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第5話

 岩下もよく口にしていたからだ。彼の場合はたとえ話ではなく、実際に目の前で女を抱かせた。酒を飲みながら一部始終を見物して採点するという悪趣味の極みだ。  岩下の舎弟で、洗礼を受けていない人間は皆無だろう。 「たかだか電話ぐらいでサカってんじゃねぇぞ」  煙草の煙を吐き出し、口元に近づけた携帯電話のマイクに向かって声を低くする。おもむろに電話を切り、そのまま布団の上へ投げ出した。  もう一度かかってくることはない。道元との仲は、その程度だ。  岡村に対して、精神的な支配と虐待を望んでいる道元だが、同性愛者ではない。女が好きなヘテロで、基本的な性癖はSだ。潜在的なマゾヒストだからこそ、女を支配したがる。  権力者でありサディストな自分が雑に扱われるというシチュエーションに興奮する倒錯趣味だ。  何度かそういうプレイを共有したが、岡村が挿入したことはなかった。もちろん逆なんてありえない。 「好きでやってんじゃない……」  ため息をこぼし、携帯電話を手に取った。  道元の変態行為に付き合うのは、佐和紀のためだ。関西の情報を引っ張るためのルート作りでしかない。  同じビジネス絡みなら、中華街の情報屋・星花(シンファ)を相手にする方が何倍もマシだ。男だが、顔も身体もきれいで、床上手。許してやれば、何時間でもしゃぶっている淫乱だ。  携帯電話の画面に呼び出した連絡先を眺め、岡村は眉根を寄せる。コールせずに、そのまま画面を消した。  酔いがすっかり薄れたむなしさから、誰かに会いたい気持ちになっている。しかし、セックスは面倒だ。抱くのも搾られるのも、今夜はいらない。  片膝を抱き寄せ、あごを乗せながら煙草を吸う。頭の片隅には、常に佐和紀の姿がある。どこにいるのか、なにをしているのか、危険に陥ってはいないかと、心配が募る。  しかし、感情は複雑だ。優しい気持ちの裏側には、言い知れぬ闇がある。  捨てられたと感じる悲しみは、いつしか怒りになり、恨みが芽生えていく。  ゆるやかに紫煙をくゆらせ、岡村は携帯電話の画面を操作した。  選んだのは、ひとりの女だ。『セックスフレンド』でも『愛人』でもない。ましてや『友人』でもなかったが、『知り合い』よりは近しい間柄だ。  コール三回で電話が繋がる。陽気な応対がスピーカーから流れ、岡村はホッとした。 「眠れなくて……。泊めてもらえないかな」  出し抜けに言うと、女の声に明るく笑い飛ばされる。  相手は、岩下のオフィスの受付嬢・静香(しずか)だ。三十代半ばで、三人の子どもがいるシングルマザー。長い髪とボディコンシャスなスーツがトレードマークで、化粧映えのする派手な美女だ。 『いま、どこにいるの?』 「家にいる」  岡村の返事を聞いて、また笑う。 『酔ってるんでしょう。来てもいいけど、タクシーでね。なにか食べる? 作って待ってるけど……』 「なにもいらない。すぐに行く」  電話を切って立ち上がる。服を着ながら、タクシー会社に配車依頼の電話をかけた。  ちょうど近くを流していた車が見つかり、五分もしないで乗り込んだ。静香の家までは三十分かからない。  駅に近い大型マンションの中層階だ。エントランスでオートロックを解除してもらってエレベーターに乗る。コの字型の廊下を突き当たった端のドアが開き、すっぴんの静香が顔を出す。化粧をしていなくても、じゅうぶんに魅力的な大人の女だ。  十一月の夜風に肩をすくめ、せわしなく手招きをしている。  つられて、岡村の歩調も速くなった。 「本当に家にいたの?」  ジャージのズボンにトレーナーを着た岡村のラフさに、静香はあっけらかんと笑う。部屋の中に引きずり込まれ、ドアに鍵がかかった。 「入って、入って」  静香に背中を押されて、廊下をまっすぐに進む。訪れたのは初めてじゃない。その先がリビングであることも、3LDKであることも知っている。 「子どもたちは?」  肩越しに振り向きながら聞く。 「下のふたりは、とっくに寝たわ。翔琉(かける)はそこ」  言われて、横長に広がるフロアのリビング側を覗く。少年がひとり、家庭用ゲーム機を片づけているところだった。 「岡村さん、こんばんは。俺はもう寝ます」  ハキハキと挨拶する翔琉は高校生で、第一印象は、しつけの行き届いた行儀のいい少年。本性は別にある。 「今日は泊まっていくから、明日の朝、話をしようか」  岡村から声をかけると、にやっと笑って肩をすくめた。 「悪いコトなんて、なーんもしてませんよ。ちょっと遊ぶぐらいで」  そう言って、母親に見えないように小指を立てる。悪いフリをしたい年頃だ。本当の悪さをしているかどうかは、目を見れば判断がつく。 「……ゴム、使えよ」  助言できることはそれだけしかない。翔琉の年頃の女遊びはたかが知れていて、心配なのは妊娠と性病だ。  翔琉は素直にうなずき、岡村に近づいてきた。 「俺、この前七十五人目とやった」  いたずらっぽく言って小首を傾げる。 「……ひとりと、七十五回やれよ」  岡村はあきれながら答えた。数より質だと言っても、まだわからないだろう。人からセックスを強要されたこともないのだから、むなしさを知るのは、まだまだ先の話だ。 「岡村さんは、母さんと何回……」  毎回繰り返す、くだらない質問は、今夜も最後まで言えなかった。静香の手が伸びてきたからだ。いつのまにか近くにいて、容赦なく翔琉の耳を引っ張った。 「つまらない自慢はいいから、寝なさい。明日も学校でしょう」 「つまらなくないだろ……。トップランカーだよ、俺」  翔琉は堂々と胸をそらす。  ふんぞり返った姿に幼さが残り、母親の静香は額を覆ってため息をついた。  長い髪を低い位置でポニーテールに結び、綿のパジャマの上にキルティングのローブを羽織っている。化粧っ気がないときは、サバサバとしたハンサムな女だ。 「ほんと、男ってくだらないわ。年齢なんて関係ないんだから……」  子どもを寝室へと追い立てた静香が戻ってくる。  口では悪く言っても、実際はあきれているだけだ。言葉ほど、バカにしていない。  千人斬りを目指している翔琉にしても、女を見下すことは絶対になかった。  男運がすこぶる悪い静香の子どもは、三人とも父親が違う。しかし、コミュニケーションが行き届き、良好な家族関係を保っている。  岩下のオフィスに勤め、秘密保持の特別手当を含んだ給金を、じゅうぶんすぎるほどもらっていることも大きな要因だろう。会社は実質上のペーパーカンパニーだ。金が右から左に流れていくだけで事業の実態はない。  岡村は彼女の相談相手だった。岩下から指示されてのことだが、仕事の感覚はまるでなく、子どもたちを交えて食事をしたり、遊園地へ行ったりしてきた。  そうしていれば、静香に近づこうとするクズ男はいなくなる。 「本当に、なにも食べない? 簡単なものなら」  缶ビールを渡され、テーブルの上にスナック菓子が並ぶ。 「これぐらいのつまみでいいです。けど……。明日の朝、泣かれたりしないですか、コレ」  どう見ても、下の子どもたちのおやつだ。次男の奏汰(そうた)は中学生で、三男の悠人(ゆうと)は小学校高学年。まだまだ、おやつを奪われたときの恨みは大きいだろう。 「相手が慎一郎くんなら平気よ。いままで、たくさん買ってもらってるんだから」 「じゃあ、また買って返すってことで……」  言いながら、ポテトチップスに手を伸ばす。飲み屋で食べることを思えば、どれに手をつけても激安価格だ。

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