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第36話 戯れ

 菊地が帰りにコンビニに寄って、お菓子のコーナーに立ったら、隣に人影がきた。 「一之瀬って、いちご味好きかなぁ」  限定のいちご味のチョコ菓子を手に菊地は呟いた。 「チョコミントって、好き嫌いがはっきり出るよなぁ、俺は苦手だけど」  同じく季節商品らしいチョコミント味の商品を手にして、菊地は斜め上を見た。 「ねぇ、聞いてる?」  黙って隣に立っていたのに、一方的に話し相手にされていたことに軽く驚いた。 「島野くん酷い。返事ぐらいしてよ」  島野は、菊地が割と大きな独り言を言っているのだと思っていた。まさか、隣に立っただけでバレているとは思わなかった。 「……俺は、アイスなら食べる、かな」  護衛なのに、友だち感覚の会話をしている。職務怠慢と言われてしまいそうだけど、長いことこんな関係で過ごしてきたから、菊地は隣に立つ島野が当たり前だと思っていた。 「アイスかあ、あ、ドリンク出てたなぁ」  そう言うと、菊地はドリンクコーナーでチョコミント味のドリンクを手にした。 「それ飲みながら、食べるわけ?」  菊地が手にしている品々をみて、島野は若干引いていた。チョコミント味のドリンクを飲んで、チョコミント味のお菓子を食べる?口の中はその足し算でどうなるのだろうか? 「いちごのも買うから」  菊地は、嬉しそうに言うけれど、ミントといちごじゃ、完全に歯磨きだ。 「これ、よく飲んでたね」  菊地が、不意に缶コーヒーを手にした。  それは、会社の昼休みによく飲んでいたものだった。つまり、島野が、薬を仕込んでいたやつだ。島野としては後暗い気持ちになる品だ。 「ああ、自販機の定番だったからな」  そんなことを言っても、もう飲みたくは無い。と言うのが本音だ。あの頃の後ろめたい気持ちが甦ってしまう。  島野の様子をを伺うように、菊地は缶コーヒーから手を離した。あえて聞かないけれど、毎回島野は、缶コーヒーの蓋を開けてから渡してきていた。菊地がプルトップを開けるのが下手だったのもあるけれど、それだけじゃないことを、菊地はようやく理解した。  具体的に何をされていたのかは知らないけれど、知る必要もないだろう。けれど、缶コーヒーを見て島野の顔が曇ったから、何かあったのだと素直に察した。  そのままレジで会計を済ませると、車に乗り込むのだけれど、一瞬離れた島野の腕を掴む。 「島野くん、どうやって帰るの?」  自分からさりげなく離れていく島野の腕を掴めば、島野がだいぶ困った顔をする。 「乗って」  菊地はだいぶ強引に島野を、車の中に引っ張った。運転手の高橋は、何事もないかのようにドアを閉めて車を走らせる。 「ねぇ、俺から逃げないで」  菊地から意外なことを言われて、島野は大きく目を見開いた。そんなつもりはなかったけれど、菊地にはそう感じられてしまったようだ。 「俺護衛だし」 「知ってる」 「ずっと見張ってたよ?」 「分かってる」 「ストーカーみたいなことしてたんだよ?」 「それでも、俺の事守ってくれてたんでしょ?」  菊地からしたら、ずっと一緒にいたのは島野で、ベータの頃の菊地を繋いでくれる唯一だ。 「やだ、友だちやめないで」 「やめるなんて言ってない」 「じゃあ、離れないでよ」  菊地の気持ちは分かるけど、主従のことも理解して欲しい。島野は、チラとバックミラーに目線を送ると、高橋が笑っているのが見えた。 「わかったから、友だちだから」  絶対に一之瀬から怒られる。密室で菊地に、手を握られて迫られるなんて、絶対にダメなやつだ。三ノ輪が聞いたら笑うやつだ。 「うん、じゃあさぁ、帰ったら一緒に食べようね」  菊地、それは色んな意味で罰ゲームだよ。とは口には出せない島野だった。  ───────  一之瀬が帰宅すると、リビングで島野が悶絶していた。それを見て、菊地が笑いながら写真を撮っていた。 「おかえり……たすく?」 「っ、お帰りなさいませ」  必死で居を正そうとする島野だけれど、口に手をあてて若干涙目だ。 「由希斗くんに動画送ろう」  今しがた撮影した島野の姿を、楽しそうに三ノ輪に菊地は送る。 「そ、それだけはやめて」  三ノ輪にそんなものを見られたら、またからかわれるに決まってる。 「ヤダよ、由希斗くんは友だちだもん」  菊地が送ると、直ぐに既読がついた。三ノ輪も暇なのかもしれない。 「なに、してるんだ?」  楽しそうにしているこの状況を、一之瀬は咀嚼してみるが理解が出来ない。 「新作お菓子を食べてるんだけど」  そう言うと、菊地は一之瀬の口にお菓子を入れてきた。 「え?」  可愛い番からのものだから、一之瀬は確認もせずに噛み砕いた。 「────!!」  床で、悶絶している島野が目線だけを一之瀬に向けている。 「はい、飲んで」  菊地は、そのままストローを一之瀬にくわえさせた。  吸い込んでから、一之瀬は失敗したと気がついたけれど、さすがに島野のように振る舞うことは出来ない。 「ねぇ?美味しい?新作のチョコミント味のお菓子とチョコレートドリンク。なんでチョコミントってホワイトチョコでドリンクにするのかな?」  菊地はそう言いながら平然とドリンクを飲んでいる。一体どんな味覚をしているのか一之瀬にも分からない。けれど、テーブルの上には水色のパンが置かれていて、似たような色合いのパッケージのお菓子がまだあった。 「和真、それは?」  一之瀬が訪ねると、菊地は嬉しそうに答えた。 「今日約束していたお菓子だよ。パンは夕飯に食べようと思って」  菊地の発言に、一之瀬は床にうずくまる島野を見た。 「島野くんにはね、スムージーを飲ませたんだ。お腹が冷えたのかな?」  菊地は自分でやっておいて、そんなことを言うものだから、島野は立ち上がって菊地を見た。 「いちごチョコとチョコミントのスムージーの相性は最悪だ」 「えー、そうなんだぁ」  島野の抗議を何食わぬ顔で流すと、菊地は水色の菓子パンを手にした。 「これに合わせてトマト味のシチューを作ったんだけど、島野くんも食べていく?」 「御遠慮させていただきます」  島野は叫ぶように答えると、深々と頭を下げてリビングから居なくなった。 「和真、こ・れ・に・合・わ・せ・て・?」  一之瀬が聞くと、菊地は満面の笑みで答えた。 「赤と水色で食卓が、可愛いでしよ?」  菊地が満面の笑みで答えるから、一之瀬は黙ってカラフルな夕食を食べることにした。  菓子パンを夕食にするなんて発想は、はっきり言って一之瀬にはない。なにしろ『菓子』と名乗っているのだから、当然菓子だと一之瀬は思っていた。それなのに、菊地は当たり前のように食卓にのせてきた。 「一人暮らししてた時はさぁ、疲れてると、とにかくお腹が一杯になればいいと思っていたんだよね」  不意に菊地がそんなことを言うものだから、一之瀬は黙って頷いた。 「だって、お腹がすいてたら眠れないじゃない?」 「まぁ、そうだな」  一之瀬にはよく分からない話だった。  空腹で眠れない。そんな状況になったことなど一之瀬にはない。食事は必ず用意されるから、食欲がないとか、忙しいなんてのとを理由に食べない。なんてことはしたことがなかった。 「俺ねぇ、やっぱり味覚が変わったみたいだ」  菊地はそう言って、スライスされた水色のパンを口に運ぶ。 「チョコミントの味、割と苦手だったのに、全然平気なの。むしろ美味しい」  ヒートを迎えて菊地の肌質が変わったのは一之瀬も確認してはいたが、味覚が変わっているとは思わなかった。 「和真、味覚が変わったのはわかったんだが…このパンは食事には向かないと思う」  全否定するわけにもいかず、一之瀬は控えめに主張した。 「やっぱり、菓子パンを夕飯にするのは無理だったかぁ」  そんなことを言いつつも、お昼ならいけるよね?と言う発言を一之瀬は軽く聞き流していた。 「チョコミントのアイスを牛乳と一緒にミキサーにかけるの」  食後に菊地が楽しそうに作ってくれたのは、島野が悶絶していたレイのものだ。  グラスににはミントの葉も添えられて、なかなかオシャレな、仕上がりだった。 「やっぱり、俺がSNSとかやると良くないんでしょ?」  出来上がったものをスマホで写真を撮って、写り具合を確認している姿は愛らしい。けれど、これから一之瀬はソレを口にしなくてはいけないのだ。  ふちどりがレースのように繊細な作りの白い皿に、菊地は似たような彩りのお菓子を並べた。 「由希斗くんと合同でやればいいかな?そうしたら由希斗くんと遊ぶ口実になるよね?」  菊地がそんなことを言うので、一之瀬は菊地のスマホを覗き込んで一瞬固まった。 「由希斗に、会いたいのか?」 「うん、友だちだし…色々、約束した、から」  菊地は、一之瀬にまだ話していない事があったのを思い出した。言い出しにくかったのもあるけれど、そんなことを言ったら、噂の『アルファの束縛監禁』される気がして言いにくかった。 「約束?」  一之瀬が聞き返してきた時、唇の端が少し上がっていたけれど、スマホの画面に目線を落としたままの菊地は気づかなかった。 「うん、あのさぁ、この間…由希斗くんと会った時に、ね。その……あか…あの、子ども、もっ、同級生……に、したい、ね。………みたい、な?」  菊地がスマホの画面を見たままもごもご言うのが可愛くて、一之瀬はしばらく眺めていた。耳がほんのり赤くなっているのは、子どもが欲しいって言う発言がソッチに、繋がるのを意識しているからだろう。 「楽しそうな計画だな。アルファとオメガの間なら、ヒート時なら確実に孕めるぞ。次がいいのか?」  そう言って一之瀬は菊地を抱き上げた。膝の上に座らせると、菊地が、驚いて手足をばたつかせる。 「ちが、ちがうっ、まだ早い」  菊地はそう言って一之瀬の顎を手のひらで押し返す。  顔を遠ざけられても、一之瀬は笑顔のままだ。7年以上待っていた番から、子作りの御要望を頂けるなんて夢のようだ。 「まだ?俺たちはまだ番ってから日は浅いが、由希斗たちは番になって、随分経つぞ」 「それは、知ってる」  菊地は体勢を整えると、グラスを手にして一之瀬に飲むように促した。爽やかなミントの匂いが鼻に届いた。一之瀬が飲んだ後に菊地も飲んで、その後皿に並んだお菓子を一つづつ口に入れた。  なかなか口の中が歯磨き後になる。 「仕事か?たしかに就職したてだから、と言うのは分からなくもないが」  一之瀬も就職させておいて、直ぐに妊娠したから辞めます。と言うのは体裁が悪い。 「それもそうなんだけどっ、その……して、ない、から。まだ、けっ……」  菊地は会社ではスンナリ口にできたのに、一之瀬を目の前にしたら言えなくなった。 「してない?何を?」  一之瀬は、菊地をしっかりと抱き抱えたまま、耳元でゆっくりと問うた。唇がギリギリ外耳にぶつからないように、気をつけてゆっくりと口を動かす。 「だから、『番届け』とか……ん、し、とか」  番届けはハッキリと口にしたのに、もうひとつが言えないあたり、まだまだ、菊地の中にはオメガとしてのお強請りに照れがあると言うことなのだろうか。 「ん、番届けを出したかったの?和真は」  横抱きにしていた菊地を、軽く持ち上げて向かい合わせに座らせる。片膝の上だから、そんなにおおきく足を開かさせれた訳ではなくても、なんだか恥ずかしい。 「だって、山岸さん…出してるって言ってたし、ネットでみたら、結構上げてる、から」  菊地は山岸から聞いて直ぐにSNSで検索していた。調べると#番届けとかそんな感じで、写真をつけてあげているのが目に付いた。アルファとオメガだけが出せる書類だけあって、特別感が強い。 「わかった、すぐに用意しよう。明日貰ってくるから」 「え?いいの?」  自分で言っておきながら、菊地は普通に驚いた。名家だから、番の存在を隠すかと思っていた。 「番届けは特別な書類だからな。ある意味婚姻届より効力が強い。何せ、取消が出来ないからな」  そう言って、一之瀬は菊地の頬に唇を寄せる。 「……うん」  しらべて知ってはいたけれど、それを出したがるのは疑っていると思われそうで、怖かった。 「で、もうひとつは?」  菊地の腰を撫でながら、一之瀬がそんなことを聞くものだから、菊地は思わず体が跳ねた。 「…け、っこ」  山岸はなんでも聞いてもらえる。と笑って言っていたけれど、どうにも怖くて口には出しにくい。 「ん?なに?和真」  一之瀬は菊地の耳元で聞き返す。息が当たってくすぐったくて、しかたがない。 「…の、けっ、こんしき……結婚式したい」  ようやく口にして、菊地は耳まで真っ赤になった。  番届けを調べた時に、結婚式の写真も合わせて上げているカップルが結構多かった。幸せそうに笑っている番の二人が素直に羨ましいと思ったのだ。 「……っ、したいの?和真は、結婚式がしたいの?」  一之瀬が聞き返す。  本当は言われて嬉しすぎて、今すぐ菊地を抱きしめて部屋中をグルグル回りたいぐらいの衝動があった。あったけれど、理性を総動員して落ち着いた声を出した。けれど、菊地の顔を見ることが出来ないぐらい一之瀬は興奮していた。  報告で、今日の昼休みに菊地がその手の話をしていたことを聞いていた。それを今日の今日で言われるなんて思っていなかったから、一之瀬だって心の準備が出来ていなかった。 「だって、やっぱり順番は守りたい。から」  菊地の中では、結婚して新婚旅行をして、それから子どもが出来て、と言う流れがテッパンだった。最近は色々な形があるけれど、平凡なベータとして生きてきた菊地としては、そう言った普通に憧れる。相手がだいぶ普通ではなかったとしても。 「わかった、結婚式をして新婚旅行をしよう」 「え?、いいの?仕事大変でしょう?」  一之瀬が、あっさり快諾したから、菊地は逆に不安になった。 「番のためならいくらだって頑張れる」  一之瀬はそう言うと菊地を抱きしめた。  そんなに力は入っていなかったけど、膝の上に座らされて、向かい合わせの体勢だったから、ものすごく体が密着して菊地は恥ずかしくなった。一之瀬の首筋に鼻が触れると、ものすごいフェロモンを嗅いでしまって、一気に身体の力が抜けてしまった。 「た、すくぅ……力、抜いてぇ」  あっという間にフェロモンにやられてしまって、菊地はヘロヘロだ。 「うん、よし。予行練習だ、和真」  そう言うと、一之瀬はそのまま寝室に菊地を連れ込んだ。なにの予行練習なのかを、菊地は聞く暇なんてなかった。  もちろん、朝になって飲み残したチョコミントドリンクの片付けは、一之瀬が菊地にバレないようにこっそりとしたのは言うまでもない。

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