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第四話 栄林と男
長椅子に座っているのは、白髪混じりの壮年の男だが、長身の、長く鍛錬を積んだであろう均整のとれた体躯と、端正な風貌に憂いを帯びたその表情は、その男独特の色香を漂わせ、なにもせずとも女を惹きつけるに充分であった。
男は宮廷でも随一の美男子とも言われ、数々の女と浮き名を流したことでその名を知られていた。
一方でその恋愛は長続きしないことでも有名で、実は女が嫌いなのではないかと噂されたり、昔手痛い失恋をして、遊びでしか女と付き合えなくなったなど、本人のいないところでまことしやかに噂されているのであった。
当の本人と言えば、噂はあくまで噂と一蹴し、一切相手にすることはなかった。
栄林は男を見るが、それはいつものことなのだろう、「いらしてたのね!」と声をかける。
その声は嬉しさが滲み出ていて、少し鼻にかかった甘い声は、どことなく親密な関係にある者にかける声色にも聞こえた。
栄林は、その男が座る長椅子に腰か蹴ると、一息ついてから、なにやら爪をたてて首周りの皮膚を剥がし始めた。
男も驚く様子もなくその様子を静かに眺めていると、ぴたりと張り付いたその皮が少しずつめくれ始めた。
その皮が全部引き剥がされると、まったく別の顔をした女の顔がそこに現れた。
皮を被った栄林は美しかったが…、皮を剥がした栄林の素顔もやはり美しかった。
左目の下に小さな泣きぼくろをしのばせたその顔は、どことなく清蓮や名凛に似ていた。
「栄林…」
男は栄林の方を見ると、拭いきれない憂いはあるものの、落ち着いた穏やかな笑顔を向ける。
栄林に向けるその笑顔は、愛する者に対するそれであったが、ただ栄林と同じ類のものかといえば…、見る者によっては異なった見かたをするかもしれない。
「来るとわかっていたら、もっと早く済ませて来たのに」
栄林は男の隣に座り、差し出された杯を受けとる。
男は自分で杯に酒を注ぎ、一気に飲み干す。
その様子を嬉しそうに見守った栄林も杯を傾け、喉を潤した。
「今日も天楽と…」
男は苦々しい表情で吐き捨て、また酒を注ぐ。
栄林は、遊女と天楽との痴態を思い出しては、こちらも苦虫を潰したような表情になり、鳥肌がたった両腕を擦り始める。
「あの男とはそういったふりをすることはあっても、一度たりとも体を重ねたことはないし、一瞬たりともあの男に心を許したことなどないわ」
「わかっている…」
男は栄林の方を向いて、そっと栄林の顔に手を添えると、栄林も自分の手を男のそれに重ねた。
「ただ不憫に思ったのだ。そんなふりをしなければいけない、君を…」
男はゆっくりと栄林の顔から自分の手を離すと、栄林の白魚の手は、男が触れていた手の温もりを閉じ込めようと自らの顔に手を添えた。
そして名残り惜しそうな栄林の視線は離れていく男の手をじっと見つめていた。
「大丈夫よ…。これは私が決めたこと。望んでしているのよ。それにあの薬さえ飲ませてしまえば大丈夫よ…」
「あの薬…?確か…、成人の儀でも使った、あれか?」
「えぇ。招待された民に配ったお茶に、ほんの少しだけ混ぜておいた…あれよ!本当はあの時清蓮が暴徒に襲われて死んでくれればよかったけど…。でも…まぁ、いいわ!思いの外、みんな狂ってくれたから!」
栄林は成人の儀で暴徒化した民が清蓮に襲いかかるのを思い出しては、満足した様子を見せた。
「だから、あなたはなにも心配する必要はないのよ。これからのことだけ考えましょう」
男は何か言おうとしたが、思いとどまって「わかった…」とだけ静かに答えた。
栄林は二人の間に漂う暗然たる空気を振り払うように話し始めた。
「そうそう、ついに決まったのよ!天楽が国王に‼︎あなたもその場にいたでしょうから、とっくに知っているでしょうけど!」
「あぁ。君が上手くやってくれたおかげだ。天楽があんなに単純で馬鹿だとは思いもしなかったけどな。若い時はもう少し聡明さと謙虚さをもった男だったのに…」
男は自嘲気味に笑い、それ以上に侮蔑的な笑みをその場にいない天楽に向けた。
「私は特別なことはしていないわ。ただ天楽にこう言っただけよ…。あなたなら国王よりも、もっと上手くできますでしょうに…って!私は具体的になにができるなんて一言も言っていないのよ。だけど元々自惚れが強い男だから、勝手に勘違いしたのよ。この国の王になって兄よりも良い政ができるって…、勝手に解釈して…。馬鹿な男の考えそうなことでしょう?」
「あぁ。天楽は救いようのない馬鹿だ…、我々にはありがたいことだがな」
「ふふ…。そうでしょう?でもそんなに馬鹿って言ったからかわいそうよ。天楽はね、ちょうどいいお馬鹿さんなのよ」
栄林は気分爽快とばかりに弾ける笑顔を男に向けた。
その笑みは固くなった男の心をほぐし、遠い記憶を思い起こさせた…。
栄林といる男は、友泉の父・剛安と並び称される友安国の両翼の一人であり、北西方面を管轄下に置く将軍・道連《どうれん》であった。
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