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第十七話 二人
あと少しで太刀渡家《たちわたりけ》に到着するという、まだ日が明けきらぬ早朝。
名凛《めいりん》一行は、宿場町一番の宿を貸し切り宿泊していたが、友泉《ゆうせん》は、人目を忍んで名凛が休んでいる部屋の前に行き、そっと声をかける。
「名凛、名凛…。おい、起きろ。」
名凛は、眠たい目を擦りながら戸を少しだけ開ける。
「ちょっと、なんなのよ、こんな早くに。人に見られたら大変よ。」
名凛の言う通り、いくら幼なじみとはいえ、人に気づかれたら大変だ。
それでも友泉は気にせず、すぐに着替えるよう扉越しに伝える。
名凛はまだ眠っていたい気持ちもあったが、宮廷を離れ開放的な気分になっており、また生来の好奇心も相まって、いそいそと簡易な衣装に着替え、友泉の前に現れた。
友泉は多くを語らず、行くぞと名凛を馬に乗せ、自分もその後ろに跨がり、馬を走らせた。
宿場町を出ると、見晴らしのいい丘に向かう。
早朝の冷たい風は、二人の頬をヒリヒリさせたが、友泉は構わず馬を飛ばし、名凛は何が起こるのかと期待に胸躍らせていた。
丘の上に到着すると馬を留め、友泉は名凛をそっと降ろしてやる。
丘からは左手に宿場町が眼下に見え、右手に名凛たちが目指す竜仙山が見えた。
雲に覆われた竜仙山は、その姿をひたすらに隠していたが、徐々に日が登りはじめると、涼やかな風は朝靄と雲を連れては去って行った。
遮るものがなくなると、名凛たちの前に、天に向かってそびえ立つ竜仙山が姿を現した。
二人は、その人を寄せ付けぬ威厳と圧倒的なまでの美しさに言葉を失った。
「きれい…。」
名凛がようやく発した言葉は、月並みではあったが、心からの言葉であった。
友泉も黙って頷く。
二人はずっと見ていたいと願ったが、気まぐれな風はまた雲を引き寄せ、竜仙山をあっという間に覆ってしまった。
名凛は、刹那の幸運に立ち合わせてくれた友泉に、心からの礼を述べた。
「ありがとう、友泉…。」
「あぁ。」
友泉はしばらく黙っていたが、名凛と向き合い、伝えたいことがあると言う。
名凛は友泉のいつもとは異なる態度に、心にさざ波が立つのを感じた。
「たいしたことじゃないんだ…。ただこれだけは言っておきたいと思って…。」
「…なに?」
名凛は余計なことは言わず、彼の言葉を待った。
「その…、つまり俺が言いたいのはな…。お前のそのあざのことだよ。治ればそれが一番だ…。うん、でも、そうでなくても…。…お前はそれでいいんだ…。」
友泉は彼の顔は茹でたたこのように赤く染まり、それ以上言わず、いや、もうなにも言えず黙ってしまった。
名凛はというと、少し拍子抜けしたような、ほうけたような表情で、友泉を見ていたが、すぐに気をとりなおし、弾けるような笑顔を見せて大きく頷く。
友泉の言葉は、彼女が欲しかった言葉とは少し違っていたが、それでもその言葉に嘘はないことを彼女は知っていた。
彼は昔から変わらずそういう人で、名凛は心の底から彼らしいと思った。
心地よい風が二人の間をすり抜ける…。
二人の頬に優しくかすめる風が、そこはかとなくこそばゆく感じるのは、気のせいではないだろう…。
二人は、無言で心を通わせ、丘をあとにした。
宿に戻った二人は、待ち構えていた乳母にこっぴどくひ叱られたが、二人はなんてことないと言って笑い合った…。
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