたくて」 あの客と一緒にいるととても心地がよい。 嫌なことは絶対にしないし、甘えればどこまでも甘えさせてくれる。 広大な遊郭という異世界の中で、孤独と緊張を癒してくれる彼の存在のありがたさは、日増しに大きくなっていた。  最近ではむしろ志乃のほうが意識してしまっていて、手のひらに文字を書かれているだけでも肌を重ねているときのことを思い出し、ぼうっとなってしまうこともある。  里雪も、不思議な客の正体には興味があるようだった。 「少しは触ってみた感じでわからない? 髪型とか顔の形とか」 「全然。身体の感じだと若いとは思うけど、首から上は触らせてくれないんだ。泊まってもいかないから、寝ているところを盗み見るわけにもいかない」 「そんなに隙がないんじゃ、お手上げだね」  溜め息混じりに言われ、志乃もつられたように深い溜め息をついた。

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