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第32話

 後ろ手で障子を閉めると赤い肘掛け椅子に腰を下ろし、暗い目でじっと観察するように眺めてくる。  志乃は投げ出していた足を引っ込めた。 だが上半身は布団にもたれかかったまま、身体を夕凪のほうへと向ける。  なんの用だかわからないので、警戒しつつ返事をした。 「……調子って言われても。普通だけど」 「そうか? ここんとこ毎日ぼーっとして、真昼間から夢でも見てるような面してるじゃねぇか」 「そんなことはない」  別段、頻繁に夕凪と顔を合わせているわけではない。 それなのにどこで監視をしているのか。それとも、若い衆たちに常に色子の様子を報告させているのだろうか。  里雪にさえ気どられていない心の内を見透かされているようで、志乃は夕凪の把握ぶりに薄ら寒さを感じた。  けれど、それならば客たちのこともまた相当に把握しているのではないか、と思いつく。  直接秋成にはとても聞く勇気がなかったが、夕凪ならば。 「あ。その……実は、ちょっと聞きたいことがある」 「なんだ。教えるとは限らねぇが、一応言ってみな」  夕凪は深々と、旨そうに煙管を吸う。 なんという言い草だ、と志乃は憤慨したものの、教えてもらいたい一心で悪態をつくのを寸でのところで耐えた。きちんと正座をして、両手を畳につく。 夕凪が、片方だけの目を瞠った。 「頼む! お願いだから、目隠しをさせる客が誰なのか、教えて欲しい」  ぺこりと頭を下げ、志乃は生まれて初めての土下座をした。  だがあっさりと、無情な返事が返ってくる。 「そりゃ駄目だ、前にも言っただろ。お忍び客の詮索はご法度だ」 「……名前が駄目なら、年や職業だけでもいい!」  けれど夕凪は答えようとはしない。頭を上げると、面倒くさそうな顔をして煙を吐き出していた。 「そんなもん知ってどうすんだ。なんか問題でもあるのか?」 「いや……問題っていうか……」  志乃にとっては大問題なのだが、どう説明したものか迷っていると、夕凪は苛立ったように言う。 「じゃあなんだ。客が目隠しをさせるのが不満か? 言っとくがなぁ、普通はある程度手ほどきを受けたら見世に出て、とっかえひっかえいろんな男と寝るのが色子の仕事だ」  忌々しそうに立ち上がると、煙管を左手の甲にとんと打ちつけて煙草盆に灰を捨て、また元の椅子に座る。 「山背の連中は個室も貰えず、一人きりで泣く場所さえねぇんだぞ。お前はすぐについた上客のおかげで、どれだけ恵まれてるかわかってんのかよ?」 「……それは」  自分よりずっと大変な思いをして、何年もここで働いている色子たちがいることは、わかっているつもりだった。 里雪を見ていても、もっと強くならなくてはと何度も思った。 「目隠しぐらいなんだってんだ、もっと吐き気がするような趣味嗜好のお大臣はいくらもいるぜ。まぁその分、揚げ代は上乗せするがな」 「違う、そういうことじゃないんだ。目隠しが嫌なわけじゃない」 「嫌じゃねぇだと? ……ただ、知りたい。そんだけか?」 「……そ、そう……だけど……」  ああなるほど、と夕凪は勝手に納得したようにうなずいた。 「惚れたのか、あの客に」 「そんなこと、あるわけないだろ!」  カッと頭に血が上って声を荒げると、夕凪は薄い唇の片端を吊り上げた。 「ふぅん……まぁ、お前が違うってんなら違うんだろうがな。後学のために教えてやるから聞いときな」 惚れたという言葉に動揺し、動揺している自分に焦る志乃に、夕凪は淡々と諭すように忠告してくる。 「なぁ、銀花。遊郭じゃあ、色恋は駆け引きの商売道具だ。するなとは言わねぇが、本気で嵌っちまったらお前の負けだ。客を惚れさせ貢がせたらお前の勝ちだ。身請けなんて話にまでなってくれりゃあ、こっちだって採算がとれて万々歳、文句はねぇよ」 「惚れさせる……」 「そうだ。そのための手練手管に長けた玩具になりきれ。これと目をつけた敵将を、自在に惚れさせ、落とせるようになりゃ、玩具からあっという間に天下取りの将軍に出世できる。それが遊郭だ」  そんなことは、考えたこともなかった。  もしも、目隠しをさせる客が秋成以外の人間であるならば。  あんなに優しくしてくれるのだから、好きになってもらえる可能性はあるかもしれない。そうすれば、心を開いて目隠しも取らせてくれることだってあり得る。  けれど、それならどんな態度をとり、どうやってその気にさせればいいかなど、志乃にはやはりよくわからなかった。

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