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第十五話
名凛は騒動の後、光安に伝えたように宮廷には戻ることはせず修練場に留まっていた。
その翌日の午後、子供ながらに不用意に傷つけられた心を何とかしようと思った名凛は、人目を盗んで修練場を抜け出した。
修練場にいると決めたのは名凛自身だったが、それでも誰にも会いたくなかったのだ。
兄の清蓮にも、乳母の梅林にも、もちろん友泉にも会いたくない。
何故なら門下生の言葉は名凛にとって受け入れ難い現実だったからだ。
子供心に何故自分の顔に消えないあざがあるのか。
兄にはないのに、なぜ自分にだけあるのか。
母が悲しむから、父が悲しむから、兄が悲しむから、自分が愛し、自分を愛してくれる者たちが悲しむからと名凛は気にしないように明るく振る舞い、いたずらに心の闇を覗くようなことはしなかった。
言葉で表現できなくとも名凛には無意識のうちに分かっていたのだ。
心の深淵はむやみやたらに覗き見るものではないと……。
深く覗いて入り込んでしまったら、最後、抜け出すのは簡単ではないことを。
名凛は腫れた目を擦りながら、重い気分で歩いていたが、通りゆく景色を眺め歩くうちに次第に落ち着いて楽しむまでになっていった。
太陽は天高く昇り、下界をじりじりと照らしているが、山間麓の修練場は木々の葉が自然の日除けとなり、時折吹く風は額にうっすらと滲む汗と肌に心地よい清涼感をもたらす。
名凛は気の向くまま歩き続けるその先に屋敷が見えた。
名凛は屋敷に近づくにつれ、修練場とは異なる異質な気の流れが屋敷とその周囲を取り囲んでいることに気がついた。
「なんだか不思議な感じがする。なんだろう?」
屋敷といってもこぢんまりとしたもので、太刀渡家の広大な屋敷に比べるとあまりにも控えめといっていいほどだ。
「そう言えば、光安先生のお部屋は修練場じゃなくて、別のところにあるってきいたけど、これのことかしら?だから光安先生のお家だから、ちょっと違うように感じるのかしら?」
名凛は独り言を言いながら、様子を窺った。
屋敷は人気もなく、ひっそりとしている。
名凛はこの時間なら光安先生は修練場で門下生たちと一緒だろうと思い、このまま修練場に引き返そうと踵を返した瞬間、どこからか声がした。
「おっ!お嬢ちゃん、こんなところでなにしてるんだ?」
名凛とはやや離れたところにいた男はそう声をかけながら、名凛の方に向かって歩いてくる。
長身痩躯の姿と弾けるような笑顔は誰からも好かれそうで、軽やかな趣がある。
「ここはお嬢ちゃんのようなかわいい子が一人で来るようなところじゃないよ。変な奴に変な所に連れて行かれたらどうするんだ?」
男の言葉の端々にはどこか名凛を試すような、からかうような、そんな物言いに聞こえた。
「私はお嬢ちゃんじゃないわ!名凛ていうちゃんとした名前があるのよ!それに変な奴なんてこの修練場にはいないわよ!もしいるとしたら、それは私の目の前にいるあなたくらいよ‼︎」
名凛は男を見てもたじろく様子もなく、言葉鋭く男にくってかかる。
男は「おぉ、こわっ」と呟きながらもまったく気にしてはいないのは明らかだった。
男はまるで物珍しいものを見るかのように名凛を見つめていたが、何か心に引っかかったようだ。
一瞬で花が開いたように再び笑顔を見せた。
「俺としたことが!気づかなかったなんて!お嬢ちゃん……、じゃなく女王様じゃないか!あぁ、そうか!そう言えば光安が言ってたな、王族が来てるって。君のことだったんだ!はは、こんなところでお会いできるなんて、光栄至極だな‼︎」
男は名凛をまじまじと見ては合点がいったとばかりに頷いている。
男はむしろ名凛をからかって楽しんでいるようだ。
名凛の方は男の言っていることがさっぱり分からず混乱するばかりだ。
「あなたねぇ、さっきから変なことばっかり言って!私は女王様じゃなくて、王女様!それに光安先生のことを呼び捨てにするなんて失礼じゃない?ここ一体の主人は光安先生で、ここは光安先生のお家でしょ、何であなたがここにいるのよ!それに、それによ、あなた一体誰なのよ⁈」
名凛は物怖じすることなく男にくってかかる。
男は名凛の威勢のよさに感心するとともに、男は人知れず、将来お嬢ちゃんと一緒になる奴は苦労するだろうなぁと勝手な想像をしては苦笑いを浮かべた。
「はは。そうそう、確かに嬢ちゃんは王女様だったな。悪かったよ、ただの言い間違いさ!」
男は当たり障りのない返事で誤魔化した。
「それと光安のことは、そうだな……」
だが男はこれまた悪びれるでもなく、どちらかと言えば誇らしげにこう言った。
「光安は……うん、そう、俺のいい人だ!」
「……」
「おいおい、なんで黙ってるんだよ⁈ 俺の言ったことわかんなかったか?」
「……わかるわよ!光安先生はとってもいい先生っていう意味でしょ!あなたと違ってね‼︎」
「はは!ほんと、お嬢ちゃんは威勢がいいな!女はそれくらいがちょうどいい!」
そう言うと男はしゃがんで名凛と視線を合わせた。
名凛は今まで男を見上げていたが、ここで初めて名凛は真正面から男の顔を見ることになった。
端的に言って、美しい男だった。
清蓮や光聖、光安とも異なる美しさと色香を漂わせていた。
だが名凛は顔の良し悪しに興味はなく、自分の目の前にいる男は、ただ軽口をたたくお調子者にしか見えなかった。
名凛は男に文句の一つでも言おうとした時、男の背中越しに見知った顔が見えた。
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