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第22話 頓着
会社には、予定通りに着いた。昨日の部屋に行くには、専用のエレベーターに乗らなくてはならない。エレベーターホールで乗る番号のメモを渡されていたので、それを確認しながらエレベーターホールへと向かう。
駅から直結のような通路を歩くと、改札のような入口があって驚いた。
みんな電車に乗る時のように、スタスタと改札のような場所を通り過ぎていく。
昨日は一之瀬ときたから、これは知らなかった。さてどうしようと悩んでいたら、肩を叩かれた。
「社員証のない人はこっちから」
指で示された場所には、タブレットが設置されていた。
「ありがとうございます」
菊地は軽く頭を下げると、タブレットに必要項目を急いで入力する。最後にタブレットで、顔の登録がされた。自動で簡易の証明書が出された。それを首から下げると、正面のモニターで顔が認証されてゲートが開いた。人の波に乗るようにエレベーターホールへと向かう。指定された番号のエレベーターは、奥にあった。だいぶ上に行くらしく、途中の何十階もがスキップされるらしい。
耳鳴りしたらどうしよう。などと、思っていたら、正面にたっていた人が軽く笑った。どうやら顔に出ていたらしい。ベータとして生きてきた方が遥かに長い菊地は、オメガらしい振る舞いとか、駆け引きのためのポーカーフェイスなんて出来てはいない。
仮の入館証は紐が赤いからか、エレベーターに乗り合わせた人たちがチラチラと菊地を見る。その視線の先にオメガのネックガードがあるのだが、とにかく首周りが気になりすぎて、菊地は落ち着かないままエレベーターを降りた。
昨日の部屋の前で深呼吸して、扉を叩く。
中から開けてくれたのは、昨日の女性だ。
「おはようございます」
菊地は頭を下げながら挨拶をした。
「おはようございます。そんなに緊張しないでぇ」
中に入ると、封筒に入れたまま書類を渡した。女性が確認をする。
「これ書いたのって…」
「あ、あの…」
菊地はちらりと女性を見る。筆跡が違うのが丸わかりだろう。
「あの、私は、分かってます」
そう言われて、菊地は喉が上下した。
「でも、ほかの人たちは知らないので、私からは言いません。と言うか、言えないので…その、自分で答えられる範囲で話をすれば大丈夫だから」
面接も何もなしに、社長の秘書が連れてきた人物の入社手続きをしたのだ。しかも男性オメガだ。これで分からない方がおかしい。けれど、記入された書類を見る限り、まだ、ということだけは分かる。
「では、行きますね」
促されて廊下を歩く。配属される部署はオメガが多く、オメガ休暇は電話で簡単に取れるそうだ。
入った部署の部屋は、広かった。ワンフロアぶち抜きになっていて、柱に部署名が貼られている。
連れて行かれたのは、フロアのど真ん中になるのだろうか?視線が自分に集まるのが痛いほど分かった。
「今日からこちらのフロアに勤務する菊地和真さんです。バース採用オメガ枠」
女性がそれだけを簡潔に言うと、あちこちから返しの返事がバラバラに聞こえてくる。
「菊地和真です、よろしくお願いいたします」
菊地は深々と頭を下げた。その時、どこかから匂いがした。一之瀬のとは違うけれど、アルファのフェロモンだ。管理職がアルファなのはよくある事だ。菊地が頭をあげると、雑な感じで勝手に席へと戻っていくのが見えた。
「菊地さんはこっち」
連れていかれた先で、また挨拶をする。
「社員証作るから、柱を背にして立ってもらっていいかな?」
言われるままに立つと、タブレットで何枚か写真を取られた。
「お昼までには持ってくるからね」
そう言い残すと、女性はいなくなった。
菊地の仕事はデスクワークで、入力作業。取り扱う商品によっては、営業にもなれるらしいが、オメガとなった体では、ハードな営業職をこなすのは難しいだろう。
仕事の説明を受けている時も、ちょっとした話をしている時も、女性たちが菊地の首元をやたらと見ているのが分かった。今朝電車で学生からも聞かれたのと同じだろう。けれど、聞かれてもいないのに、自分から言い出すのは気が引けた。何しろ高級品である。自慢しているように、なるのは避けたい。
昼休みの少し前、本当に社員証を持って女性がやってきた。
「これ、使ってね。こっちは、回収させてもらいます」
菊地から、仮の入館証を受け取ると、女性は受取証に、菊地の名前を記入させて帰って行った。みんなと同じ色の紐が首からかかると、多少は安心する。ベータとして生きてきたから、みんなと同じことが単純に嬉しい。
「えーっとねぇ」
向かいの席に座る女性が声をかけてきた。
「はい」
「あのね、オメガ枠の入社歓迎会はぁ、社内のカフェテリアを使う規則なの」
「………はぁ」
「で、お昼休みに、ランチでの歓迎会になるんだ」
「そう、ですか」
元々、昼食の用意なんてしていなかったから、問題は無い。
昼休みのチャイムがなる前に、部署の人たちに連れられて、菊地はカフェテリアへと、移動させられた。
入口に、本日貸切のプレートが立てられていた。明確に壁で仕切られている訳では無いから、食堂を利用する社員たちからは丸見えである。
菊地が、座らせられた席の周りは、物の見事に女性が陣取った。ランチでの歓迎会であるから、乾杯とかは全くなく、改めて菊地が簡単な自己紹介をさせられた。
当然、話題のオメガ狩りにみなが食いつく。
「誘発剤は、どこに仕込まれていたか分かるものなんですか?」
「さぁ?味がわからないように乾杯用のビールが怪しかったと思ってるけど」
「施設って居心地いいって聞きますけど?」
「うん、すごくいいよ。隣接するショッピングモールで買い物し放題」
「うわ、天国」
「名家が出資してるから、国の施設だけど凄い贅沢だと思う」
「そこから通ってるんですか?」
「え、いや、違う…けど」
菊地が、そう答えると、女性たちはまさに好機とばかりに質問を続けてきた。
「その首の、プレゼントしてくれた人は?」
「その人と同棲してる?」
「それ、B社のオーダーメイドですよね?」
「後発性なのにもう、特定のアルファがいるってことは、その人と結婚するんですか?」
質問量が多すぎる。完全に電車で聞かれたことと被ってる。それ以上に踏み込んできてる。
興奮しているらしい女性たちは、熱い視線で菊地を見ていた。
「えーっと…」
どこからなんて答えたらいいのか、迷ったけれど、今朝の電車での一件はシュミレーションだったと思えばいい。
食堂を利用している社員たちも、何となくこちらの会話に、聞き耳を立てているようだ。
「話せる範囲でいいから」
お願いポーズを、目の前でされるとは思っていなかったため、菊地は少し狼狽えた。
「この首のはプレゼントで、B社のであってます。オーダーメイドだと思いますよ?指紋認証で解錠するから」
菊地が答えると、女性たちからはどよめきが起きた。
「で、その、貰った人と一緒に住んではいますけど」
今度は悲鳴に近い声が上がる。
「上位のアルファだよね?」
「凄い匂いするもん」
こんな時の女性は怖いものだと実感する。
匂い、匂いは確かに今朝も電車で言われた。
「そ、う、ですね。上位…だと、思います。職業が社長だから」
「いやー、王道!」
「社長とか、凄すぎ」
「やっぱり男性オメガは玉の輿」
女性たちがあまりにも騒ぐので、菊地は逆に冷静になった。一之瀬の行動を考えると、執着のもの凄い一歩間違えたら変態だ。さすがにそれは昼間のカフェテリアでは言えない。
「結婚するの?」
不意に、背後から男性の声がして、振り返った。
立っていたのは、同じ男性オメガの山岸だった。山岸は既婚者で、下のフロアに相手が勤務していると聞いた。
「まだそこまでは」
「就職したてでこういうのもなんだけど、男性オメガの妊娠適齢期って短いから」
「聞いてます」
「相手が社長さんだと、子ども欲しがるよね?」
「まだそういうの話したことがなくて」
「就職させてくれたんだから、束縛はキツくないんだし、いい人みたいだね?」
「……いい人、ですか、ね?」
「えぇ、だって愛されてるでしょ?」
「この首のも凄いけど、マーキングの匂い凄いよぉ」
言われても、ピンと来ない。一之瀬の匂いに慣れすぎているのだろうか?いや、ほかのアルファの匂いがよく分からない。
「管理職の、アルファたちがすっごい警戒してたもん。菊地さんのアルファ、相当な上位」
「普通の社長さんじゃなさそう」
「住んでるの、タワマン?」
それを答えるのは気が引ける。多分タワマンだし、一階には高級スーパーがついていたし、住んでいるフロアは一之瀬の部屋しかない。それに、この会社の社長だ。
「あ、無理に答えないで」
質問しておきながら、両手をすごい勢いで左右に降っている。
「えーっと、多分、タワマンです」
この会社のビルよりは低いと思う。多分。階層によって郵便番号が違うタワマンではあると思う。
「多分って」
そんな話をしているうちに、デザートのケーキが配られて、みんなそれを食べ始めて静かになった。
食堂の方からの視線も随分となくなったようだ。
とりあえず、最後に食べたケーキの味は、しっかりと味わえたから良しとしよう。
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