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第ニ話 利安湖
「やっと落ち着いてくれた……」
下腹部辺りを恨めしそうにみながら、清蓮はぽつりつぶやいた。
清蓮はこれほど自分の体のある一点を制御することに苦心するとは思わなかったのである。
私はどうかしている……
清蓮は光聖に対する感情と、それに敏感に反応する自分の体をどう扱っていいのか戸惑うばかりだ。
前に進もうと思ってみたり、躊躇したり……
体がおかしなことになったり……
私は一体なにをしているんだ⁈
なにがしたいんだ⁈
清蓮は熟慮はしても一度決断を下せば、一気呵成にやり遂げる質で、思い悩み、悶々として過ごすなど未だかつてなかったことだった。
それが光聖のこととなると、どうにも歯痒い気持ちになる。
体は落ち着いた清蓮だったが、心はまだ浮わついたまま。
「このまま部屋に戻るのはよそう……。うん、そう。もう少し、もう少し落ち着かなきゃ……」
清蓮は光聖が自分を待っていることは十分にわかっており、その気持ちをないがしろにすることに申し訳ない気持ちでいっぱいになったが、それでもまだ部屋に戻ることはできないと思った。
「光聖の顔をまともにみれたもんじゃない……」
清蓮はいつものように独り言を言いながら、散歩でもして気を紛らわそうと考えた。裸足のまま廊下から地面に降りると、清蓮の眼前には竜仙山を借景にした、池泉回遊式の庭があった。
色づき始めた紅葉が柔らかな日差しを浴びて、各々の美しさを競い合っている。
清蓮はしばしその場に佇んだ後、見事な庭をのんびりと歩いてまわった。
一通り庭を楽しんだ清蓮は、そろそろ光聖の待つ部屋に戻ろうとした時、鬱蒼とした竹林がささやかな風に揺れる隙間から、小さな小道が見え隠れしているのに気がついた。
太刀渡家たちわたりけの屋敷は湖と竜仙山の間に居を構えており、清蓮が見つけたその小道は庭から湖へと続く小道であった。
清蓮はその小道の先を知らなかったが、なにがあるのだろうと興味本位でその小道の方へ歩いて行った。
清蓮は竹林をかき分けて入るとすぐに小道にたどり着くことができた。
そこからは道なりに四半刻歩いていくと、突然視界が開け、山と山の間に静かに佇む湖が現れた。
利安湖りあんこと呼ばれる透明度の高いその湖は、光の反射や天候によって紺碧にも翡翠色にも見え、その独特の美しさを誇っていた。
利安湖の美しさは友安国一と言われ、はるか昔、まだ太刀渡家がこの一体に居を構える以前から、人々がその美しさを一目見ようと噂を聞きつけ、ひっきりなしに訪ねていた、そんな場所だった。
多くの人々を歓迎していた湖を含め、太刀渡家が所有者となってからは立ち入り禁止となってしまったため、次第にその名は人々の記憶の片隅に追いやられ、数ある白神伝説の舞台の一つといった、曖昧ではるか遠い存在となっていったのである。
清蓮は太陽の日差しを受け、翡翠色に輝く湖面の美しさに目を見張った。
「すごい……。なんて綺麗なんだ……」
清蓮はありきたりだが、心を込めて利安湖の美しさを讃えた。
こんな美しい景色を愛する人と共有できたら……
それはどんなに素晴らしいことだろう……
清蓮はそう思わずにはいられなかった。
「それにしても、この湖の名前はなんといったっけ?確か……」
「利安湖……」
清蓮の後方から、聞き慣れた低音の、心地の良い声が聞こえてきた。
清蓮が振り向くとそこには思った通り、光聖が立っていた。
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