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第十話 離情
清蓮は白波が静かに揺らめく姿を眼下に、切り立つ崖の先端に一人、沈みゆく太陽を目を細めて眺めている。
潮風は清蓮の頬を優しく撫で、美しい黒髪は自由気ままに踊っている。
清蓮は幼い頃、避暑地に行った帰りに家族四人で夕陽を眺めたことがあった。
懐かしい…。
あの時も夕陽が燃えるように美しかった…。
しばし夕陽が沈むのを見ていると、潮風にのって懐かしい声が聞こえてくる。
「清蓮…。清蓮…。お兄様!」
「…?」
清蓮は声の方を振り向くと、両親と名凛が清蓮に笑顔を向け立っている。
「父上!母上!名凛も‼︎」
清蓮は三人の顔を見た途端、ぱあっと花が咲いたように笑顔が溢れ、そのあと涙が溢れ出る。
清蓮の美しい顔はどこへやら、ぐしゃぐしゃな顔をして、彼の愛してやまない三人を愛おしく見つめる。
「まぁ、まぁ!この子ったら、そんな顔して!一体どうしたというのでしょう?」
王妃は自分よりはるかに背の高い清蓮を、まるで赤子を抱きしめるように優しく包み込む。
あぁ…、母上…。
「本当に!お兄様ったら、なんて顔してるの?友泉が見たら、笑われるわよ!」
名凛も…。
清蓮は顔をあげ、涙を拭きながら、
「うん。君の言うとおりだ。友泉には内緒だよ、名凛。」
清蓮は名凛も手招きして抱きしめる。
「まったくだ。次代の王がこれでは、私たちは心配で死んでも死にきれんよ。」
国王も清蓮たちに加わり、四人の家族は一つになって抱き合った。
互いに無言のまま、その温もりを確かめ合う。
清蓮は込み上げてくる気持ちで胸が苦しくなる。
嬉しくて嬉しくて、苦しくなる。
でもこの苦しみは、嬉しさからくる苦しさだから、ちっとも嫌じゃない…。
清蓮は込み上げてくる気持ちを、大きく吸い込んで、そしてゆっくり吐き出した。
すると心は落ち着いてきて、清蓮は自分がいるべき場所はここだと、帰るべき場所にやっと戻ってきたんだという安堵感でいっぱいになった。
また、みんなで一緒に暮らすんだ。
いつまでも一緒に暮らすんだ…。
清蓮は三人の顔をじっくり見ようと顔をあげた。
不思議なことに、国王と王妃はすでに清蓮から離れたところにいて、清蓮を見つめていた。
「父上、母上!なぜそんなところにいるのです⁈」
清蓮はなぜか嫌な予感がして、彼らのところに行こうとすると、とっさに誰かが清蓮を引き止める。
名凛だ。
「名凛、なぜ止める?父と母上のところに行こう!君も一緒に行くだろう?」
「お兄様、だめよ。行ってはだめ!」
「名凛!なにを言ってるんだ⁈また家族四人で暮らすんだよ!暮らすんだ‼︎」
「お兄様、もうお父様もお母様も亡くなってしまったのよ…。もういないの…。もう会えないのよ…!」
「それがどうしたって言うんだ!君も私も一緒じゃないか!みんな死んでしまったんだろう⁈だったらそれでいいじゃないか⁈あの世で四人、また一緒に暮らせばいいじゃないか‼︎」
清蓮は名凛を振り払おうとするが、名凛の力はなぜか恐ろしいほどに力強く、太刀打ちできない。
国王と王妃は清蓮からどんどん離れ、もう消え入りそうだ。
「清蓮、お前はなにがあろうとも幸せになる…。あの方を信じるのだ。」
「清蓮、名凛をお願いね…。二人ともいつまでも元気で…。母は二人の幸せを心から願っていますよ…。」
「父上!母上!行かないで!置いていかないで!お願い、私を連れて行って‼︎」
清蓮はあらん限りの声で叫ぶが、二人の姿はもうどこにもなく、清蓮の言葉は潮風にかき消されてしまう。
清蓮は力なく地面に崩れ落ち、自分は死ぬことも許されないのかと神を呪った。
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