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第3話 施設
マンションなのかと思ったら、平屋の巨大な建物だった。自分の部屋を出ると、数歩先にコンシェルジュが居るエントランスがあった。
戸惑っていると、木村が扉の開け方を教えてくれた。全ての扉は腕につけたスマートウォッチで開くらしい。それだけ、ログを取られているということだ。
施設は巨大な動物園、いや、サファリパークだ。飼われているのはオメガだけ。
担当者はさしづめ飼育員と言ったところか。
そんなことを考えながら、菊地は木村と並んで歩いた。歩きながら木村が、色々説明をしてくれるが、ほとんど頭に入ってこない。随分と広く感じるが、都心からどれほど離れているのだろうか?ドーム何個分?なんて言葉が頭に浮かんだ。
「正確な場所は教えられませんが、一応都内ですよ」
木村が笑いながら言うので、考えていたことが口に出ていたのかと焦った。
「皆さん、場所を気にされるので」
付け足された言葉に安心した。体質が変わって、心の声がダダ漏れになったわけではないらしい。
いかにも医療施設という感じの建物は、とてもしずかで清潔だった。
スマートウォッチを、かざしながら中に入ると、人の良さそうな白衣の医者が待っていた。
「こんにちは、菊地和真さん」
自身もオメガだと言うその男性医師は、ゆったりとした口調で菊地に診断結果を説明してくれた。
いつ撮ったのかわからないCTの画像を見せられて、軽く驚いていると、「それはそうだよな」と医師も苦笑いしていた。
基本、連れてこられた時の拘束状態のまま採血したり検査をしてしまうらしい。意識があると、やたらと抵抗する人が多いそうだ。
それはそうだろう、なにしろオメガ狩りだ。強制的にヒートを起こされて、訳の分からないまま連れてこられるのだ。オマケに、それを仕掛けた連中に金が渡されるとあっては、受け入れられるわけが無い。
結果だけ見れば、友人に売られたようなものだ。
「何か、自分で気づいた変化みたいなものはあるかな?」
質問されて素直に答えた。
「匂い、ですかね?今までの気にならなかった匂いが気になります」
「例えば?」
「シャンプーとか、歯磨き粉とか、そう言う日用品」
「なるほど、そうかもしれないね」
何が納得したような口振りで言われると、なんだかそわそわする。
「オメガとアルファがお互いの匂いに惹かれるとか、聞いたことは?」
「高校の頃に少し」
「運命の番とかは?」
「それも高校の頃に」
菊地のいた高校に、凄いアルファの同級生がいた。支配する力が強くて、たまに出される威圧のフェロモンは、同級生のベータがあっさりと屈服させられるだけでなく、他にいたアルファたちも屈服させられていた。
何があったか知らないけれど、廊下で諍いがあって、そのとき放たれた威圧のフェロモンで、菊地は気分が悪くなったのだ。
それ以来、そのアルファの同級生が苦手になった。彼のフェロモンを嗅ぐと、気分が悪くなる。1年生の時は何とか同じクラスで過ごしたけれど、二年生になる時には、とにかく違うクラスになるようにお願いした程だった。
後にも先にも、気になる匂いはあのアルファの同級生のフェロモンぐらいだった。気分が悪くなるほどだったのだから、オメガとなった今ではもっとダメだと思う。
確か、廊下での諍いは、オメガの生徒が絡んでいた気がする。その時に、運命の番の話が出たと記憶している。
「菊地さんの卒業した高校は……ああ」
医者が資料をめくりながら、一人で納得していた。
「同級生に、彼がいたのでは、さぞかし苦しかったでしょう?」
そんなことを言われても、菊地は首を傾げるしかない。
「一之瀬 匡のフェロモン、キツかったでしょう?」
笑いながら言われても、それは確かな事実でしか無かった。
「高校の頃は、一之瀬のフェロモンを嗅いで気分が悪くなってましたけど?」
菊地が言うと、医師は、 首を傾げていた。
「一之瀬匡のフェロモンを嗅いだのに、ヒートを起こさなかったのか」
医者が軽く驚いていた。一之瀬匡は相当力のあるアルファであるから、バースが未確定のオメガであっても、フェロモンを当てられればヒートしてしまうはずらしい。それなのに、菊地は気分が悪くなった。ヒートとは真逆だったのだ。
それがまた、医者には興味深い事らしい。
「3年間同じ学校にいたのに、一之瀬匡のフェロモンが、作用しなかったんだなぁ」
「よっぽど相性が悪いんでしょうね」
「まぁ、そうなるかな」
医者が笑ってくれたので、菊地は何となくほっとした。
その後、オメガのヒートやその時に服用する薬について説明を受けた。番でなくても、施設に出入りを許可されているアルファと、避妊薬を飲んでヒート期を過ごすことも出来ると言われて驚いた。
まぁ、成人している大人だから、無理に我慢しなくていいということらしい。そうやって、相性の良いアルファを探すのもありなんだとか。
国に保護されている割には、その辺が自由な所がすごいと思う。けれど、この施設の中に入れるアルファが、厳しい審査を通り抜けたエリートらしい。
やっぱりここは、オメガのサファリパークだ。
菊地は、木村に案内されて、施設をゆっくりと歩いた。そうしてショッピングモールの中に案内された。
「ここって」
「至って普通のショッピングモールです」
戸惑う菊地を他所に、木村が歩き出す。
菊地は施設に、隔離されるのだとばかりだと思っていたので、戸惑った。
「このショッピングモール内でしたら、スマートウォッチで全て決済されます」
木村に言われてまた驚いた。
「え?支払いは?」
「全て施設が受け持ちます」
木村があっさりと答えて、菊地の手を引いた。
「とりあえずお昼にしましょう」
ショッピングモールの中は、普通にお客さんで溢れていて、菊地は手を引かれるままにレストラン街へと進んで行った。
「何を食べましょうか?」
木村が楽しそうに聞いてくる。しかし、たくさんの人を見て、菊地はなんだか不安になった。思わず木村の手を強く握ってしまった。
「ああ、すみません」
菊地の顔を見て、握りしめてくる手を見つめて木村が謝罪した。
「まだ、怖いですよね?」
木村は、菊地の手を引いて1番奥の寿司屋に入った。
「ここならボックス席で、人目も気になりませんから」
木村は楽しそうにお茶を入れて菊地に差し出した。
「どうも」
受け取って一口飲むと、その熱さに体が震えた。
その様子を見て、木村が笑っていた。なんとなく、緊張が解けた気がする。
「働くこともできますよ。ただ、今までの会社は無理です。オメガの就労規定をクリアしている企業だけになりますけど」
「オメガの就労規定?」
「ええ、ヒート休暇が即日取得出来るとか、番のアルファも適用されるとか、オメガを差別するような役員が居ないこととか、まぁ細かく決められているんです」
「俺が勤めていた会社は、オメガはいませんでしたね」
「そうですよね。ベータの方は普通に就職活動をしますよね?でも、オメガはヒートがあるでしょう?それに対して即日に休暇申請が通らないとダメなんです。オメガにセクハラをするような上司や同僚がいてもダメなんです。会社全体がオメガに理解を示していると言うのが前提で、就労規定もなかなか厳しいんですよ」
「そうなると、随分狭き門ですよね?」
「いえいえ、オメガを採用する会社には、国から援助が出ますし、番が勤められるとアルファからも好評で、優秀なアルファが集まりやすくなるんですよ」
「そうなんですか…」
菊地は話をしながら、レーンを流れる寿司を眺めていた。今までは何も気にせずにレーンを流れる寿司をとっていたが、今はもうその中に紛れたサビ抜きを探すようなものだ。それが自分なんだろう。
「菊地さんが働きたいのなら、就職先を紹介しますけど、それは通常のヒートを経験してからになりますよ」
言われて、改めて怖くなった。
そうだった、オメガ狩りにあってここに来ただけで、自分はまだヒートを知らないのだった。
「いつ頃来るとか、そーゆーのって分かるもんなんですか?」
菊地が質問をすると、木村は寿司を飲み込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「そのネックガードで数値を常に測っていますから、フェロモンの数値が高くなれば、そちらのスマートウォッチに通知が来ます。菊地さんの場合、ヒート未経験なので、事前通知としてはあまり機能しないと思います。初めのヒートの時は、恐らくその日の朝とか、そのくらいになるかと」
「何回かヒートを経験すれば一週間前とかに分かるようになる?」
「そうですね。ベータ女性の生理の周期みたいなものなので、オメガの子宮から出るフェロモンが増えれば妊娠出来ますよ。っていうのがヒートなわけで」
「はぁ、子宮?」
「え、菊地さん、さっき説明を受けましたたよね?CTの画像を見ながらオメガの体の構造について」
「あ……あぁ、まぁ」
菊地は今更ながら、あまりにも現実味のない説明を聞き流していたと気がついた。自分の体のことなのに、ここに子宮があって、ヒートが来ると妊娠可能になるんですよ。妊娠率は100%です。なんて、現実味が無さすぎて、聞いたけど、聞いただけだった。
「あの、菊地さん?大切なことですよ?」
「なんか、はぁ、そうですよね」
菊地はあまりにも真剣な顔をする木村に、申し訳なさ過ぎて困ってしまった。自分のことなのに、菊地はどこか他人事のように捉えていたのだ。
「分かりますけどね。いきなりオメガだから、妊娠できるんですよ。アルファから求婚されたり、ヒートの時に項を噛まれたら番になって、一生を共にしなくちゃいけなくなるんですよ。って、理解しきれないですよね」
木村はお茶を一口飲んで、一つ息を吐くと、菊地をもう一度みた。
「だから、施設があるんです。不幸なオメガがいなくなるように、だってそうでしょう?街中でヒート起こして、見知らぬアルファにホテルに連れ込まれて、ヤり逃げされたらどうします?妊娠率100%ですよ?そんなことになったら、オメガもお腹の子どもも不幸でしょう?」
菊地は黙って頷いた。
「アルファを産んだら子どもだけ奪われる場合もあります。今でも、です。だから、簡単に番になっちゃダメなんです。番になるなら結婚してからですよ」
そう言って、木村は人差し指を菊地の鼻の先に当ててきた。
「分かってますか?自分を守るのは自分なんです」
そう言いつつ、木村は指先で菊地の鼻の頭をつんつんと、押す。
「ネックガードは、不幸なオメガを生み出さないためのものです。施設を出る時、オメガとして幸せな生活がおくれるようになって欲しいんです」
「………」
菊地はなんと返事をしたらいいのか分からなくて、無言で頷いた。
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