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第十四話 離別(ニ)
栄香が生んだ子は乳母と医官の実家に引き取られた。
乳母は栄香が子を産むよりも前に実家に文を送っていた。
その文に詳しい内情は書かれておらず、ただ武官が赤子を連れてくる、しばらく面倒を見てもらいたいとだけ書き記されていた。
武官は赤子を預かると、暇を出された侍女と共に医官の手回して用意された馬車に乗って、乳母たちの実家に向かった。
道中、武官と侍女は口裏を合わせ、二人が赤子を連れて乳母たちの実家に着くと、武官はこの赤子は自分と侍女との間にできた子供だと言って、親族を驚かせたのである。
信じられないといった表情の親族たちは困惑を隠せなかったが、武官の並々ならぬ気迫に押され、問い詰めることはできなかった。
こうして赤子は乳母たちの実家で秘密裏に育てられることになる。
武官は侍女に赤子預けると仕事があると乳母たちの実家を後にすると、一人馬に乗り、急ぎ宮廷に戻って行った。
武官は馬を走らせ、森の中に入って行くと、腰に掛けている剣を抜き、目に見えぬ敵を斬るかのように右に左にと振り始めた。
武官はさらに空を切っていただけの剣に念を込め振り下ろすと、剣先は一瞬で伸びていき、しなる鞭となって木々を切り倒していく。
武官は気の済むまで罪のない木々を切り倒すと、少し落ち着いたのか、馬を止め、夜空を仰いだ。
白く凍えた星々は武官を見下ろし、武官の体の奥底まで突き刺していく。
栄香は国王から陵辱されたその日から、武官との一切の関わりを絶った。
自分を見つめる武官の熱い眼差しを、同じ熱量をもって受け止め見つめ返すことなど到底できなかったからだ。
なにも知らない武官は、不自然に視線を逸らす栄香を不審に思ったが、体調が悪いこと聞いていたこともあり、一時的なものと考えていた。
静養のため栄香を離宮まで護衛した際も、本当に体調が悪いのだと思っていた。
武官は何も知らなかった。
故に栄香が子を産み、その子を乳母の遠縁に預けるため、乳母が涙ながらに武官に語るに至って初めて、ことの顛末を知ったのである。
武官は天を仰いでは自らの無知を罵り、国王を呪った。
乳母は栄香と武官が互いに想いを寄せていることをはからずも知っていた。
二人の淡い愛を知ってはいたが、いずれ女王となる女性と、一武官にすぎない甥である武官との関係は、時が経てば二人の人生を彩る美しい一遍の思い出になるだろうと考えていた。
武官もそう思っていた。
それでいいと思っていた。
超えることのできない身分の差。
たとえ人生の儚くも甘い時を身を焦がして、身悶えしながら過ごしたとしても、それは美しい人生の宝物になるはずであった。
美しい思い出になるはずだった。
ただそれすらも叶わなかったとなれば、武官は国王を呪うだけではすまなかった。
武官は乳母たちの実家に赤子を送り届ける時も心穏やかではいられず、いっそ小刀を振りかざし、侍女が抱き抱えている赤子を殺してしまおうかと思ったほどだ。
しかし赤子は憤怒で自分を殺そうとしている武官に向かって手を伸ばし、愛らしい声で笑いかけてくる。
抱きしめて!
抱きしめて‼︎
その笑顔に国王の影はない。
ただ武官が愛した女の笑顔だけがあった。
武官はその笑顔を見た途端、全身の力が抜け、手にしていた小刀も主人と同じように力無く地に落ちた。
武官は侍女から赤子を受け取り、そっと抱きしめた。
赤子から放たれる甘い香りが武官の鼻を掠める。
武官の脳裏には心震えるありし日の出来事が思い出された。
栄香が胸元からそっと落とした手拭い……
そこはかとなく漂う甘い香り……
あの時と同じ香り……
幸せとはこういうものかと、心震えたあの日……
絡み合う視線だけで、互いの愛を確かめたあの日……
きっとあの日、栄香も同じことを思っていただろう……
愛してる……
愛してる……
武官は赤子を抱きながら、人生で初めてといっていいだろう、咆哮にも似た嗚咽を漏らした。
後にも先にも武官の人生において、二度と大粒の涙を流すことはなかった。
武官は赤子の温もりをひしひしと感じながら、新たな決意を胸に秘め、自らの望む道を赤子と共に歩むこととなる。
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