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妙な違和感

(だって通信料がかかるし、いちいち調べるまでもないかと思って……うわああ。俺ってほんとに……ほんとに馬鹿……)  藍時はスマホのメモ機能を起動させ、素早く指を動かした後、画面を上にしたそれをそっとカウンターに置いた。  大男二人は互いに顔を見合わせると、その置かれたスマホ画面を覗き込んだ。そこには、『秀一さんがホストだと、勘違いをしておりました。申し訳ありませんでした』という、短い謝罪の言葉がしたためられていた。  再び藍時へと視線を戻すと、彼は頭から煙を出しそうなほど真っ赤にさせた顔を、キャスケットで必死に隠していた。  そんな藍時に、熊田は自身の頬に手を添えながら、 「気に病むことないわ。ちゃんと説明をしなかった秀ちゃんが悪いわよ。過去にホストをやっていたことは事実だしね」 「おい」 「ホントのことでしょ」  と、擁護しつつ、店の説明を始めた。 「ここはね、ジャズバーなのよ。ピアニストの秀ちゃんには中央のグランドピアノで演奏してもらう他にも、ここでお酒を作ってもらったり、あとコーヒーを淹れてもらったりね。とにかく色々とやってもらってるわ」  特にコーヒーは得意だものね、と続けて熊田は秀一を横目で見ると、言われた本人は「まあな」と短く頷いた。  女性のような口調のせいだろうか。はじめは驚いたものの、不思議と怖さを感じないαの熊田に対し、藍時はキャスケットを下にずらして色鮮やかな両目を覗かせた。 「あら、可愛い」  その仕草に、熊田はにこりと目を細めた。すっかり安心感を抱いた藍時は、再びスマホを手に取ると質問を打ち込み、カウンターに置いた。 『秀一さんは、カクテルが作れるんですか?』  頬から赤みは消えないものの、藍時は興味津々といった様子で、シェイカーを振る真似をしながら秀一の顔を見上げた。 「簡単なものならな」と答える秀一に、藍時は昔テレビで見たフレアバーテンディングを思い出した。グラスやシェイカーを巧みに操るそれは、彼の中でカクテルとはこう作るもの! となっていた。 『すごい。かっこいいですね』  まるで子どものように目を輝かせる藍時に、秀一は珍しくきょとんとした顔を浮かべた。純が驚いた時とそっくりな表情を浮かべる秀一に、何かおかしなことを言ったのだろうかと藍時は首を傾げると、その様子を見ていた熊田がでれっと目尻を垂らした。 「ほんとにこの子、可愛いわねぇ。待ってて。今、美味しいサンドウィッチを作ってあげるから」  そう言うなり、熊田はカウンター下の棚から食パンを取り出すと、いそいそと調理を始めた。 「好き嫌いやアレルギーはないかしら?」 「アレルギーはないが、ピクルスが苦手だ」  手元を動かしながら熊田が藍時に尋ねると、聞かれた本人よりも早くに秀一が答えた。両方ともない、と答えるつもりでいた藍時だが、秀一の言う通りピクルスが苦手だった。つい先日、秀一が知人からもらったという土産物のピクルスを口にした際、あまりの酸っぱさになかなか飲み込むことができなかった。自分に苦手な食べ物があることを、この時初めて知ったのだ。 (秀一さんって、本当によく見てるなぁ)  自分でも忘れていた些細な反応を覚えていた秀一に、心の中で感心する藍時。彼の顔を見つめるように見上げると、視線に気づいた秀一が、 「ん? どうした?」  と、優しさを乗せた微笑をその顔に浮かべた。 「……っ」  秀一は強面だが、よく笑う男だ。今、自分に向けたこの微笑みも、彼の愛して止まない息子に向けるそれと、全く同じものだ。  そのはずなのに、藍時は驚いたように肩を震わせた後、秀一から逃げるように俯いた。  ほぼ反射的に取ってしまった自身の態度に、藍時は内心「しまった」と後悔した。有り体に言えば感じが悪い。少なくとも、雇用主相手に取ってはいけない態度だということは、取ってしまった本人が一番よくわかっていた。 (秀一さんは、こんなにいい人なのに……まだ恐いなんて……)  自分で自分が嫌になる。しかし、今の秀一から感じた恐さは、初めて出会った時に抱いたものとは少しだけ違ったように感じた。 「藍……」 「あ、秀ちゃーん。もう来てたの~?」  俯く藍時へ秀一が声をかけようとしたちょうどその時、バックヤードからぞろぞろと、スタッフと思しき人間達が姿を現した。 「あら、タイミングが悪かったわね」  均等に食パンを切っていく熊田が、独り言のような小声で、秀一へと囁いた。  秀一は「はあ」と藍時の隣で軽く肩を落とした後、スタッフのいる方へと振り向き、「仕事兼接客モード」を発動した。 「お疲れ様です、皆さん。今、そちらに向かいますね。須中さんはここで少しだけ待っていてもらえますか? 熊田。それ以上は余計な話をしないように」  瞬時に態度を切り替えた秀一は藍時を残すと、スタッフとともにピアノを挟んだ奥のテーブルへと席を移した。釘を刺された熊田は、「はいはい、しないわよ」と肩を竦め、藍時の前に冷たいおしぼりを差し出した。 「藍時ちゃん、遅くなっちゃったけれど、これ使ってちょうだいね」  どうやら目元がまだ腫れているらしい。藍時は「ありがとうございます」と言葉を入力し、スマホを見せた。「いいのよ」と答える熊田に一つ頭を下げてから、おしぼりを手にして目元に当てる。熱を持った目の周りはじわじわと冷えていき、藍時は心地よさそうに瞼を閉じた。  その間に、熊田は手際よくサンドウィッチを作ると、四切分のそれをポテトチップスとともに皿に盛りつけ、藍時の前に差し出した。 「さ、どうぞ」 『ありがとうございます』  藍時は再びお礼の言葉を熊田に見せた。作ってもらったサンドウィッチは、ピンクと緑が鮮やかなハムレタスサンドだ。しかも使われているハムは藍時の知っている薄めのロースハムではなく、本のように分厚く切られたものだ。  途端、グウッと腹の音が鳴り、藍時は誘われるようにサンドウィッチへと手を伸ばす。だが、雇用主である秀一を差し置いて、自分が先に食べても良いのだろうか? という懸念が、伸ばした彼の手をぴたりと止めた。  それが顔に出ていたのか、熊田は「大丈夫よ。先に食べちゃいなさい」と促した。 「それよりも、飲み物はどうしようかしら。藍時ちゃんはお酒が好きな人?」  藍時は伸ばした手を一旦、スマホに戻すと、熊田へ言葉を返した。 『あまり強くないです』 「まったく飲めないわけじゃないのね。そうねえ……ここ、涼しいからあんまり冷たいものを出しちゃうと身体が冷えちゃうものね。ショコラショーなんてどうかしら?」 『いえ、おかまいなく!』  ショコラショーがいったいどんな飲み物なのか藍時にはわからなかったが、ブンブンと首を横に振った。だが、熊田がフフッと笑って、「大丈夫、大丈夫。これは秀ちゃんにツケておくから」と付け加えたため、藍時は慌てて秀一との関係性について彼に伝えた。 『秀一さんは俺の雇用主なんです。払って頂くわけにはいきません』 「あら、そうなの? じゃあ、なおさら奢られておきなさい。大丈夫よ。そのくらいの甲斐性はある男だから」  そう言って、熊田は止まることなく背後の戸棚からラム酒を取り出したので、藍時は奥にいる秀一の方に向かってペコペコと頭を下げた。スタッフと話し込んでいる秀一はもちろん、気づかなかった。 「それより、無理してない? あの二重人格男に振り回されてるんじゃなくて?」  二重人格、という単語に藍時は自分以外にも秀一に対してそう感じる人間がいることを知り、親近感が湧きつつも、熊田の前で首を緩やかに振った。 『最初は驚きました。今もスイッチが切り替わったようで、すごいなと思います』 「そうよね。そうよね。ここでは私しか知らないのよ。あの子達なんか、あっちの秀ちゃんにすっかり骨抜きにされちゃって……AB型ってみんなそうなのかしら?」 (あ、AB型なんだ……)  よくある血液型別性格診断において、AB型の人間は二面性があるといわれている。もちろん、皆が皆そうではないだろうが、普段の秀一の姿を知っているだけに、AB型と聞いて藍時は妙に納得してしまった。  ……と、同時に、ある違和感が藍時の中で渦巻いた。 (あれ? 何か、おかしい……?)  今の話の中で、もやっとした何かが生まれたのは確かだ。しかしそれがいったい何なのかがわからず、藍時は頭を捻るも魚の小骨が喉に引っかかったようで気持ちが悪い。 「……あら、私ったら。おしゃべりしてたら、食べられないわよね」  固まる藍時に熊田が再度、食事をするように促したので、それ以上は考えることを止めて、「いただきます」と手を合わせてから、彼はサンドウィッチを一切れ掴んだ。

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