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第12話 心覚え

 昼過ぎに届いたSNSの確認をしたかったが、一般的な感覚だと、バイト中に私用電話に出る事は出来ない。  それに、同じ部屋にいるお目付け役は、着信に気づいて一瞬目線を送ってきて、知ったような顔をした。問いただしたい気持ちに蓋をして、とにかく仕事を片付けた。  昌也から、初バイトの報告が届いていたのですぐに開いてじっくりと読んだ。昨日は掃除の話だけで、添付されていた写真は使い捨て不織布で出来た白いつなぎを着た菊地だった。今日添付されていた写真はすぐにプリントして、スマホにも取り込んだ。  放課後は父親の会社経営を手伝いながらの修行。  夏休み前の日曜日なので、朝から書類をひたすら片付けていた。休日出勤だから、役員フロアにしか人はいない。静かなフロアには、一之瀬が、キーボードを叩く音しか聞こえなかった。  暫定のような感じで、昔から一之瀬家に使えている田中家から、ひとりを一之瀬に補佐としてつけてくれた。  この春大学を卒業したてで、相手も修行中ではある。父蘇芳の秘書をしている田中の息子だ。  スマホを片手に立ち上がると、そのまま無言で部屋を出る。補佐の田中が慌てて後をついてきた。 「匡様、どうなされましたか?」  大分前のSNSの着信で、既にわかっているだろうに、わざわざ聞いてくるのはセオリーなのだろうか。  だいぶ慌てているようではあったが、向かう先が分かっているらしく、少し困った顔をしていた。 「恐らく、戻られてはいると思いますが」  やはり、補佐の田中は父蘇芳の外出を知っていたらしい。自分にだけ連絡がされていなかった事が気に入らない。誰の───だと、思っているのか。 「入りますよ」  乱暴にノックをして、返事も待たずに扉を開いた。  入った途端に秘書の田中が立っていた。  軽く通せんぼをされているようで、一之瀬は一瞬イラついた。その、田中の肩越しに涼しい顔をした一之瀬蘇芳が座っているのが見えた。 「あんた、何してんだ」  たとえ実の父親であっても、社長であったとしても、これは別の話だ。 「なに、って?市場調査だよ」  口元に薄い笑いを浮かべて答えられると、余計に頭に血が登りそうになる。 「市民プールにしてはなかなか、設備が充実している。収益を大きく取らないからこその価格設定なんだろうな」  そんな事を口にして、さも仕事をしてきました。って顔をする。そんな態度も一之瀬をイラつかせた。 「そんなところを、わざわざあんたが視察する必要なかっただろう」  秘書の田中の脇をすり抜けて、蘇芳の前まで歩み寄ると、目の前に写真を一枚突きつけられた。  ピントがあうまで一瞬の間があって、写っている被写体を、確認した途端に手が動いた。だが、それより早く蘇芳の手が引っ込んだ。 「誰もあげるなんて言ってないけど」  椅子の背もたれに寄りかかり、ふんぞり返っているようにも見える体制で、蘇芳は手にした写真を眺める。 「かわいいね。この、無意識にTシャツを、握りしめてるの。思わず抱きしめたくなったよ」  そんなことを言われては、イラつくではなく腹ただしい。 「はぁ?あんた何言ってくれてんだ」  思わず声が低くなる。たとえ相手が父親であろうと、譲れないことがある。 「なにって?だって、まだ彼は誰のオメガでもないだろう?」  口の端を軽く上げて笑う顔は、獲物を狙うアルファらしい。またそれが、一之瀬を刺激した。 「どういう意味だ」  一之瀬はまだ若い。けれど、『俺のオメガ』と言うワードは時と場合によっては威力を発揮する。宣戦布告にも近いワードだ。 「だから、誰のおかげだと思っているのかな?ってことだよ」  余裕のある笑みを浮かべてそんなことを言われれば、嫌でも理解していることを態度に出さなくてはいけなくなる。 「自分で雇えるようになることだな。それと、彼を護れるようになにか対策を考えたらどうだ?今あるコテージでは、施設としてはまだ弱い。若い世代でも利用しやすくする方法を考えてくれないか?後天性はいつ発症するか分からない。そんなオメガを保護しやすく出来ないものかな?」  手にした写真を、これみよがしにヒラヒラとさせている。それが、餌だと言われれば、腹ただしいが従ってしまう。 「……分かりました。『俺のオメガ』のために策を練りましょう」  一之瀬は、父親の手から写真を奪うと、補佐の田中と共に社長室を後にしようとした。が、意外な言葉が背中を追いかけた。 「動画もございますが、いかが致しましょうか?」  ───────  三学期の進路指導で、昌也は担任と顔を合わせてとても気まずかった。  名前の順でやっていくから、当然昌也は菊池の後だ。  放課後に教室で順番にやっているから、廊下には次の生徒が控えている。 「お前の家庭の事情は知っている、知っているんだ」  そう呟くように口して、担任は頭を抱えた。 「やっぱり、良くないですよね」  昌也は先程担任にお願いしたことが、どれほど迷惑なことかよく分かっていた。 「俺も、これが仕事なんです」  そう言って、進路希望の調書にシャープペンで書き込んで担任の方へ動かした。  ───E組希望   理由 菊地和真の監視と護衛のため───  A組の担任からしたら、二人もクラス落ちをされてはたまったものではない。しかも、本人の希望とあってはどうにもならない。 「まぁ、俺にできることは、この調査書をそのまま学年主任に渡すことぐらいだ」 「よろしくお願いします」  昌也は深深と頭を下げた。  本来ならA組からE組にいきなり落ちるなんてことは無い。あるとすれば、バース性の問題が発覚した時だけだろう。  A組には、優秀なアルファが集まっている。そのため、トラブル防止のためにE組にはオメガが集められる。そのため、ベータの生徒は成績順にA組から順に振り分けられていく。A組に入るベータの生徒は、アルファの家に縁があったり、将来的な繋がりが欲しかったりする。  昌也は一之瀬に繋がる家系であるから、A組にいることが必須であったが、事情が変わった。それが担任を悩ませることになる。  結局は、一之瀬家の意向を組むことになるから、昌也のE組入りは確定であった。  二年生が始まった四月。  同じバスで登校した菊地と昌也は、新しいクラス表を見て互いに顔を見合せた。そうして、二年E組に入ったところで、菊地がマスクを外した。  昌也は驚いて菊地を見た。 「あ…なんか……平気、かも」  マスクを外して教室の匂いを嗅ぐ菊地は、安心したように笑った。理由が分かるだけに、昌也の心境は複雑だ。  スマホのカメラは、シャッター音でバレるので、昌也はビデオモードを使って菊地を写す。きっとマスクを外した菊地の顔を見せれば、一之瀬の機嫌は直るだろう。何しろ、クラス編成を見て、分かっていたくせに一之瀬は分かりやすく不機嫌になったのだ。  教室の匂いを嗅ぐ菊地は、なんだか子犬のようだった。新しい環境を興味津々で嗅ぎ回る子犬だ。  その動画を一之瀬に送ると、すぐに既読がついた。横目で廊下に視線を送ると、教室の少し手前に一ノ瀬が見えたが、教師に肩を掴まれている。足止めをされたらしい。 「おはよう」  廊下を見ていたら、反対側から声をかけられて昌也は驚いた。三ノ輪だ。 「菊地くんもおはよう。花粉症?」  マスクを付け直す菊地を見て、三ノ輪が聞いている。理由を知っているくせに、随分な事だ。 「おはよう。…うん、えっ……と」  マスクの上に手をかけながら、菊地が言い淀む。 「クスリ飲むと眠くなるもんね」  それが親切なのか、三ノ輪は、菊地が花粉症だということにして話を押し切った。菊地は目だけで軽く笑っているのが分かる。 「今年も図書館に来る?」  出席番号順だと全く席が近くないのに、三ノ輪は菊地の隣の席に座って話を続けた。 「E組にアルファは入れないけど、廊下から呼び出すことはできるよ?」  三ノ輪は菊地の耳の近くでそっと話した。それを聞いて菊地は何度か瞬きを繰り返す。 「お世話になります」  菊地がそう言うと、三ノ輪が昌也の方を見て軽く片目を瞑った。ベータの昌也ではあるけれど、三ノ輪のそれはなかなか威力があるものだ。  廊下で教師に捕まった一之瀬は、仕方なく一応は教師の話を聞きはした。自分のせいだとは分かってはいても、納得出来ないこともある。  気分が悪くなるのではなく、お腹が痛くなる。と言うことは報告書で読んで知っていた。去年のプールでの写真を見る限り、菊地の抑えるお腹の辺りが気になる。そこの辺りのレントゲンを撮らせて欲しい。  一之瀬はそう願っても、今年の健康診断も菊地は異常なしですり抜けていった。  べつに、定期テストに向けて特別勉強をしたことは無かったけれど、たまたまテスト期間に図書館を訪れたら、数人のオメガの生徒と菊池が勉強をしていた。  本来ならA組の菊地は、オメガの生徒に丁寧に勉強を教えている。一応昌也も参加しているので、事前に連絡は貰っていた。  あまり近づかないようにしながらも、ついつい目線が菊地はに行く。 「見すぎじゃないかな」  気がつけば、カウンターの中にいたはずの三ノ輪が、隣に立っていた。 「あそこにいるオメガの子たちは気づかないみたいだけど、菊地くんから時たま甘い匂いがするんだよね」  クラスが同じになって、毎日顔を合わせる三ノ輪は、オメガらしく遠慮せずに菊地に触れているようだ。それに、嫉妬しても仕方がないけれど、ああやって堂々と菊地と、頬を寄せ合って話をしているオメガに少なからず嫉妬はしてしまう。 「まだ、手を出さないの?」  三ノ輪に言われて、眉間にシワがよる。 「強引なことはしたくない」 「これ以上嫌われたら大変だもんね」  三ノ輪がクスクス笑っている。菊地の見事なまでの避けっぷりを目の当たりにして、面白くて仕方がないのだろう。 「まぁ、高校にある間はいいけれど、卒業したらどうするの?」 「そのための監視だ」  一之瀬はチラリと昌也を見た。 「島野くん?」  三ノ輪は昌也を犬と呼んでいた。一之瀬家の忠犬。優秀なベータの家系だ。 「仕事をきちんとこなす。なかなか優秀だ」 「じゃあ、彼はずっとになるんだ。大変だね」 「監視の届く範囲で、な」  一之瀬の言葉を聞いて、三ノ輪は一つため息をついた。可愛そうに菊地は、外堀が埋められつつあることに気づいていない。高校卒業後の進路が、実はもう決められていることに、いつ気づくのだろうか。  三ノ輪は菊地のことを思って、それから一之瀬を軽く睨みつけた。 「幸せにしてあげるんだよね?」

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