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第8話 勇者様、オロオロする

「あぁ~!」  早朝からジェイミーの嘆き声が寝室に響いた。 「ルナトゥス、ルナトゥス起きるんだ!」   「うぅーん」  ジェイミーにゆさゆさゆさゆさ揺すられるルナトゥスだが、まだ惰眠を貪っていたい。  ルナトゥスは体を縮こまらせ、暖かく柔らかな洞窟に潜り込んだ。だが洞窟の低い天井は暖いのに、地面がとても冷たい。しかも濡れている。  水たまりでもあったのだろうかと体をよじると、ぐっしょり濡れた不快感に襲われ、ゆっくりと瞼を開いた。  途端に毛布をめくられ、自分が洞窟ではなく、ベッドの上で丸まって眠っていたことを知る。  目をすがめながら顔を上げると、眉をハの字に寄せた情けない顔のジェイミー。 「ルナトゥス~、オネショしちゃだめじゃないか。催したらトイレに行かないと!」  ジェイミーはルナトゥスを片腕にかかえ上げ、反対の片腕には毛布とシーツをかかえると、洗面所に走った。 「も~。オネショだなんて、どうすりゃいいのさ」 「お、お、おね……!?」  昨日着替えさせられた時のような優しさはなく、手荒くすっぽんぽんにされ、すっかり目が覚めて驚愕する。  オネショと言うのはつまり、漏らしたと言うことだ。  ルナトゥスは魔王として生まれてこの方、自身の全てをコントロールできなかったことなどない。それが幼児化してからはめちゃくちゃだ。そしてとうとうオネショをしてしまうとは。 「ぁあああああああぁ!」  頭の中が爆発しそうに熱くなり、発散させたくて地団駄を踏んだ。それから、辺りにあった物を手当たりしだいつかみ、四方に放り投げた。 「……っ、こら! ルナトゥス、やめるんだ。なんだよ、突然。ルナトゥスってば」  「うわああああぁぁぁぁぁ!」 「ルナトゥス、大人しくしろよ、やめろっ……ルナトゥス!」  ルナトゥスが掴むものを奪いつつ、投げた物を回収しつつ、ジェイミーは声を荒げた。強く言えば大人しくなるだろうと思った。だが叱るほどに、体を抑えるほどに、ルナトゥスは暴れる。  顔じゅう涙と鼻水まみれでぐっちゃぐちゃ。 「なにやってるの!」  騒ぎを聞きつけたハンナが居間から飛んで来た。すると惨状を見て、すぐに理解したようだ。 「ルナトゥス、大丈夫。心配ないわ。ほらおいで。大丈夫大丈夫。綺麗にしてあげるから」  ハンナは穏やかな声でルナトゥスの頭を撫でたあと、荒ぶった息を整えさせるためにぽん、ぽん、と背を叩いた。 「う、ひっく、ひっく……うぅ」  次第にルナトゥスが落ち着く。 「よしよし、いい子ね。びっくりしたのね。もう大丈夫。ルナトゥスくらいの子にはよくあることよ。さぁ、体を洗いましょう」  ハンナは浴室にルナトゥスを入れ、ジェイミーには後片付けを言いつけた。 ***   「ジェイミーが取り乱すから、ルナトゥスに伝わって癇癪を起こしたのよ」  すっかり落ち着いてから、結局ハンナが用意してくれたベーコンエッグと昨日の残りのパン、新鮮なルッコラとクルミのサラダの朝食を皆で囲んだ。  卵は卵白のサラサラ部分をザルで落としてあるので、表面が光るくらい完璧な半熟目玉焼きになっている。  フォークの先でぷつりと刺すと、とろりと溢れた黄身がベーコンを包み込んだ。    ハンナがそれをパンに挟んでくれて、ルナトゥスは黄身を垂らしながら頬張る。ただ、オネショに加え、暴れ騒いだことがきまり悪く、言葉はなにも出ない。 「癇癪?」  ジェイミーは黄身を潰さす、ベーコンをカリカリのまま口に入れた。この食感が好きなのだ。 「そうよ。ライアンがよく起こしていたでしょ」 「ああ……」  二番目の兄のライアンは感情の起伏が激しく、特に怒りや悲しさのエネルギーは凄まじかった。  家族で街の市場(フェスタ)に行った際などは、欲しいおもちゃを買ってもらえないと地面に張り付き、大声で泣き喚いていたものだ。 「癇癪の収め方は個性によって違うけど、ルナトゥスの場合は共感してくれる相手がいればいいんじゃないかしら」 「共感……」 「アンタが女の子にいつも言ってるアレよ。綺麗だね、可愛いね、なにをしてもいいんだよ、ってやつ」  ひどい例えである。  しかしジェイミーは納得したように頷いて、ルナトゥスに顔を向けた。 「ルナトゥス、可愛いね。大好きだよ。さっきは叱ってごめんね」 「ぶっっ」  熱っぽい瞳で言われて、口に入れたばかりのトマトを吹き出す羽目になった。  ルナトゥスは幼いぷにぷに顔を引きつらせる。 「貴様(きしゃま)、なにを血迷った……」   全部は言わせてもらえなかった。ジェイミーが布巾で口を拭うのに乗じて、ルナトゥスの口を塞いだからだ。 「んぐっ、むぐ☆▲◆□☓……!」 「ちょっと、ジェイミー、強く拭きすぎよ」    ハンナが助け舟を出してくれて口は自由になったが、ジェイミーの目はルナトゥスをじっとりと見つめたまま。決して慈しみの色ではなく、圧を強く感じる。 「ルナトゥス、どこでそんな偉そうな言葉を覚えてきたのかな。俺はそんな子に育てた覚えはありませんよ」 「!? 貴様(きしゃま)に育てられた覚えは……もごっ」 「ルナトゥスは本当に悪い子だねぇ。昨日も約束しただろ? 言葉遣いには気をつけるって」  約束だと? ルナトゥスは再び口を押さえられ、その上ベーコンエッグの皿を取り上げられて手をバタつかせて反抗した。  そして不意に思い出す。昨夜寝る前、言われるままに誓いに頷いたことを。 「守れない子にはごはんをあげないよ」 「ぐっ……」    お尻ペンペンは逃げられるとして、今はジェイミーの方が体も力も強く、食事を取り返すのは難しい。 (この卑怯勇者め。我の今一番の楽しみを盾にするとは)  ルナトゥスはハンナをちらりと見てみたが、言葉遣いにはハンナも同意だったようだ。また、ジェイミーの家では食事やおやつなしの罰は普通だったため、今度は助け舟はなかった。  不本意ながらルナトゥスは頷き、ジェイミーはようやく笑顔になる。 「よし。いい子だ。さぁ、ルナトゥス。食べたら次は村の共同農園に行くんだそ。しっかり助けてくれよ?」

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