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第31話 対面

 ついに一之瀬の家族と会う。  一之瀬蘇芳は、高校時代に学校行事で姿だけは見ている。確か初めて見たのは入学式で、保護者代表挨拶をしていた。文化祭にも来ていたけれど、回りには護衛の人がいて、生徒は誰も近寄れなかった。  菊地が気づかなかっただけで、高校時代から護衛が付いていて、色々報告されていたと言うのだから、今更だけど恥ずかしい。  そういえば、高校時代の初アルバイト先に視察にも来ていた。あの時は、ものすごく緊張したのを覚えている。隣にいた島野が、声をかけてくれなかったら、あの場から動けなかったかもしれない。そのくらい、近くで見ると凄い人だった。 「あー、今更だけど恥ずかしい」  菊地は身支度まで終えておきながら、頭を抱えて絨毯の上で丸まった。 「どうした?和真」  せっかく一之瀬が整えた髪型は、もうぐしゃぐしゃで、そんな姿も一之瀬にとっては可愛いものだ。 「俺のことを両親より知っているのかと思うと、恥ずかしいじゃないか」  高校時代から、親にも見せていない姿をずっと見られてきて、しかもオメガになったことも知られているし、番になったことまでも、だ。  それは、つまり、菊地が一之瀬と・・・ということまで知られているということで、普通に恥ずかしいのだ。 「大丈夫だよ、和真」  体を丸めている菊地を、なんてことなく一之瀬は抱き上げると、頬に唇を寄せた。 「ひゃっ、なにすんの」  まだまだこの手のことに慣れていない菊地は、一之瀬がひたすら甘やかしてくるのが恥ずかしい。 「和真があんまりにも可愛いからだな」  なんてことないと言うように、一之瀬はそれが平常運転で、菊地を易易と抱いたまま歩く。 「ちょっとまって、俺、歩けるから」  同じ男なのに、この間までベータであったはずなのに、一之瀬は菊地を抱き抱えて平然と歩く。これは少なからず菊地の男としての矜恃を傷付けると言うものだ。 「ダメだ。俺のオメガだから」  一之瀬の言うことの意味がよく分からない。所謂お姫様抱っこの状態で、菊地は一之瀬しか見えていない。よく分からないけれど、一之瀬は、ドアがあるのも、何もかも、邪魔なものは何も無い。と、言う感じでどんどん歩いていく。  エレベーターに乗った時、菊地はようやく理解した。扉を開けたり閉めたりしてくれている人がいたのだ。一之瀬よりは背が低いが、なかなか体格のいい男の人が、ドアの前に立っている。防犯用の鏡越しなので、顔までは見えないけれど、ダーク系の色合いのスーツをしっかりと着込んだ姿は、ドラマなんかで見る刑事のようだ。 「ほら、乗って」  一之瀬は車の助手席に菊地を座らせると、シートベルトまでとめて、ドアを閉める。菊地が一之瀬の姿をそのまま見続けているうちに、一之瀬は運転席に乗り込んでエンジンをかける。  先程のスーツの男の人は、見当たらない。菊地は辺りをキョロキョロと見るが、誰も見つけられなければ視線は一之瀬に向かう。 「これマニュアルなんだ」  免許は持っていないけれど、そのくらいの知識はあった。左足と左手を器用に動かす一之瀬を見て、それでも優雅に見えてしまうのは、アルファだからだろうか? 「どうしても欲しかった」  最近では、オートマしか生産されない車種もあるとかで、マニュアルの車を買うのも一苦労らしい。 「一之瀬は、欲しがりなの?」  菊地の素朴な疑問だった。実際、一之瀬とはあまり接点などなかった。件の事件から菊地はとにかく一之瀬を避けた。大学時代は一度も顔を合わせたことなどなかったのに。 「ん?」  菊地の質問がイマイチよく理解できなくて、一之瀬は一瞬悩んだ。 「うん、そうだな。俺は欲望に忠実だな」  信号で止まった途端に、一之瀬の左手がシフトレバーから菊地の頭に移った。 「ひゃあ」  唇があわせられて、ペロリと舐められた。本当に、一之瀬はやりたいように菊地に触れてくる。それがアルファのオメガへの愛情表現だと言われても、菊地にはまだまだ理解が出来ない。  車が動き出して、真剣な顔をする一之瀬の横顔を見て、カッコイイなと素直に思う。車内に一之瀬のフェロモンが溢れているのだろうか?菊地にはとてもい心地のいい空間だ。  一之瀬の実家の場所なんて知らないから、菊地はどのくらいで着くとか全く知らない。それに、運転している一之瀬に話すことなんて何も思いつかなかった。  車が減速したと思うと、おおきな門がゆっくりと開くのが見えた。都内にこんな大きな門構えができる個人宅があるのだと、菊地は素直に驚いた。だから車が入っていって、後ろを振り返り、門が閉まる様子を見つめていた。 「凄い、電動?」  門の付近に誰の姿も見つけられなくて、やや興奮した様子で菊地が聞く。 「ああ、そうだよ」  一之瀬からしたら見慣れたことなのだけど、一般家庭出身の菊地からしたらものすごいことなのだ。そんな菊地も可愛いと思いながらも一之瀬は車を玄関先に停める。  助手席に回ってきて、菊地からシートベルトを外すと、菊地を抱き上げてきた。 「うっ、わっ、だめだめだめ、歩くから」  いくらなんでも初めての実家で抱っこはないだろう。赤ちゃんじゃないのだ、これでも成人男性であるのだから、せめて玄関ぐらい自分で歩いて行かなくては。 「じゃあ、はい」  地面に下ろされると、当たり前のように一之瀬が菊地の手を握ってきた。一応はエスコートの体なのだろう。菊地は素直に従って、一之瀬に引かれるまま玄関まで歩く。一之瀬が玄関を開けるのかと思っていたら、誰かが既に立っていて、玄関を開けていた。 「おかえりなさいませ、匡様」  年配の女の人は、きっちりと着物を着込んでいて、髪も、ゆい上げられていた。ドラマでしか見た事のないようなその姿に、菊地の目は釘付けだ。 「和真、どうした?」  菊地が動かなくなったのを、緊張しているのかと思って一之瀬が声をかける。 「え?あ、ああ…ドラマみたいだなぁ、って」  菊地の答えを聞いて、一之瀬は内心ほっとした。名家であるから、家に仕える人たちはベータであってもその能力などはアルファに近い。そのせいで威圧的な態度をとることもあるのだ。 「ようこそいらっしゃいました」  どこかぼんやりとした菊地に向かって、女の人が頭を下げるから、菊地は驚いて一之瀬の腕を強く握ってしまった。 「和真、この人はお手伝いの吉野さん」  ようやく一之瀬が紹介してくれたので、菊地は本物のお手伝いさんを初めて見た。と感動を素直を伝えたのだった。  案内されるままに廊下を歩くと、ドラマのセットみたいな応接室に通されて、そこには一之瀬の父親が既に居た。 「よく来たね、和真くん」  ソファーから立ち上がり、大股で和真に近づいてきた蘇芳を、一之瀬が阻止した。 「俺のオメガに、気安く触るな」  親子なのに、そこは譲れないらしく、一之瀬は菊地の前に立ち塞がる。 「座りなさい、あなたたち」  揉める親子に向かって、静かな声が向けられた。体の大きなアルファ二人に阻まれてよく見えないけれど、ソファーにはもう一人座っている人がいて、上品な着物姿をしていた。 「お久しぶりですね、母さん」  一之瀬がそう言うと、今度は蘇芳が不満そうな顔をした。 「俺のオメガに、気安く挨拶するな」 「俺の母親だ。羨ましいだろう?俺はあの人の腹から産まれてきたんだ」 「俺のオメガの腹から出てくるなんて、生意気な奴だ」  そんなことを本気で悔しそうに口にしている蘇芳を見て、菊地は口をポカンと開けていた。まったく想像と違ったのだ。 「全く、いい加減になさい。和真くんが驚いてますよ」  一之瀬の母がたしなめてくれて、ようやくアルファの二人はソファーに座った。何故か菊地は一之瀬の膝の上だ。 「和真くん、初めまして」  着物姿の一之瀬の母が挨拶してきた。 「匡の母の陽葵ひなたです」 「あ、あの菊地和真です。初めまして」  慌てて挨拶をする。しかし、息子である一之瀬の膝の上というのはどうなのか?しかし、そんなことを考える余裕なんて菊地には無い。 「番になってくれたのよね?」 「は、はい」  恥ずかしい。ものすごく恥ずかしい。番になったということは、あの最中に項を噛まれたということだから、つまり、そういうことを致しました。ということなのだ。この間までベータだった菊地にとっては、男である一之瀬と男である自分がそーゆー関係だと言うのを公表するのにまだ、抵抗がある。 「匡にはね、姉が三人いるのだけれど、みんなアルファだから」  どこか残念そうな言い方に菊地の頭にははてなマークしか、浮かばない。 「母さん、和真にはまだ分からないんだよ、そーゆーのは」  一之瀬がそう言うと、陽葵は柔らかく微笑んで  そうだったわねぇなんてのんびり呟く。 「和真くんがねぇ、産んでくれたら初孫なんだ」  唐突に蘇芳が、話に入ってきた。 「え?そうなんですか?」  と、言うことは三人の姉は外に嫁いでしまったのか。なんて菊地の頭の中では考える。 「違うよ、和真」  菊地の考えがわかったのか、一之瀬が菊地の頭を撫でながら教えてくれた。 「アルファはね、男も女もオメガに子どもを、産ませることができるんだ。つまり、俺の三人の姉たちは、オメガと番ったから子どもを産むのは番相手のオメガなんだ」  ベータにはない知識がやってきた。いや、そうなんだけど。そうなんだ。菊地も、オメガだからこそアルファの一之瀬の子どもが産めるのだ。聞いたけど、まだ理解が追いつかない。 「和真くんの頭がパンクしちゃいそうね」  陽菜が、そう言うと一之瀬が菊地の頭をまた撫でた。 「ゆっくりと、覚えればいい」  一之瀬にそう言われれば、何故だか安心する。菊地が一之瀬の膝の上で安心しきっていると、蘇芳がまた、口を挟んできた。 「しかし、和真くんは随分と可愛くなったね、前から可愛かったけど」  そんなことを突然言われれば、菊地の背筋が伸びるというものだ。 「本当に、ベータの頃から可愛かったよ」  そう言って、蘇芳は陽葵にスマホの画面を見せている。陽葵はそれを見て微笑むが、次の瞬間蘇芳の頬に手が伸びていた。 「うわ、痛いよ。陽葵」  蘇芳が、そう言っても陽葵の手は蘇芳の頬から離れない。 「だって、あなたの頬が緩んでいたから」  そのまま反対の手がスマホの画面をタッチする。 「あ、陽葵」  蘇芳が、声に出した時には既に遅かったらしい。 「たとえかわいいオメガのお嫁さんとはいえ、番の私以外の写真だなんて」  陽葵は蘇芳のスマホにあった、菊地の写真を消去したようだ。 「ねぇ?和真くんもそう思うわよね?」 「え、あ、はい。そうですね」  慌てて返事をしたけれど、チラリと見えたのはどう見てもプールサイドの写真だった。と、言うことは高一の時の写真だ。正面から堂々と隠し撮りされていたのかと思うと、どれだけ自分が隙だらけなのか悲しくなってくる。 「母さん、他にもあったら消しちゃって」  一之瀬が、そんなことを言ったものだから、陽葵は蘇芳のスマホを取り上げて、写真ホルダーをチェックし始めた。 「あら、ヤダ。まだ、あった」  陽葵の指がどんどん画面をタップしていく。 「陽葵、それはひどい」 「何を言っているんです。あなたのオメガは私です」  なんだかすごいものを見ている気がする。菊地は一之瀬の様子を伺った。  一之瀬はそんな菊地にか気がついて、また頭を撫でてきた。 「他にもあわせたい人がいるから、ここは失礼しますよ」  一之瀬はそう言うと、菊地を抱えたまま立ち上がった。 「あら、そう。和真くん、またね」  陽葵はそう言って手を振ってくれた。菊地は一之瀬に抱えられているから、どうしたって恥ずかしい。それなのに、陽葵は何事でもないような顔をしている。 「はい、分かりました」  返事はしたけれど、この体勢は礼儀としてどうなのか。立場としては菊地はお嫁さんで、陽葵は義母に当たるわけだ。そんな人に挨拶するのにずっと旦那になる人の膝の上とか、どんな顔見せだったのだろう。 「相変わらず、あの二人はマイペースなんだよな」  一之瀬はそう言うけれど、一之瀬だってそうなんだよ。って、指摘した方がいいのだろうか?菊地が悩んでいるうちに、一之瀬は廊下をどんどん進む。 「ココが俺の部屋」  部屋って言うか、離れの一棟だ。時代劇とかで出てきそうな渡り廊下に、中庭が見える。 「座って」  三人がけのソファーの真ん中におろされた。  その隣に一之瀬が、座る。今度は膝の上ではない。 「入ってきてくれ」  一之瀬がそう言うと、正面の扉が開いて誰かがはいってきた。スーツの色から言って、一人は今朝の人だろう。一人は知っている顔だ。 「和真の警護を担当するメンバーだ」 「へ、へぇ」  そんなご大層なことを言われて、菊地は素直に驚いていた。海外の映画スターが連れて歩くような感じの胸板厚い男の人。そんな人が自分の警護? 「高橋は、この間から車の運転もしているから知ってるよな?」  一之瀬が菊地に言う。言われて菊地は黙って頷く。 「それと、もう一人和真の警護を担当している島野だ」  言われてそちらを見れば、今朝のスーツの人物だった。思わず顔を見つめてしまう。  見間違えでなければ、いや、名前だって、そうだ。見たことがあるレベルでは無い。 「島野昌也です」  すっと頭を下げられて、菊地はものすごく驚いた。やっぱりそうだ。と言う気持ちと、なんで?という気持ちが、入り乱れる。 「リーダーの野口も、ずっと和真の担当だった」 「野口です」  そう言ってきた少し年上の男性は、どこかで見たことがある。 「あ、お客さん」  菊地は思わず声に出してしまった。コンビニでバイトしていた時の、常連客だ。買い物しながら菊地の監視をしていたということだろう。  それで、菊地は真ん中に立っている島野を見た。 「島野くん、だよね?」  菊地がおずおずと聞けば、島野は静かに返事をする。 「え?なんで?ずっと?同級生だよね?それとも年齢誤魔化してたの?」  菊地の頭は少しばかりパニックを起こしてしまったらしく、思ったことを矢継ぎ早に口にする。 「歳は誤魔化してません。正真正銘同級生です。高校生の頃から和真様の監視と警護を担当してました」  なんだかよそよそしい言われ方をして、菊地は驚いた顔をして、一之瀬を見た。つまり、一之瀬はずっと知っていたわけだ。菊地がどんなに避けても、隣にいた島野が、全部報告していたのだろう。 「え?じゃあ三ノ輪くんは?島野くん、三ノ輪くんと仲良かったじゃん」  菊地が、そんなことを言うものだから、島野だって焦ってしまう。たしかに三ノ輪とはよく話してはいたが、それは三ノ輪が島野の正体を知っていたからだ。 今更ながら、菊地は純粋に島野のついた嘘を信じていたわけだ。 「ああ、そこも和真は知らなかったのか」  一之瀬が少し困ったような顔をして、教えてくれた。 「三ノ輪由希斗が、オメガなのは知っているよな?」 「うん」 「三ノ輪の番は俺の姉なんだ。三ノ輪が大学を卒業して直ぐに結婚したんだよ」 「え?そうだったの?」  だったら、もう、子どもがいても良さそうだけど? 「三ノ輪のやつ、俺と和真が番うまでは心配で子どもなんか作れない。とか言いやがった」  それはひどい、とんだとばっちりだ。と菊地は思う。が、そういうこととなると?先程聞いたことが頭をよぎる。アルファはオメガを、妊娠させることが出来るとか? 「うん?この場合、妊娠するのは由希斗になるんだよ、和真」 「へ、へぇぇぇ」  なんだか凄すぎて、島野のことをうっかり忘れてしまった。 「ああ、あと…分かりにくかったとは思うけど、母さんも男オメガだから」 一之瀬が、少し言いにくそうに教えてくれた。

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