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第27話 賞玩
「オメガ会の開催を祝して」
グラスが軽く当たる音がして、その後に可愛らしい声がする。
菊地が世話になっていた施設に、併設されていたコテージで、きょうはオメガ会だ。
同じ会社のオメガが集まっての情報交換をするそうだ。さすがに社内では言えないことも多々ある。特に、オメガ優遇措置については危なくて言えるわけもない。
このコテージだって、オメガは自由に使えるけれど、アルファは会員登録をしなくてはいけないし、会費もある。ベータは、使用することも出来なければ、やっかみも生まれることだろう。ベータだってアルファとお近付きになりたいのだ。
「やっぱり、抑制剤があるからお酒はダメだよねぇ」
「会社の付き合いだと夜が多いから、結局断ることになるよね」
「まぁ、誘われないけど」
「オメガを夜遅くまで拘束するのはセクハラでーす」
そう言いながら、笑っているのだから、日々の不満がたまっているのだろう。
菊地は初めましての人がほとんどなので、とりあえず一番の顔見知りである山岸の隣に座った。
オメガになって一番分かりやすく変わったのは、味覚かもしれない。アルコールが、苦く感じる。逆に甘いものがとても美味しいし、欲しくなる。
「美味しい」
ここのオレンジジュースは、やはり美味しい。あの高級スーパーで、買ったオレンジジュースは、ここまで美味しくはなかった。
「気に入っていただけたようで」
数回しか来ていないのに、店員は菊地のことを覚えてくれていたらしい。毎回頼むのがオレンジジュースだからかもしれないけれど。
「こちら、本日のフルーツタルトです」
菊地の前には、キラキラとしたフルーツが並べられたタルトが置かれた。山岸はシフォンケーキを頼んだらしく、添えられた生クリームが魅力的だ。
「オレンジジュースに、フルーツタルトって」
どれだけフルーツ好きなんだ?って、ことになっている。けれど、ここのフルーツはとにかく美味しい。
菊地はどうしても自分でフルーツをむく気にならないのだ。
「菊地さーん、まさかと思うけど、妊娠したりしてないよね?」
向こうの席からとんでもないことを言われて、菊地はフォークをガチャンと、突き刺した。
「してませんっ」
昨夜だって、一之瀬がピルを飲ませてくれていた。予防まで一之瀬がしてくれている。菊地にはオメガとしての基礎知識がまだまだ足りていない。
「でも菊地さん、すっごいアルファが恋人なんでしょ?」
「菊地さん、アルファの匂いすごいよォ」
向かいに座る二人の女性から言われると、改めて昨日の一之瀬の行為が原因だと分かってしまう。
「ここにはアルファもくるからって、念入りにされたんだけど」
そんなに臭うのか、いまいち菊地には分からない。隣に座る山岸からは、何かがほんのり香ってはきている。
「俺はもう、番になってるから、そこまではしないよ」
山岸が照れながら言う。
「次のヒートでなる予定ではあるんですけどね」
菊地がサラッと言うと、女性たちから悲鳴が上がった。
「いーな、いーな、上位のアルファの番なんて」
一人がそう言うと、周りも同調する。
そんな中、一人の女性オメガが菊地を、じっと見ていた。
「え?なに?」
視線に気がついて、菊地はソワソワしてしまった。
「あの、菊地さん」
声のトーンが安定していない。
「あのね、私見ちゃったんだけど…言っても、いい?」
何を見たというのだろうか?
「えー、何を見たのよォ」
他の女性が煽り立てる。
「菊地さんのアルファ、見ちゃった」
その一言で、一斉に視線が集まる。
上位のアルファだから、それだけで興味津々だ。
「え?見た……いつ?」
まだ入社して数日しか経っていないのに、もうバレたのか。
「え、っと……言っても大丈夫?」
見ちゃった。と、言いつつ、口にしていいのか迷っているようだ。
「え、そんなに凄いアルファなの?」
「見間違いとかじゃなくて?」
周りは野次馬となって、好き勝手を口にする。
「菊地さん、この間デパ地下でケーキを買ってたよね?」
「えっ」
確かにデパ地下で、ケーキを買った。一之瀬が就職祝いだと言うからだ。ついでにお惣菜も買って帰って、それでささやかに就職祝いをしたのだ。コネだけど。
「くまさんの形のチョコケーキ」
間違いない。
一之瀬が悪ふざけして選んだのだ。菊地がクマの顔が二階堂に似ていると言ったら、頭から食ってやる。とか言い出して買ったのだ。一之瀬のささやかな仕返しらしかった。
「う、なんで…」
本当に見られていたので、言い訳のしようも無い。スーツの男ふたりで、くまさんの形のチョコケーキを買っていたのだから、おそらく目立っていたのだろう。
「一緒にいた人が、菊地さんのアルファなんだよね?」
確認されたので、黙って頷いた。
「え、誰?知りたーい」
「教えてー」
「誰?誰?」
無邪気に聞くけれど、その目はあまり無邪気ではない。隣に座る山岸が、そっと菊地に告げる。
「言わなくてもいいんだよ」
けれど、菊地はそのうちバレるだろうし、管理職たちは、匂いで知っているかもしれないと思った。
だから、どうぞ、と、ジェスチャーをした。
「じゃ、言うよ」
大きく深呼吸して、彼女は前のめりにテーブルに肘を着く。それに合わせて周りも同じように頭を合わせていく。菊地と山岸だけそれをしなかった。
「菊地さんのアルファは……」
全員がゴクリと、喉を鳴らした。
「一之瀬社長」
悲鳴が上がって、視線が菊地に集中する。
上位のアルファと分かってはいたけれど、上位も上位過ぎて意味が分からなくなっている。
「凄い、B社のネックガードをプレゼントするほどだからとは思っていたけれど」
「やっぱり、男性オメガ玉の輿説は本物なのね」
「高校生の純愛は伝説級だわ」
いや、高校で出会ったけれど、純愛ではない。菊地は否定したかったけれど、山岸に軽く肩をたたかれてやめた。
「社内で知ってる人って?」
落ち着きを取り戻したら、割と冷静な質問がきた。
「人事の人は知ってる。俺面接も試験もしてないから。履歴書も書いてないし」
「え?」
「会社に連れていかれて、そのまま入社手続きしたから」
「なに、それ」
「俺が働きたいって言ったから、自分の手元に置いただけなんじゃないかな?」
「おぉ、さすがは社長」
「権限を最大限に使ってるのね」
「オメガの我儘をきいてくれるアルファって素敵」
いや、一之瀬の執着が粘着質なだけだ。とは言いたくても言えない。それに、この施設も元を正せば・・・
「じゃあ、菊地さんのアルファのことは、このオメガ会の秘密ってことで」
誰かがそう言って、人差し指を立てる。
周りも同じように人差し指を立てた。
「ありがとう」
菊地は一応お礼を述べた。迂闊にも見つかったのは、一之瀬のせいだと思うのだけど、立場的に辛いのは菊地の方だ。
「あ、菊地さん」
手を挙げて、菊地に声をかけてきた。
「はい、なんでしょう?」
「家族と連絡とってる?」
「いえ、さっぱり」
菊地がそう答えると、周りのみんなと目を合わせて頷きあっている。
「じゃあ、警告しておくね」
そう言って、急に真剣な顔をされた。
「結婚した途端に家族が急に寄ってくるよ。たかられるから注意してね」
そんなことを言われてしまって、菊地はますます実家への連絡がしにくくなった。確かに、一之瀬匡は名家の嫡男で、今だって社長をしている。結婚した途端に、義理の家族だと言ってあれこれ言ってこないとは限らない。
そんなことを帰りの車で一之瀬に話してみると、一之瀬は菊地の頭をひとなでした。
「それなら心配はない。名家のオメガは誘拐や拉致などの被害にあいやすいから、結婚してもその情報は公開されない。披露宴も名家しか招待しない。そもそも、名家のアルファは、自分のオメガを外に出したがらないからな」
言われて安心する半面、最後の言葉が引っかかる。
「わかったよ」
けれど口にする言葉はこれしかない。
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