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第十五話 決断
栄林の部屋を辞した道連は宮廷内にある詰所に戻ると、栄林がしたように部屋の格子窓を開け、同じく赤い月を眺めた。
怪しげな月明かりは人々の情緒を揺さぶるが、道連にとってはただの月でしかなかった。
道連は大した興味を示すことなく月明かりを背にすると椅子に座り、軽く襟元を緩めた。
一つ深いため息をつくと押し寄せる疲労に抗えず、そっと目を閉じる。
そのまま眠りにつきたかったが、静かな興奮が疲労感を押しのけ、道連の中に居座っていた。
眠れないのなら、それもいいだろう……
道連は目を閉じたまま、なんとなしに先ほどまでの栄林とのやりとりを思い返した。
道連は栄林に「今日はこの辺にしておこう。細かい話はまた日を改めて」と話し、栄林の部屋を辞そうとした。
その時、栄林がおもむろに道連に問いかけた。
「道連……。私が欲しいものがわかる?」
道連は聞くだけ野暮だと言いたげな表情で即答する。
「命だろう?」
「そう、命……。命よ!」
道連は陰鬱な表情で応じる。
「あぁ、命だ……。だが一番欲しい奴の命は奪えなかった……」
「えぇ、あの男はあと一歩というところで死んでしまった…。あと少しのところだったのに!」
栄林は果たすことのできなかった恨みつらみが込み上げてくると、いてもたってもいられず憎悪をむき出しにする。
「あの男さえ殺せれば、それで良かったのよ。それで終わるはずだったのよ。そうでしょう、道連?」
道連は栄林の怒りが苦しいほどに理解できた。
「あぁ……。あの男がすべての始まりだからな」
「そうよ、あの男がすべての……。でも……、でもあの男はあっけなく死んでしまった!勝手に死んでしまった……!心臓発作ですって?笑ってしまうわ!心臓発作だなんて‼︎」
栄林は美しい顔を歪ませながら、「いい?心臓発作なんて死に方はね……普通の人間に与えられる死よ!そんな普通の、幸せな死に方ってある⁈だめよ!あの男にふさわしくない!そんなもんじゃだめよ。あの男には生きているうちに、生きていた時に……いっそ死んでしまった方がいいと思うほどの苦痛を味合わせてやりたかった‼︎それなのに……、それなのに……」
栄林は怒りを通り越し、悔しさだけが涙となって溢れ出した。
「道連!道連!わかるでしょう?外道には外道の、鬼畜には鬼畜の、それにふさわしい死にざまがあるというものよ‼︎」
冷静に聞いていた道連も、栄林の話を聞いているうちに、闇に潜む魔物が呼び起こされたようで、自らの拳を太ももに何度も打ちつけ、苦渋とも陰惨とも言えぬ表情になってくる。
「あの男が……、あの鬼畜がお前のすべてを…、私のすべてを奪ったんだ……」
「そうよ!そうよ‼︎私たちのすべてを‼︎あー‼︎なんて忌々しい‼︎」
栄林は天井に向かって吼えるように吐き捨てた。
今夜は抑えようのない沸々とした感情が幾度となく浮沈する。
飼い慣らすには骨が折れる。
自らの激情を無理やり押さえつけ、重しをつけて心の深淵に沈めた。
栄林は深呼吸を一つついた。
「あの男は死んでしまった。私たちの手の及ばないところへ行ってしまった……。だから……、だったらその子供に償ってもらうだけのことよ。清蓮の父親には悪かったけど……。仕方ないわね。不届き者の血を引いているんですもの……」
自分の娘を陵辱した男は天命を全うして死んだ。
一方その子供の一人である前国王は、善人と言っていい男であったが、妻と共に無惨に殺された。
自慢の息子・清蓮に……。
清蓮が自分たちの目の前で殺戮を繰り広げ、その血塗られた刃が自分たちに向かってきた時、国王夫妻はなにを見ただろう?なにを思っただろう?
息が絶えるその瞬間、最後に見た景色はどんなものだったろう……。
栄林は誰にも聞こえない微かな声でつぶやいた。
「そんなこと……。どうでもいいわ……」
栄林はつまらない感傷に身を任せるつもりはなかった。
そんなもの、なんの役にも立ちやしない……。
栄林は道連にこう告げた。
「これで最後よ……。天楽でおしまいにしましょう」
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