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第10話 追想
夕食後、父親の書斎に呼ばれて行けば、今日の報告書についての話だった。
「まぁ、よく書けてはいる。写真が少し小さいが、まぁ顔がわかるからよしとしよう。お前の推測どおりこいつは俺の部下だ。校外を担当する」
間違えていなくて、昌也は内心ほっとした。
「まぁ、俺もお前の判断を見たくてあえて言わなかったんだけどな」
父親は笑ってはいるけれど、菊地をどこまで監視するのか確認しなかったのは昌也だ。
「確認しなかったのは俺です。以後気をつけます」
「なかなかだな。まぁ、いい。親子でこんなやり取りをしても意味が無い。そこにお前のパソコンを用意した」
父親が指さす先に、新しい机があり、パソコンが設置されていた。
「それを使って、これから毎日報告をするように」
昌也は新しいパソコンを見て、それから父親を見る。
誰に報告をしろと言うのだろうか?
「お前な、この件は誰から頼まれているんだ?」
「…一之瀬、匡様…です」
「そうだ、分かっているじゃないか」
父親が、満足そうに笑う。
「俺はお前からのメールをまとめて蘇芳様に報告をする。お前は自分できちんと匡様に報告をするように」
「分かりました」
昌也はパソコンの前に座ると、父親から教えられたパスワードでパソコンをひらく。
「ああ、昌也。お前が匡様に報告するのは登校から下校までだ」
「分かりました」
昌也は言われた通りに報告書を作成する。一度父親に作っているので、それの焼き直しという訳だ。書き上げると、昌也は父親に確認をお願いした。初めて作った報告書である。
「うん、まぁ、いいだろう。あとは、お前の携帯番号をつけておきなさい。必要と思われれば、匡様の携帯番号を、教えて貰えるだろう」
「分かりました」
昌也が報告書のメールを送ると、それで、本日の業務は終了である。まだ高校生であるから、本分は学業だ。
「明日からは、、帰宅したらすぐに報告書を作成すること。BCCに俺をつけるのを忘れるなよ」
「分かりました」
昌也は返事をすると、一礼して書斎を後にした。
ようやく風呂に入り、湯船に浸かる。
「つか、これって、小遣い以上に貰えるんかな」
高校生である昌也にとっては、小遣いが大切である。通学の定期は渡されたものの、菊地に合わせるとなると弁当が必要だ。私鉄の駅にはコンビニがあったけれど、これから毎日買うのは辛い。
風呂から上がって、すぐに母親に言ってみると、母親は笑いながら教えてくれた。
「明日からはおにぎりを持たせるわよ。念の為水筒もね。お小遣いに、報酬が上乗せされるかは……あんた次第よ」
そう言って、母親は昌也のおでこを軽くつついた。
昼食の問題は解決したので、それでいい。おにぎりなら、立ったままでも食べられる。さすがに、毎回三ノ輪にお茶を貰っては、昌也が目立ってしまう。
図書館の入口が見える場所をいくつか抑えた方が良さそうだ。天候の善し悪しもあるし、悪目立ちしないようにしなくては、三ノ輪のストーカー扱いされてしまうだろう。
菊地の通学に合わせるため、昌也は通学路を変更したのだ。結果がどうなろうと、卒業までは変わらないだろう。昌也は明日の支度をすると、急いで眠りについた。
翌日、私鉄の駅前でバス停に並んでいると、スマホが鳴った。見知らぬ番号ではあったけれど、すぐに出た。
「はい」
『昌也か?』
「はい」
『報告書は読ませてもらった』
「ありがとうございます」
『今日からはもう少し早く報告が貰えるのかな?』
「はい、帰宅したらすぐに」
『そうか、わかった。この番号を登録しておいてくれ、何かあったら鳴らしてくれて構わない』
「分かりました」
『期待している』
昌也の返事を待たずに一之瀬は通話を切ってしまった。だが、ちょうどその時、昌也が乗るバスが来た。もしかしなくても、一之瀬はバスの時刻表を把握しているのだろう。かけてきたタイミングも昌也か並んだ直後だった。もしかして、見られているのかとバスに乗り込みながら辺りを確認するが、それらしい高級車は見当たらなかった。
昌也は昨日と同じ席に座ると窓の外を見た。同じ学校の制服を着た生徒がバスに乗りこんでくる。昨日と同じ顔ぶれが、昨日と同じ席に着く。
菊地も、昨日と同じように自宅近くのバス停から乗り込み、昨日と同じ席に着いた。バスに乗る生徒たちは、特に声をかけ合うようなことはしないらしい。
部活に所属していなければ、特に共通点はないようで、本を読んでいるかスマホの画面をみている。菊地の読んでいる本を確認すれば、昨日と同じだった。どうやら読書はバスの中だけらしい。
昨日と同じように、昌也は一番最後にバスを降りた。昨日は余裕がなかったけれど、バスを降りた生徒をよく見れば、菊地と昌也しか、一年生はいないようだった。途中から乗り込んで、しかも他学年しか乗っていないとなれば、読書に没頭もするだろう。
昨日と同じように、昌也は下駄箱で菊地に声をかけた。
「おはよう。菊地くん?だよね」
人好きしそうな笑顔は、子どもの頃から訓練させられた賜物だ。この仕事をするなら第一印象は大切で、警戒されないように接近するには必要なものだ。
「おはよう」
菊地は困ったような顔をして挨拶を返してきた。
昨日も挨拶をしたけれど、名前を確認していなかった。下駄箱の並びから出席番号が近いのはわかったけれど、あれ以来クラスに近づかないようになってしまった菊地は、クラスメイトの顔と名前が一致していなかった。
菊地が戸惑っような顔をしているのを、昌也はしっかりと理解していた。だから、教室に向かいながら名前を名乗ることにした。
「俺は島野昌也だよ。同じクラスのベータ、ね」
ベータと言う言葉を聞いて、菊地の顔が少し緩んだのがわかった。やはり、同じクラスの生徒でも、ベータかアルファか分からないと近づきたくは無いのだろう。
「わかるよ、それ」
菊地が警戒する態度に理解を示せば、マスクで覆われて目しか見えないけれど、菊池が笑ったのがわかった。
教室に着くと、菊地はカバンを置いてすぐに出ていく。昌也はゆっくりと自分の席に座り、回りを見渡す。まだ予鈴まで15分以上あるためか、教室の中は閑散としていた。
昌也はメッセージアプリを使って通知を送る。
学校着
教室着
移動
メモ代わりの通知は、母親に送っていた。既読のマークがつかないあたり、母親も勝手知ったる。ということなのだろう。すっかりスマホにGPSが当たり前の昌也からしたら、教室でメモ帳に書き込むなんて出来なかった。そもそも、今の時代、高校生がメモ帳を取り出すなんて珍しすぎて注目を浴びてしまうというものだ。
一番自然なメモの取り方だと思う。
昌也はゆっくりと教室を出た。
菊地がトイレを出て、それから非常階段に向かうのが見えた。廊下には割と生徒の姿がある。菊地はその間を静かに歩いて、非常階段へと消えていった。昨日と同じだった。
壁際からそっと菊地を見ると、今日はスマホを弄っていた。指をやたらと動かしているので、何かゲームをしているのだろう。しかし、音が全く聞こえてこない。音楽ゲームではなさそうだった。
昼休み、菊地の後を追って昌也は図書館に向かった。菊地は昨日と同じように三ノ輪に特別閲覧室に、入れてもらっていた。昌也はそれをみとどけると、図書館の外に出た。三ノ輪が、カウンターに戻るより早く出れば、特に問題は無いだろう。カウンターの奥にある司書室には、司書の先生と他に生徒が二名座っていた。食事をしているようで、一人の生徒と目があってしまった。昌也は仕方なく、後ろを振り返って三ノ輪を見た。
三ノ輪は、そんなに昌也を見て苦笑する。
「君はまだまだだねぇ」
「この学校の生徒なんだから、その辺は勘弁してください」
一之瀬家に仕える身としては、同じ名家の三ノ輪に対してもそれ相応の態度が、必要なのだろうが、いかんせんその辺のさじ加減がまだ分からない。
「この件については、今朝匡様から電話がきたよ。だから、中まで入ってこなくても大丈夫だから」
「そうは言われても、俺も小遣いがかかってるし」
昌也がおどけてそう言うと、三ノ輪か笑った。
「じゃあ、先にお弁当を食べてから図書館に入ればいいじゃない」
なるほどそれもありだった。
毎朝声をかけ続けたからか、一学期が終わる頃には、菊地とバスの中では会話ができるようになっていた。
「夏休みはどこか出かけるのか?」
部活に入っていないから、昌也は夏休みの予定はほぼ空白である。しいていえは、目の前にいる菊地しだいだ。
「夏休み?夏休みはね、バイトするんだ」
比較的裕福な家の子が多いので、バイトと言う答えが返って来て昌也は少し驚いた。
「親の仕事の手伝いとか?」
名家の子息だとよくあることで、高校生の夏休みあたりから、家業の手伝いをさせられる。一種の顔見せではあるが。
「ちょっと違うけど、そんな感じになるかなぁ」
「え?何するの?」
昌也が聞くと、菊地ははにかんだ。
「だ、誰にも言わない?」
少しうつむき加減になり、口ごもる。
「あ、ああ、言わない」
一之瀬に報告するけど。
「あのね、うちの父親公務員で今年体育関係やってるらしいんだけど」
「うん?」
昌也はそれがバイトにどう繋がるのか分からなかった。
「それで、今年の市民プールのアルバイトを頼まれたんだ。時給が安いから人が集まらないらしくてさ」
「え?何それ」
昌也は思わず声がおおきくなった。
市民プールのバイト?普通に考えたら、男子高校生にとっては、憧れのバイトではないのか?家族連れが多いだろうけれど、水着の女子を見放題できることは間違いない。
「ほら、市民プールだから、家族連れが多いだろ?それに、バース性の問題があるから、ベータしかバイトができないんだ」
「あ、ああそうか」
昌也は理解した。市民プールは安くて利用しやすい。そんなところに金持ちアルファは来ないけれど、一般家庭のアルファやオメガは来るわけだ。そんな時に、万が一オメガが溺れたとか、フェロモンによるなにかが起きた時、バース性に左右されないベータが対応するわけだ。つまり、ベータしか監視になれないと言うことだ。
「タダでプールに入れるってぐらいしか楽しみないけどね」
「え、いいな、俺もやりたい」
昌也はすぐに食いついた。同じバイトをすれば、夏休み中はずっと菊地を監視できる。
「え?時給安いよ?」
「プールタダで入れるんだろ?」
「うん、そうだけど…天気悪いとバイト無くなるよ?」
菊地が小首を傾げて聞いてくる。
けれど、昌也は何がなんでも菊地と同じバイトをしなくてはならないのだ。なので、いかにもベータの男子高校生らしいセリフを、小声で告げた。
「水着の女子見放題だろ?」
菊地は苦笑しながら昌也の申し出をうけてくれて、すぐに父親に連絡をしてくれた。そのままバイトの申し込み用紙を菊地と一緒にもらいに行った。市民プールでのバイトとはいえ、公共施設で働くからか、保護者の承諾欄があった。
「明日持って来てもいいですか?」
書類を渡してくれたのは、菊地の父だった。
「バイト代の振込先口座が確認できるものを、コピーして一緒に提出して欲しいんだけど、大丈夫かな?」
そう聞かれれば、すぐに返事をする。
寄り道をしたからと、菊地は私鉄の駅まで一緒に帰ってくれた。明日も付き合ってくれると言うので、昌也は礼を言った。
「バイト先を紹介してもらったんだから、俺の方が礼を言う方だよ」
そう言ったら、菊地は少し照れていた。
帰宅して、すぐに母親からバイトの承諾をもらい、一之瀬に報告のメールをした。バイトについての簡単な話は、帰りの電車の中でメールを父親にしておいたので、渡された書類を父親の机に置いたところで昌也の、スマホが鳴った。
一之瀬からだった。
「はい、昌也です」
『どういうことだ?』
「はい?あの……なにが、でしょうか」
『今日の報告書だ』
一之瀬が、咎めるような口調で言ってくるが、昌也にはイマイチピンとこない。なので、頭の中で必死に考える。一之瀬に送ったばかりのメールを再度開いて内容を確認した。なにか不備があっただろうか?
「あの…なにか不備がありましたか?」
報告書に、虚偽はない。一緒に帰ったのがダメだったのか?別に手は繋いだりとか、そう言ったスキンシップ的な事はしていない。明日も一緒に帰る約束をしたこともきちんと書いた。行先だって役所だ。もしかして、菊地の父親に先に顔を見せたのが不味かったのだろうか?
『バイトだ』
不機嫌そうな一之瀬の声が耳に響いた。
「バイト?しちゃいけませんでしたか?でも、菊地くんがするので同じバイトをしないと…」
『なぜ、それなんだ』
一之瀬が、だいぶイライラしているのがわかった。
わかったけれど、なぜなのかが昌也には分からない。
「なぜ、とは?」
わからないので、聞くしか無かった。こちらはしがないベータである。優秀なアルファの考えがわからなければ、教えてもらうしかない。
『どうしてプールの監視員なんだ?』
ようやく一之瀬が答えを教えてくれた。
一之瀬の不機嫌な理由は、夏休みに、菊地と昌也が行うプールの監視員のバイトの事だった。
「菊地くんの父親がそちらの施設の職員をされていて、時給が安いから人が集まらないとの事で菊地くんは夏休みにバイトをすることになった。と、書きましたよね?だから、俺も慌てて応募させてもらいましたよ?」
昌也は報告書に書いた内容を口にする。何書き忘れてことは無い。事実をそのまま書いた。
『…水着、になるんだろう?』
一之瀬の声が低い。
「ええ、プールで、バイトですから」
『なぜ、お前が俺よりも先に見るんだ?』
一之瀬から言われたことが理解できない。何を言っているのだろうか?先に見るとは?
「あの、上にパーカーとか、羽織りますよ?」
『着替えを一緒にするだろう?ああ、違う他にもバイトする者がいるだろう。そいつらにも見られるんだぞ、どうするつもりなんだ』
一之瀬が、怒っている理由がわかったけれど、そんなこと昌也に、どうにかできる訳では無い。高校の授業に水泳がないけれど、中学ではあったわけだから、同級生は菊地の着替えを見ている。いまさら昌也にそんなことを言われてもどうにもならない。
「バイトはベータしか、出来ない規則なので」
募集要項に書かれていた事をそのまま伝える。添付資料として送ったはずだけど。
『そんなことはわかっている。まだ、ベータだ』
「はい…あの…バイトの写真、送りますから」
昌也が、ギリギリ言えたのはそれだった。
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