24 / 37
第24話 緩和
ご飯が美味しく炊けて、片付けが食洗機まかせで、菊地は嬉しかった。さすがは上位アルファ様のお住いである。素晴らしい機能が備わっているものだ。
ゆっくりとテレビを見ながら、菊地は一之瀬に確認をした。ソファーの上で膝を抱えながら、菊地はホットミルクを飲んでいた。蜂蜜をたっぷり入れてかなり甘い。たまに甘いものが欲しくなると、いつもこれを飲んでいたので、作ってみたのだけれど・・・高級スーパーのはちみつはめちゃくちゃ美味しかった。
はちみつだけ、舐めてしまいそうで怖かった。
「じゃあ、夕飯についての連絡は6時までにして」
「なんで?」
「俺はほとんど残業ないから、5時には上がるだろ?電車で帰って部屋に着くまでのことを考えたら、6時までには連絡貰わないと困る」
「分かった、外食に誘いたい時は?」
「それも6時まで」
「分かった」
一之瀬の手が菊地の手に触れてきた。帰宅した時から分かってはいたけれど、菊地はあえて無視していた。
「夜のお誘いは?」
手に触れていたのに、腕を上って首筋を撫でて耳の辺りの、髪を撫でている。
「今日はやだ」
「どうして?」
嫌だと言いながら、一之瀬の手を払わないので、そのまま菊地の髪を撫でるのをやめない。
「職場の人たちに言われた、アルファの匂いがすごいって」
そう言って、菊地はホットミルクを一口飲む。
「それは、アルファとして当然のことなんだが」
一之瀬はそう言いながらも菊地の髪を撫で続ける。
「なんか、恥ずかしい」
菊地は視線をマグカップの中に落とした。これ以上一之瀬の顔を見ていたくない。流されてしまいそうだ。
「今日は、ダメ?」
「…ダメ、ヤダ」
菊地は視線を落としたまま返事をする。
「じゃあ、キスは?」
「え?」
なんて返事をしようかと、思わず菊地が顔を上げると、すかさず一之瀬の手が菊地の顎を捉える。さっきまで髪を撫でていたはずなのに、随分と素早く動くものだ。
「んっ」
手にしていたマグカップは、テーブルに置かれてしまった。そこまで離れてはいなかったけれど、そこまで近くにいたわけでもない。
引き寄せられたのか、一気に詰められたのか、よく分からないけれど、菊地は一之瀬の腕の中にいて、唇が重ねられていた。
「俺は毎晩でもしたい」
唇を放した途端に一之瀬が言う。
「そんなことしたら、俺が持たない」
「一回だけにする」
「お前の一回の間に、俺は何回になるんだよ?」
「止めればいいのか?」
「何を?」
「和真の射精」
言った途端に一之瀬の口に菊地の手のひらがぶつかった。
「何を言い出す」
「何回もイクから疲れるんなら、和真の回数を制限すれば…」
「バカ」
菊地が一之瀬の胸を叩いて逃げようとしたけれど、逆に一之瀬の手に力が入った。
「このくらいじゃ、痛くない」
それどころか、持ち上げられて膝抱きにされてしまった。
「次のヒートで番になるんだ、俺になれて欲しい」
「………うぅ」
一之瀬のフェロモンが菊地の体にまとわりつく。本当はそれだけでもう動きたくなどない。
「と、にかく、今日は、ヤダ」
「じゃあ、一緒に寝るだけ」
抱きしめて、額にキスをされたら断れない。一之瀬の匂いが嫌じゃなくなってしまった今、断る理由が出てこない。
「寝よう」
一之瀬が菊地をだき抱えたたまま立ち上がる。
だき抱えたままベッドに、入られては抵抗が出来ない。向かいあわせで抱きしめられて、腰に一之瀬の腕が回されている。
「本当に、何もするなよ」
「しない」
部屋の明かりが落ちて、暗くなると、自然に目を閉じた。密着しているから、お互いの呼吸が聞こえて、鼓動まで聞こえてくる。
菊地にはまだ分からない。
自分が、抱かれる側になって、妊娠が出来ることが。
結婚もできる。
しかも、目の前にいる男から求愛されている。
人生が突然変わりすぎて、まだついていけない。
目の前の男が嫌いじゃないことは分かった。けれど、お腹が痛いのがそういう理由だと、まだ理解はしたくない。気持ちが追いつかない。
だから待って欲しいのだけど、目の前の男は、何年も待ってくれていたらしい。それは申し訳ないことをしたとは思うけれど、あんなことをしたのは一之瀬だ。
それも含めて、菊地は納得していなかった。
「えっと、和真。その食べ方って?」
朝ごはん、昨日の残りの食パンに、菊地はたっぷりのいちごジャムとマーガリンをぬりつけていた。
「ジャムパン、知らない?」
パンの上にのせられたものが、もの凄い高カロリーだ。一之瀬は、そんな食べ方をしたことが無い。
「甘いものが好きなのか?」
「嫌いじゃないけど、男が一人でケーキとか買えないじゃん」
「そういうものなのか?」
「ベータの男はそういうもんだよ」
世の中に大量に存在する男性ベータは、なんの用もなしに自分のためにケーキなんて買える程の気概はないのだ。だから、こうやって甘いものを摂取してきたのだ。
「分かった。就職祝いに今日はケーキを買ってこよう」
「え?」
「オメガになって、少し味覚とか変わっただろう?昨日もカフェテリアで、ケーキを嬉しそうに食べていたと報告を受けている」
「な、何してくれてんの?」
「オメガ枠の入社に関しては、歓迎会の規制も含めて俺が決めたことだ」
「え?」
「いつ和真を、迎え入れても安全なように取り決めをしておいたんだ」
「お前、いつから社長してんの?」
「大学から」
「へー」
朝から恐ろしいことを聞いてしまった。そんな時から菊地を自分の会社に就職させるつもりでいたのだ。しかも、オメガとして。
「で、ケーキは何味がいいんだ?」
「ケーキの種類なんて知らない。ショートケーキと、チーズケーキぐらいだ」
「分かった。一緒に選ぼう」
「え?」
「選ばないなら、ホールで買うぞ」
「わ、わかったから」
就職2日目にして、一緒に帰ることになってしまったことを、後日菊地は激しく後悔したのだった。
ともだちにシェアしよう!