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第十六話

「もうそのくらいでやめておけ」 二人と少し離れたところに立っていたのは光安だった。 光安は門下生たちが休憩をとっている間、ふらりと屋敷に戻って来たのだった。 光安が男の名を呼ぶと、男はとびっきりの笑顔を光安に向けた。 さらに男は近づいて来た光安に勢いよく飛びつくと、光安の首に自らの両腕、腰には両足を巻き付けた。 光安は慣れた様子で男を抱えると背中を二度軽く叩きながら、名凛に聞こえないように何やら男の耳元で囁いた。 「分かったよ。降りればいいんだろう!でもこの両腕は離さないからな‼︎」 男は渋々光安の腰に絡めた両足を解いて地に足をつけるが、依然その両腕は光安の首に巻きついたままだ。 光安は男の背中をもう一度二度軽く叩いて応えると、名凛に視線を向けた。 光安は男が自分の首に巻き付いているにもかかわらず、至って真剣に男の非礼を詫びた。 「いいのよ、光安先生。世の中いろんな人がいるんですもの。この人もその一人よ。それに私のお母様もお父様もよくそうしてるもの、全然平気よ!」 「へぇ!おまえの母ちゃん、父ちゃんもさっき俺がこいつに飛びついたみたいに抱き合うのか!なんともや仲のよろしいことで!王様も王妃様も一端の人間てわけだな‼︎」 男が横槍を入れると、光安は再び小声で男を嗜めた。 男はへへっと軽く舌を出して光安に小さく笑うと、光安はどうしようもないと言った程で、小さく首を横に振った。 「何言ってるの?さっきのじゃないわよ!今のあなたたちみたいにぎゅって、してるってこと!いつもそうしてるのよ。二人ともとっても仲がいいんだから!他にも見たことあるんのよ!えぇっと、どれだけ仲がいいかって言うとね、えっと……」 「どうした?忘れたのか?」 「あとね、私が夜眠れなくてお母様とお父様の寝所に行った時のことよ。眠れなくなった時はいつも一緒に眠るのだけど……。でもね、その時はなぜか二人とも裸で眠っていたの……。私が来ても全然気づかなかったのよ、いつもは気づくのに……。不思議よね、すごく寒い冬の日だったのに、裸で眠ってしまうなんて……。二人とも寒くなかったのかな?」 「……」 「……‼︎」 光安と男はそれぞれ異なる表情で見つめ合うと、男はようやく光安の首に絡めた両腕を解き、腹を抱えて笑い出した。 「あはは!こいつは最高だ!母ちゃん、父ちゃんが裸で寝てたってさ!さぞ二人は驚いただろうな!余韻から目が覚めたら、いないはずのお嬢ちゃんが一緒にいるんだからな‼︎でも安心しな、お母ちゃんもお父ちゃんも寒いどころか燃えるように暑かっただろうな!」 男は笑いが止まらず、ついには脇腹が痛くなると、「光安、助けてぇ!笑いが止まんない!」と腹を抑えながら光安の肩に手を置いて、思う存分泣き笑いしている。 光安は肩に置かれた手にそっと触れると、男から視線を移し名凛を見た。 名凛は男の言う意味が分からなかったが、それでも腹を抱えて笑う男を見て自分の両親が侮辱されたと思ったのだろう。 顔を真っ赤に染めて、いまにも己の憤怒で憤死しそうな形相をしている。 光安はやれやれと小さなため息をつくと、袖から手拭いを取り出した。 男の涙を拭い取りながら、 「いい加減それくらいにしておけ。少しは場をわきまえたらどうだ?見てみろ、名凛が今すぐにでも君に飛びかかろうとしているじゃないか」 光安はそう男に向けて発するが、その声色は思いの外柔らかい。 「おぉ、ほんとだ。怖い、怖い。女王様のお怒りだぁ。許しておくれよ、女王様‼︎」 男の謝罪は芝居がかかってどうにも誠心誠意とは程遠いものだ。 見かねた光安は、男に代わって再び数々の非礼を詫びた。 「名凛、本当に済まない。この男は君とただ話しがしたかっただけなんだ。私には分かるがどうやら君のことが気に入ったようだ。軽口ばかり叩くが、決して悪い奴ではないんだよ」 「わかってるわ、光安先生……。私もこの人は悪い人じゃないって思う……」 名凛はそう言いながらも相変わらず不真面目な態度を取る男をじろりと人睨みした。 男はそんな名凛に邪心のない笑顔を見せると、片目を閉じて見せた。 名凛は男の弾けるような笑顔に圧倒されたが「ふん!」と言って、相手にすることはなかった。 聡い名凛は今までのやり取りで十分理解したのだ。 この男に何を言っても無駄、怒るだけ無駄ということを。 「この人はお調子者なのよ。おどけて遊んでるの、いい年して!そうでしょ、光安先生?」 「名凛、君は端的にものを言うね。そしてこの件に関して、私は残念ながら反論の余地がない、とだけ言っておこう」 「何だよ、光安!おまえ、俺の味方じゃないのかよ!それに何だよ、いい年って!俺は若いよ、見てみろ!この美しい絹のような肌を!」 男が上衣の襟を少し開けながら、 「あぁ!俺は猛烈に悲しい、悲しいよ。おまえがそんなに薄情な奴だったとは!俺は受け入れられない!この現実を、俺は受け入れられないぞ‼︎」 男はは三文役者よろしくわざとらしい口調で光安を責めるが、その実、一向に気にしていないのは明らかだった。 光安はこういった光景に慣れているのだろう。 そんな男の様子をむしろ温かい眼差しで見つめている。 「どう見ても君が悪い。それに私はいつだって正直者の味方だ、お調子者ではなく。君は知らなかったのか?」 今度は光安がたおやかな笑みとともに男をからかった。 光安はそう言うと男の元を離れ、名凛の前でしゃがんで真正面から相対する。 「さぁ、名凛。そろそろ修練場に戻ろう。皆が君がいないと知ったら心配するだろうからね。休憩も終わる頃だろうから、私と一緒に修練場に行こう」 「大丈夫よ、先生。私、先に一人で戻るわ。先生はその男の人とまだお話があるでしょうから。ここら辺一帯はかなり強い結界も張ってあるし、私一人でも大丈夫でしょう?」 「ほぅ……、君は結界がわかるのかい?」 名凛はこの屋敷にたどり着いた時、この辺り一体の異質な空気を感じ取っていた。 名凛はそれが結界だということに気づいたのだ。 修練を積んでいない普通の女子が、辺り一体に張り巡らせた結界をこうも簡単に気づいたことに、光安は静かな驚きを覚えた。 「うん、何となくだけど。こういうのって、私みたいな子供の方がよく見えるんじゃない?大人は色々あるでしょ、だからだんだん目が曇って見えなくなっちゃうのよ、きっと」 「うん、うん、そうなんだよ、お嬢ちゃん。よく分かってるじゃないか、さすが未来の女王様は言うことが違う!」 「だから!」 文句を言おうとした名凛だったが、いい加減、男とのやり取りにうんざりしていた名凛は「もういいわ、私、修練場に戻る」と言って、もと来た道を歩き始めた。  しかし何故が立ち止まると、振り返って光安をじっと見つめた。 名凛は言おうかどうしようかと考えあぐねているようで、少し首を傾げて光安を見つめている。 光安は言ってみなさいと目で促すと、名凛は光安とそばに寄り添う男にこう伝えた。 「光安先生、この人、自分のことを光安先生のいい人って言ってたけど、私はその人、お調子者の変な人だと思う。でも……。でも、私、案外その人好きよ。面白いから……」 「……!」 「……‼︎」 「じゃあね、お調子者さん!」 「はは、また遊びに来な。今度来たら面白いもの見せてやるから!」 光安と男は名凛の姿が見えなくなるのを確認すると、互いの顔を見合わせ、くすりと笑った。

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