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第2話 〜覚悟〜
ベンチに座って、頭を抱える。
あの母の元へはもう居たくなかった。居たとしてもいつか殺してしまうかもしれない。
あの人のせいで犯罪者にもなりたくないし…父親はどこにいるのか…。小学校の時から何度も巡らせた思考。もう何回目だろうか。
17歳でてつやを産んだ美香子だが、その時の相手は真剣に付き合っていた大学生で、妊娠した美香子に責任を持ち、親には少々迷惑はかけたが大学もちゃんと出てから結婚をした真面目な相手だった。
しかしてつやが小学2年の頃に母親美香子の男遊びに愛想が尽きて離婚していた。
父親はてつやを引き取ろうとしたが、美香子が母子手当欲しさにてつやに『お母さんと一緒がいいと言え』と半ば強制し、まだ小さいてつやはそれに従うしかなかく、家裁は子供の言い分としてそれを認める形となり、父親は引き下がらざるを得なかったのだ。
それからずっと美香子と生活を共にしているが、小学生時代はほぼ半年ほどで父親が変わるという生活を送ってきた。
てつやはその時々の父親に、時に殴られ時に躾と称して家から追い出されたりして、そんな時は決まって1人で公園のブランコに乗ったり、中央の山のような滑り台の下のトンネルの中で寝ていたりしていた。
そんなてつやを迎えにきてくれたのはいつも広田 のお母さんであり、花江 のお母さんだった。
てつやはそんな2人の母には今でも頭が上がらない。
が、今回の出来事で、てつやはもう限界だった。
「あー、これからどうすべ…」
ベンチに寄りかかって、空を見上げる。
6時を回っていたが、まだ空は青い。
「遠くに行けたらなぁ…」
空をみて、高いところを飛ぶ飛行機雲に思いを馳せ、しばらくボーッと過ごす。
…が、はたと気づき、勢いで持ってきた学生鞄からカッターを取り出した。
母親を殺すことばかり考えていたが、自分がいなくなる方が手っ取り早いか…などと言う考えが、ごく自然に当たり前のように頭に浮かんでしまった。
てつや はカッターの刃をカチカチカチと出したり引っ込めたりして、じっとそれを見つめる。
どこを切ったら効果的かな…首って案外切れないって聞いたことあるしな…手首は即効性なさそうだけど、水道で流しながらなら…
物騒な思考を、焦点の合わない目でぶつぶつと呟いていると、カッターを持つ手を誰かがそっと掴んできた。
「そんなんやってると、巡回のおまわりに補導されるぞ」
「京介…」
中学の時に入学と同時に引っ越してきて、いまではまっさんと銀次と一緒に遊ぶようになった仲間だ。
京介はゆっくりとカッターを取り上げ刃をしまい、自分のポケットへ入れてしまった。
「何考えてた?」
隣に座って、持っていた缶コーヒーを渡す。
「サンキュ。別に何も考えてなかったよ」
「カッターの刃カチカチいわせながらか?」
もう一個の缶コーヒーを開けて、京介は半分ほど飲み干した。
「部活帰りか?」
てつやも倣って半分ほど開け、京介に問う。
話を逸らされたが、京介は気にする風でもなく
「うん。体育館の順番で早終わりだった」
と平然と答えた。
「相変わらず立て込んでんだな、体育館」
旧市街の仲間たちは、図らずも全員同じ高校へ進学をした。今一年生。京介はバレー部だ。
「帰宅途中なん?」
公園を通る道は、京介の家には遠回り。
「そうなんだけど、まっさんに借りた本を返しに行こうと思ってさ」
カバンを開けて見せて、バイクの雑誌を見せた。
「ああ、お前ら好きよなあ。あ、じゃあこのコーヒーまっさんにだったんじゃねえ?」
嘘でも笑って、てつやはまっさんゴチ〜とベンチに寄りかかった。
「なんかあったか?」
「いや?なんも…」
嫌な感情が思い起こされ、声が震えたが気づかれただろうか。
「この間は…うちの親行けなくて悪かったな。ちょうどタイミング悪く親父が遅くて、妹小せえしで」
この間とは、あの事件のことだ。
「いや、そんなん平気だよ。みんな大げさなんだ。まあ嬉しかったけど」
「…お前のかーちゃんさ…」
言っていいのか迷ったが、今てつやがここにいる事実がどうも怪しくて、カマをかける意味で思い切って切り出してみる。
案の定てつやの肩が少しだけ震えた。
「ああ、あいつとんでもねえよな。男に襲われたって笑ったんだぜ」
しょーもねえかーちゃんだよ と笑ってはいるが、もう声が震えている。
「そのかーちゃんとなんかあったな」
顔を見ずに、京介はさらりと言った。
てつやは黙り込んで、膝に肘をつき缶コーヒーを揺らす。
「家に来いよ」
なんかあったとして、もしかしたらまっさんちも銀次の家も知られているから、美香子が行くかもしれないという京介の判断で、知られていない京介の家に連れて行こうとした。
京介はまっさんと銀次に連絡を入れ、時間が取れ次第自分の家に来て欲しいと告げる。
2人からの返事は快諾で、母親連れて行くわ、と何もかもわかっている連絡が来た。
「じゃあ行こうか」
下を向いたままのてつやの腕をそっと引いて、京介は立ち上がる。
てつやはその腕に従い、立ち上がった。
午後8時頃、京介の家にまっさんと銀次両母子がやってきた。開口一番
「美香子さんが来たわ」
と2人の母は言った。
はぁ…とため息をついたてつやは、
「ご迷惑をお掛けしました」
と玄関先で正座して頭を下げる。
「てっちゃんが謝ることなんてないのよ。ちゃんといないって言って帰ってもらったから大丈夫」
広田 のお母さん梢さんがてつやに頭を上げさせ、浅沼家のリビングにお邪魔した。
てつやは3人の母たちに今日あったことをちゃんと話し、もう限界かもしれないことを告げた。
母たちは絶句して、少し怒ったような顔つきになっている。
このままいたら、どっちかが消えないと…とてつやが言うと、その言葉と共に京介がカッターをテーブルに置く。
「俺がてつやを見かけた時に、これをカチカチやってて…」
浅沼 の母眞知子さんが、カッターを取り上げて握りしめた。
「てつやくん…あなた何も悪くないのに…だめよ…」
てつやの両端に座っていたまっさんと銀次も、ソファに座った膝の上で拳を握り締め何かに耐えている。
「もう…てつやくんはあの家に返せないわね…」
ため息まじりに花江 の母葉子さんが言った。
「そうよねえ…」
梢さんもそう言って、しばし考える。
どうしたらこの子 を守れるか…
「しばらく、家 にいたらどう?」
眞知子さんが、てつやに言う。
「うちは、てつやくんのお母さんに知られていないし、高校出るくらいまで預かるわよ」
てつやは顔をあげて
「いやっ、そんな迷惑はかけられませんから」
とは言うが実際問題として、てつやは貯金も何もないし、今ここでどうにかなどできようもない。
「でもてつやくん…それはいい申し出よ。高校いっぱいと言うわけには私も行かないと思うけど、私たちが部屋探すからそれまでの期間浅沼さんに預かってもらいなさい。ここなら私たちも安心よ。ねえ、梢さん」
葉子さんが説得するように言い聞かせる。
「そうね、できるだけ早く見つけるから…眞知子さんいいかしら?」
「もちろんよ。言い出したの私だし。高校いっぱい居てくれたって構わないし」
眞知子さんは、ふんわりした感じの女性だ。可愛らしい人で、仲間内では『妖精』といわれて揶揄われるほど。
「でも…」
「でも、なんて言ったって、お前に策があるわけじゃねえだろ」
まっさんが隣で背中を叩く。
「ここなら俺らも来やすいし、なにより…カッターカチカチされるよりずっと安心だ…」
銀次も、自分もいいと思うとてつやを説得。
てつやはみんなの言葉をきいて、仕方ないと思ったのか
「自分も、部屋探しますんで…暫くお世話になってもいいすか」
と、申し訳なさそうに呟く。
「決まりね!嬉しいわ。部屋も一つ空いてるの、そこを使ってね」
途端にウキウキし始めた眞知子さんは、既に朝食のメニューを考え始めていた。
「いや、部屋は京介と一緒でも全然…」
「京介も背が伸びてるし、てつやくんだって小さい方じゃないじゃない?むさ苦しいわよ男2人は」
京介と顔を見合わせて、まあ…確かにと苦笑し合う。
それからは要りようなものは美香子が仕事に出かけた隙を狙って取りに戻り、後は母たちが任せなさいと頼もしいことを言ってくれた。
てつやは、その頼もしさや暖かさに少し涙を滲ませる。
「あれ、こいつ泣いてる?」
銀次の声に
「泣いてねえよ!」
と、鼻を啜って顔を上げた。
「お世話になります」
実際のところ、今回のこの計画は美香子が児相や警察に届出をしたら完全に頓挫し、下手したら未成年者略取の疑いで母たちは捕まってしまうような危ういものである。
しかし例えそうなったとしても、母たちは美香子の元へてつやを帰すわけにはいかないと心に決め、そうなった時は弁護士をたてて全てを話して断固戦う決意もあると腹を括っての行動だった。
表向きはてつやが行方不明ということになるが、結果はよっぽど後ろ暗い何かがあるのか、美香子はどこへも訴えも届出もを出さず、てつやを本気で探すのなら学校へ来るという手だって有るのだがそれすらもしなかったから、計画は随分と楽に進んでいけた。
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参考までに
『未成年者略取』と言うものは、例え連れ出された本人(未成年者)が許諾していても、連れ出した者が罰を受けてしまうという、中々に厳しい事件となってしまいます。
なので今回の場合、てつやが母親から逃げたいと言っていても、見つかればお母さん方は逮捕の対象になってしまうのです。
抜け道というか刑罰を逃れる正当なものとして、『親権者(被害者)が告訴しない』と言うことがありまして、これは最善のものでした。
この話の場合は美香子が告訴しないということが唯一進行を妨げない方法なので、そこを使わせていただきました。
美香子さんをいい加減な人間に書いていて良かったと心から思いましたよ(笑)
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