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第263話
無意識に唇を噛み、恥じるように俯く。そんなルイの耳に、アシェルを呼ぶ幼く可愛らしい声が聞こえた。どうやらなかなか来ない兄を心配してフィアナが自ら探しに歩き回っていたらしい。その後ろには穏やかに見守るラージェンの姿もあった。
怒りに顔を真っ赤にしていたアシェルが、自らを呼ぶ声にハッとして振り返る。そして先程までのすべてを隠すように微笑み、足早にフィアナの方へ向かった。
ラージェンに礼儀正しく挨拶をし、ニコニコと嬉しそうに満面の笑みを浮かべる妹の頬を撫でるアシェルの姿が、どうしてか苦しい。この場に、兄は一人しかいないのだ。
傍から見れば穏やかで、優しいその空間を見つめ、ルイはもう一度フードに触れる。
〝あなたが公爵様で良かったと言われるように、真っ直ぐに背筋を伸ばして生きてごらん〟
かつてあの人に言われた言葉が蘇る。勝手に失望し、考えないようにしていたのに、決して消えることのなかったその言葉。
あの日、何の関りもなかったルイに優しさをくれたあの人は、視線の先で妹に優しい眼差しを向けている。子供であるルイですら知っているほどに多くの苦労を背負っているだろうに、彼はそれを妹に僅かも見せない。ただ真っ白になってしまったその髪だけが、彼の胸の内を垣間見せているかのようだった。
「アシェル・リィ・ノーウォルト殿」
ポツリと、その名を呟く。
〝そうすれば、すべてはあなたの手の中だよ〟
誰もが認める、公爵になれば……。
胸の内に湧き上がる何かに突き動かされ、ルイはゆっくりとフードを外した。何年かぶりにその黒髪が太陽の下で輝く。
「なりましょう。誰もが認める公爵に。そうすれば――」
いつか〝兄〟ではないあなたに、お会いすることができるでしょうか。
その光景を目に焼き付けるように、ルイはジッと妹に微笑むアシェルの姿を見つめ続けた。
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