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第十七話 誓い
光聖は暗闇のなかで一人佇んでいると、遠くから自分呼ぶ声が聞こえてくる。
光聖はその声の方に目を向けると、暗闇のなかに小さな淡い光が見えた。
光聖は躊躇することなく、闇を泳ぐようにその光の方へ行くと、誰かがぐいっと手を引っ張り、そのまま光のなかへ引き込まれた。
光聖はゆっくりと目を開けると、そこは修練場近くの森だった。
目線を動かすと、自分を心配そうに覗き込む光安と目があった。
二人は目が合うと、光安は安堵の表情を浮かべ、
「目が覚めたか…光聖」
光安は光聖をひしと抱きしめる。
あの森で、黒鹿から攻撃をまともに食らった光聖は、闇にのみこまれたと思っていたが、何事もなかったかのように横たわっていたのだ。
光聖も光安をぎゅっと抱きしめ返した後、顔を上げて周りを見渡す。
黒鹿はもう姿を消して、その気配すらない。
清蓮はというと、光聖からほんの数歩離れたところに横たわっている。
清蓮は顔面蒼白で意識はなく、誰が見ても虫の息だ。
光聖は結界を張るのに集中して、黒鹿が光聖に向けて放った黒い波動に気づいていなかった。
清蓮は咄嗟に光聖の前に立ちはだかり、波動を真正面から受け止めたのだ。
光聖は光安からすぐさま離れて、清蓮のもとに駆け寄る。
「清蓮!清蓮!起きて!目を開けて‼︎」
光聖は目の前の光景を受け入れられない。
「いやだ…、やだ、やだ、やだ‼︎清蓮、起きてよ!なにしてるの!なんで起きないの!起きてよ‼︎目を開けてよ‼︎お願い!お願い、お願いだから目を覚まして!清蓮‼︎」
光聖は清蓮の体を揺さぶったり、顔を叩いたりするが、清蓮は生気もなく抜け殻のようで、誰がふっと息を吹きかけたならば、一瞬で命が飛んで消えてしまいそうだ。
光聖は手を握っては泣き叫ぶ。
「いやだ…、いやだ…」
清蓮が身動き一つ、瞬き一つしないのを見て、光聖はそばにいる光安の衣の裾を掴んでは発狂しそうな勢いで光安に嘆願する。
「助けて…、助けてぇ…。父上、お願い…。助けて…清蓮を助けて!彼はなんにも悪いことしてないんだよ!なんでこんなことになるの⁈ひどいよ!ひどいじゃないか‼︎お願い!どうかお願い!お願いだから…清蓮を助けてよぉー‼︎」
光安は重いため息をついた。
「光聖…。お前の気持ちはわかっているつもりだ。お前が今どれだけ悲しく、どれだけ辛く、どれだけ苦しいか…。私はわかっている」
自分に縋《すが》りつきながら懇願し、泣き叫ぶ子を見て光安は胸が張り裂けそうだったが、それでも彼は言わねばならない。
なぜなら光安は限界だったからだ。
「だがな、光聖。こうなったのは仕方ないことなのだ。お前たちが黒神の森に入ってしまったことは不運だった。結界もあの時は機能していなかったからな」
光安はだ淡々とした口調で光聖に説明する。
それはいつも優しく言って聞かせる光安の姿ではなかった。
「だがいいか、光聖。お前は仮にも神の子だ。お前は黒神の領域に入った時、すぐに異変に気づくべきだった。そうすれば清蓮もお前もこんなことにはなっていなかっただろう。たとえ気づくのが遅かったとしても、即座にお前が十分な結界を張っていれば、やはりお前たちはこんなことにはなっていなかっただろう」
冷静だった光安も語るうちに、次第に怒気を含んだ声で光聖に問いただす。
「それがどうだ?お前はろくに結界を張ることもできず、まして結界を張るのに夢中で清蓮のことを見ていなかった。
清蓮はお前のことを見ていたというのに!
お前は自分のことで手いっぱいだった。彼はお前を命がけで守ったのに!
清蓮のそばにいることだけを考えて、修練も真面目にやらない。
自分は人よりも優れていると勘違いして…、いざという時なにもできない!
自分の大切な友達すら守ることができない!お前はいつも守られるばかりで…。
いいか、光聖!私はお前のような未熟で、浅はかで愚かな神など見たことがない!
人間に守られる神が存在するなど、聞いたことがない‼︎」
光安は今まで光聖がわがままを言っても、傍若無人に振る舞っても、可愛い我が子だと思っていた。
今でもそう思っている。
いつも優しく諭し、いつかは大成するだろうと思っていた。
なぜなら、ある人が光安に言ったからだ。
出来の悪い奴ほど可愛いいもんだろ?
あいつはきっと強くなる、いい神様になってみんなから尊敬される。
だから…あいつを導いてやれ…。
光安は美しい顔に似合わぬ苦渋の表情をにじませ、
「それなのに、この無様な姿はなんだというのだ‼︎」
光聖は光安に諭されることはあっても、生まれてこのかた光安に叱責されたことはなかった。
ましてこのように怒りを露わにしている光安を見たことがなかった。
光聖は光安の一つ一つの言葉が鋭い刃となって、自分の体を容赦なく突き刺していった。
溢れた涙は、清蓮のために流したものとは違った。
光聖はわなわなと震えだし、己の未熟さを恥いった。
光聖の打ちひしがれた姿を見た光安は、また重いため息をつく。
「清蓮をこのままにしておくのはかわいそうだろう。安らかに眠れるようにしてやろう」
光安はそう言って、清蓮を抱き抱えようとした。
その場で項垂れていた光聖はかっと目を開けて、もう一度光安に縋りつき、改まった口調で嘆願する。
「父上!父上!お願いです!お願いです!私の…、私の願いを…聞いてください!私、なんでもします!父上、教えてください!なんでもしますから!これからは真面目に修行します!口答えもしません!父上!彼は私のためにひどい目に遭う必要などないんです…!」
光聖は跪いて、何度も地に伏して切に願う。
「もし彼がこのまま死んでしまうなら、代わりに私の命を差し上げます!それで清蓮が助かるのなら…。この命を…清蓮に…。だから…、だから…お願いですから…」
清蓮のいない世界なんて、闇の中を彷徨い続けるようなものだ…
そんな世界はいやだ!
光安は跪く光聖を見ていた。
このまま光聖な願いを叶えてやればいいのか、彼に手痛い教訓を与えればいいのか、光安は迷っていた。
光安…
お前が導いてやれ…
お前が光聖を導くんだ…
光安の頬をそっと撫でるように、どこからともなく声が聞こえる。
光安にだけ聞こえる声。
光安は木々の隙間から見える青空を見上げると、一人苦笑いし、誰にいうでもなくぽつりと呟く。
「言われなくてもわかっている。君は…時々しつこいぞ…」
光安はこれ以上光聖が苦しむのを望まなかった。
「光聖、顔をあげなさい」
光安は優しく光聖に声をかける。
「父上…」
「ひどい顔だな。清蓮が見たら笑われるぞ!」
光聖はその言葉を聞くと、泣き笑いの顔で光安に抱きついた。
「父上!父上!清蓮を助けてくださるのですね!私は約束します!誓います!真面目に修行します!誰よりも強くなって…、立派な神になってこのご恩に報います!」
誰よりも強くなって…
光聖は青蓮が助かるのならなんだってやるつもりだった。
光安はその言葉に大きく頷く。
「光聖。その言葉、決して忘れるなよ」
「忘れません!絶対に忘れません‼︎」
誰よりも強くなるんだ!
必ず強くなって、清蓮を守るんだ‼︎
絶対に!絶対に‼︎
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