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第24話 緩和

 ご飯が美味しく炊けて、片付けが食洗機まかせで、菊地は嬉しかった。さすがは上位アルファ様のお住いである。素晴らしい機能が備わっているものだ。  ゆっくりとテレビを見ながら、菊地は一之瀬に確認をした。ソファーの上で膝を抱えながら、菊地はホットミルクを飲んでいた。蜂蜜をたっぷり入れてかなり甘い。たまに甘いものが欲しくなると、いつもこれを飲んでいたので、作ってみたのだけれど・・・高級スーパーのはちみつはめちゃくちゃ美味しかった。  はちみつだけ、舐めてしまいそうで怖かった。 「じゃあ、夕飯についての連絡は6時までにして」 「なんで?」 「俺はほとんど残業ないから、5時には上がるだろ?電車で帰って部屋に着くまでのことを考えたら、6時までには連絡貰わないと困る」 「分かった、外食に誘いたい時は?」 「それも6時まで」 「分かった」  一之瀬の手が菊地の手に触れてきた。帰宅した時から分かってはいたけれど、菊地はあえて無視していた。 「夜のお誘いは?」  手に触れていたのに、腕を上って首筋を撫でて耳の辺りの、髪を撫でている。 「今日はやだ」 「どうして?」  嫌だと言いながら、一之瀬の手を払わないので、そのまま菊地の髪を撫でるのをやめない。 「職場の人たちに言われた、アルファの匂いがすごいって」  そう言って、菊地はホットミルクを一口飲む。 「それは、アルファとして当然のことなんだが」  一之瀬はそう言いながらも菊地の髪を撫で続ける。 「なんか、恥ずかしい」  菊地は視線をマグカップの中に落とした。これ以上一之瀬の顔を見ていたくない。流されてしまいそうだ。 「今日は、ダメ?」 「…ダメ、ヤダ」  菊地は視線を落としたまま返事をする。 「じゃあ、キスは?」 「え?」  なんて返事をしようかと、思わず菊地が顔を上げると、すかさず一之瀬の手が菊地の顎を捉える。さっきまで髪を撫でていたはずなのに、随分と素早く動くものだ。 「んっ」  手にしていたマグカップは、テーブルに置かれてしまった。そこまで離れてはいなかったけれど、そこまで近くにいたわけでもない。  引き寄せられたのか、一気に詰められたのか、よく分からないけれど、菊地は一之瀬の腕の中にいて、唇が重ねられていた。 「俺は毎晩でもしたい」  唇を放した途端に一之瀬が言う。 「そんなことしたら、俺が持たない」 「一回だけにする」 「お前の一回の間に、俺は何回になるんだよ?」 「止めればいいのか?」 「何を?」 「和真の射精」  言った途端に一之瀬の口に菊地の手のひらがぶつかった。 「何を言い出す」 「何回もイクから疲れるんなら、和真の回数を制限すれば…」 「バカ」  菊地が一之瀬の胸を叩いて逃げようとしたけれど、逆に一之瀬の手に力が入った。 「このくらいじゃ、痛くない」  それどころか、持ち上げられて膝抱きにされてしまった。 「次のヒートで番になるんだ、俺になれて欲しい」 「………うぅ」  一之瀬のフェロモンが菊地の体にまとわりつく。本当はそれだけでもう動きたくなどない。 「と、にかく、今日は、ヤダ」 「じゃあ、一緒に寝るだけ」  抱きしめて、額にキスをされたら断れない。一之瀬の匂いが嫌じゃなくなってしまった今、断る理由が出てこない。 「寝よう」  一之瀬が菊地をだき抱えたたまま立ち上がる。  だき抱えたままベッドに、入られては抵抗が出来ない。向かいあわせで抱きしめられて、腰に一之瀬の腕が回されている。 「本当に、何もするなよ」 「しない」  部屋の明かりが落ちて、暗くなると、自然に目を閉じた。密着しているから、お互いの呼吸が聞こえて、鼓動まで聞こえてくる。  菊地にはまだ分からない。  自分が、抱かれる側になって、妊娠が出来ることが。  結婚もできる。  しかも、目の前にいる男から求愛されている。  人生が突然変わりすぎて、まだついていけない。  目の前の男が嫌いじゃないことは分かった。けれど、お腹が痛いのがそういう理由だと、まだ理解はしたくない。気持ちが追いつかない。  だから待って欲しいのだけど、目の前の男は、何年も待ってくれていたらしい。それは申し訳ないことをしたとは思うけれど、あんなことをしたのは一之瀬だ。  それも含めて、菊地は納得していなかった。 「えっと、和真。その食べ方って?」  朝ごはん、昨日の残りの食パンに、菊地はたっぷりのいちごジャムとマーガリンをぬりつけていた。 「ジャムパン、知らない?」  パンの上にのせられたものが、もの凄い高カロリーだ。一之瀬は、そんな食べ方をしたことが無い。 「甘いものが好きなのか?」 「嫌いじゃないけど、男が一人でケーキとか買えないじゃん」 「そういうものなのか?」 「ベータの男はそういうもんだよ」  世の中に大量に存在する男性ベータは、なんの用もなしに自分のためにケーキなんて買える程の気概はないのだ。だから、こうやって甘いものを摂取してきたのだ。 「分かった。就職祝いに今日はケーキを買ってこよう」 「え?」 「オメガになって、少し味覚とか変わっただろう?昨日もカフェテリアで、ケーキを嬉しそうに食べていたと報告を受けている」 「な、何してくれてんの?」 「オメガ枠の入社に関しては、歓迎会の規制も含めて俺が決めたことだ」 「え?」 「いつ和真を、迎え入れても安全なように取り決めをしておいたんだ」 「お前、いつから社長してんの?」 「大学から」 「へー」  朝から恐ろしいことを聞いてしまった。そんな時から菊地を自分の会社に就職させるつもりでいたのだ。しかも、オメガとして。 「で、ケーキは何味がいいんだ?」 「ケーキの種類なんて知らない。ショートケーキと、チーズケーキぐらいだ」 「分かった。一緒に選ぼう」 「え?」 「選ばないなら、ホールで買うぞ」 「わ、わかったから」  就職2日目にして、一緒に帰ることになってしまったことを、後日菊地は激しく後悔したのだった。

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